編集後記集
【メルマガIDN 第083号】

■オーディオ三昧:(その2)究極のアナログプレーヤーを開発した寺垣 武さん【NO83・050915】
 究極のアナログプレーヤーを開発した寺垣 武さんには1991年に最初にお目にかかり、今年(2005年)8月28日の「第3回池上祭」のイベント会場でお会いした。81歳になられた寺垣さんはお元気で意気軒昂だった。

 1991年8月に、科学技術と経済の会の懇話会でお話を聞く機会があった。当日は寺垣さんが開発されたアナログプレーヤーが会場に持ち込まれ、講演の後、何枚かのレコードを再生し音を聞かせてもらった。視聴の最初の曲は藤山一郎の歌。寺垣さんが、音の良し悪しがわかります、と言われたことが印象に強く残っていた。
 懇話会終了後事務局より懇話会聴講記を書くことを依頼され、「原点回帰から生まれたアナログレコードプレーヤー」と題した1800字ほどの拙文が機関紙「TTレター(第18号)」に掲載された。TTレターをお届けしたことなどがきっかけで、翌1992年4月に寺垣研究所(大田区 矢口)を訪問した。

 今年のある日、テレビの番組で藤山一郎の歌を聴いていて、ふと寺垣さんのことを思い出し、ホームページで寺垣さんを検索してみた。たくさんのページがヒットしたのに驚きながら幾つかのページを見ているうちに、8月28日の池上祭のイベントのひとつに「不思議音機・寺垣武氏の講演・実体験者の募集」という記事を見つけた。
 説明には、「(前略) 氏が3億円の開発費をかけて製作されたアナログプレーヤーΣ5000と独創的な波動理論に基づいて設計された全方位フラットスピーカーをお借りして、オーディオ界の重鎮を唸らせた良質で立体感のあるサウンドを皆さんと体験しましょう (後略)」とある。
 当日、寺垣さん関連のファイルとレコードを何枚か持参して池上本門字近くの会場に行った。100人近い人が集まり、寺垣さんのトークと視聴の会が行われた。
 
 レコードの150ミクロンの溝をカットするのに数百ワットの電力が使用されていることを偶然知った、レコードに刻まれた情報を十分に取り出していないのではないか、レコードは時代の音を刻んだ文化遺産、CDに取って代わり捨て去るのは冒涜である、当時のオーディオは個性を重視した「いい音」を作るという良くない傾向にあった、以上がアナログレコードプレーヤーを開発することの発端になった。

 オーディオは手段(目的ではない)、本質を見極め認識からスタートするべし、素直にものを見る、自然に逆らわない、レコードの溝に刻まれた音を色づけしないで忠実に取り出す装置を開発する、というのがコンセプトだった。
 発端とコンセプトについては、14年前の講演と今回のトークの内容と変わるところはない。

 視聴盤には、オンデコ座、ライオネル・ハンプトン(57年前の録音)、フランク永井、さだまさし、グレン・グールド、ドン・カルロス、聴衆の持ち込んだレコードなどの視聴の後、最後にラッカー盤(レコードのカッティングを行った原盤)による驚異的なダイナミックレンジの音を聞かせてもらった。私も持参した、1956年に、ルイ・アームストロング・オールスターズがバーンスタインとニューヨークフィルと共演した「セントルイスブルース」(カーネギーホールのライブ)レコードをかけてもらった。ニューヨークフィルの前奏が終わり、アームストロングが登場するあたりまで聞かせてもらって満足した。
 
 プログラムが終了した後で聴衆が装置の周りに集まって、近くで見せてもらい、さわりながら寺垣さんに質問を投げかけていた。寺垣さんは、私が持っていた資料に目を留め、なぜその資料を持っているのか、この資料はごく限られた方にしか差し上げてないのに、と質問された。持っていた資料は、寺垣研究所を訪問したときにいただいたものであり、プレーヤー開発に至った経緯、プレーヤー設計のコンセプト、1号機から7号機を経てΣ3000(第11号機)に至る説明書で、それぞれの製品には紙焼きのカラー写真が貼り付けてある。Σ3000については技術的に見た9つの特徴が記されている。

 14年前に科学技術と経済の会の懇話会でお話を聞いたこと、TTレターに聴講記を書いたこと、研究所をお訪ねしたことを説明したら、私のこともTTレターはっきりと思い出してくれた。科学技術と経済の会での懇話会は、たくさん行った講演の中で最も充実したものだったこと(日本の有力企業の技術者がたくさん出席していたこと)、また、会の当時の顔だった只野常務のことも記憶しておられた。

前列中央が寺垣 武さん

 1992年に研究所を訪問したときに、見慣れないスピーカーが目についた。寺垣さんがプレーヤーの開発を一段落して、スピーカーの開発を手がけ始めた時期だったと記憶している。今回は「波動スピーカー」も聞かせてもらったが、スピーカーについては省略する。

 オーディオテクニカの創業者の松下秀雄社長(当時)が3年間に3億円ほど支援。さまざまな工夫を凝らしたプレーヤーは、リコーの協力を得て、昭和62(1987)年に「Σ3000」として発売、値段は230万円で6台を販売。セイコーエプソンなどの支援により平成6(1994)年にΣ5000を発売、320万円にもかかわらず、30台ほどは売れて評判になり、海外からの取材もあった。続けてセイコーエプソンから140万円の廉価タイプのΣ2000を出して、これは47台ほど売れた。20年間に5.5億円を投じたことになるという。(販売実績などについては、インターネットより最近得た知識)
 
 予定された時間が過ぎ、片付けをはじめる前に、池上祭のコーディネーターやスタッフの方々が記念写真を撮るために装置の後ろに寺垣さんを中心に並んだ。私にも声がかかり仲間に入れてもらった。
 寺垣さんから、どうぞ研究所においでください、という丁重なお言葉をいただいて会場を後にした。

 世の中には「技術の権化」と言われる人に出会うことがある。日立で日本最初の電子顕微鏡を開発した科学技術と経済の会の只野常務もそのひとり。寺垣さんは工作機械で培った技術と技術屋魂を、レコードに刻まれた音を忠実に取り出すことに注力された。寺垣さんのことを書いていて、物理化学の技術を駆使して「耀変天目茶碗」を生み出した安藤 堅さんに寺垣さんとの共通点を感じる。最近、著書「碗の中の宇宙」を入手することが出来た。いずれ編集後記で取り上げてみたいと思う。
スミマセン Σ3000の技術的な9つの特徴や「波動スピーカー」について追加が出来ていません】

龍のコンサート三昧 アラカルト