編集後記集
【メルマガIDN 第123号 070515】

■浅草まち歩き
 浅草へ行くことは少なかったが、「助六の宿 貞千代」での会合に何回か行くことがあり、いくらか土地勘ができた。「貞千代」は浅草2丁目にある。千葉から行く場合は、浅草橋から都営地下鉄浅草線で浅草へ、地上へ出て、狭い通りから雷門通りに出て、雷門の大きな提灯の下をくぐり、仲見世通りをまっすぐに抜けて観音様にお参り。花やしきのそばを通り、ひさご通りを抜けて「貞千代」へ到る、というルートをとる。
 「龍の謂れとかたち」に興味を持ち、ホームページに少しずつ取り上げることを始めてから、浅草寺は正式には「金龍山浅草寺」という山号があり、龍に謂れがあることを知った。浅草寺の観音堂の天井にある大きな龍の絵を写真におさめることから、「まち歩き」をはじめた。

<浅草寺観音堂の天井の龍図>
 観音堂に入り賽銭箱の正面に立ち、真上を見上げると3枚の絵があり、その真ん中にあるのが龍の絵である。ここの天井は高くほの暗い。私のデジカメで、おそいシャッター速度で撮影してもブレるので写真にならない。ストロボを働かせても距離があるために有効に機能しない。日を改めて、NikonFと28mmと50mmのレンズ、ストロボを持って出直した。2種類のレンズを使って、露光のバリエーションを何段階か設定して、今回示している写真を撮ることができた。床のタイルの寸法を物指し代わりにして天井の龍図の大きさを測ってみたら、短い辺の長さが5.4mであることがわかった。

<浅草寺の手水舎>
 浅草寺の手水舎は規模が大きい。8体の龍が円形状に配置されていて、それぞれの口から水を注いでいる。写真を撮影しようと待っていると、たくさんの人が手を清め、口を漱いでゆく。外人も多く、楽しみながらてを清めいるのが目につくが、口を漱ぐ人は少ない。
 8体の龍を写真に撮って一応満足したが、この手水舎の天井にも龍の絵が描いてあるのに気がついた。8体の龍の円形の中央に立っている像(誰の像か確認していない)には龍が巻きついており、像の頭上に龍の頭がある。見逃すところだった。

<浅草寺の「金龍の舞」>
 浅草寺では、「金龍の舞」、「白鷺の舞」、「福聚の舞」の3つの舞が境内で披露される。「金龍の舞」は3月18日・10月18日・11月3日の3回行われる。3月18日はいい機会だったが、アドバイザー講座の試験の立会いに北本まで出かけて、上野に戻ってから浅草寺に電話で尋ねたら、30分遅れで間に合わないとの返事。10月に期待している。

<浅草神社の「飛龍」>
 観音堂から東に歩くと、浅草神社がある。明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至る。今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社。
 拝殿の建物のかもいの上の壁に「飛龍」や「麒麟」の絵が掲げられている。「飛龍」や「麒麟」の単体、「飛龍」と「麒麟」が対峙している絵は建物の四周におかれており、全部で20枚の絵がある。きちんと見えるのは南面(7枚)と西面(3枚)。東面(3枚)は斜めから見ることができるが、北面(7枚)は奥の建物に視界を塞がれておりよく見ることができない。
 飛龍は体が魚で翼をもつ動物。胴が短く尾びれがあり、水を司る霊獣とされている。龍のかたちとしては珍しい部類である。麒麟は中国の古代思想における四神のひとつ。体は鹿、頭は狼、尾は牛、足は馬、そして角を持つ。虫も踏まず草を折ることもない仁獣で、優れた王(為政者)が出現したときに現れると言われる。

<鎮護堂の手水場>
 浅草神社から仲見世通りを横切って、伝宝院通りを西に歩くと、鎮護堂という表札が出ている小さな門が目に付く。浅草奥山に住み着き、いたずらをする狸が、伝法院を火災から守りましょうと言うので、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀った。火防・盗難及び商売繁盛を祈る人が多いという。小さなお堂、お狸さまの2体の像、水子地蔵尊がある。手水場にある口から水を注いでいる龍は古くて、素朴なもの。

<暖簾の店「べんがら」>
 鎮護堂を出て伝宝院通りを引き返し仲見世通りを横切って、柳通りを東へ歩くと、メトロ通りとの交差点に、のれんの専門店「べんがら」がある。ウインドウを覗いたら龍柄の立派な暖簾が展示してあった。ギョリとした目を持つ精巧な龍が藍色で一面に描いてある。見とれてほしくなるが、お値段は2万3千円と少々お高い。「べんがら」では350種類の暖簾の注文販売をしている。

<とらんくすや>
 メトロ通りは、仲見世通りと平行した通り。静かで昔の面影のある風情のある通りである。「べんがら」さらに南へ向かって歩くと通りの右側(西側)に「とらんくすや」がある。「男たるもの常に吉祥紋を身に着けるべし」ということで、鯉(登竜門)・唐獅子(優美と猛勇)・青海波(平穏な波は吉祥の印)・麻の葉(素直な早い上達)・梅(知恵の花)などの模様を印刷したトランクスを販売している。その中に「龍」図柄のトランクスもあり、「龍には龍の雲を得る如し、龍は一気に昇天す」と説明がある。

<黒田屋の「十二支土鈴」と「干支和紙人形」>
 メトロ通りから雷門通りへ出て右(西)へ行くと、雷門のすぐそばに黒田屋がある。この店で「十二支土鈴」と「干支和紙人形」を買った。二つとも小さくてかわいい龍。土鈴の箱には書付が入っており、京都の薬師釜で焼かれたものであることを知る。紙人形は東京で作られたものであるが、詳細はわからないと、お店の人の言。

<龍昇亭西むらの「龍最中」>
 雷門通りを渡ったところに「龍昇亭西むら」があり、ここでは「龍最中」を売っている。広重作「雷門絵図」にはこのお店がお茶屋として登場しており、金龍山浅草寺の御供物などを引き受けていたことから屋号にしたそうである。この店では、菓子を機械ではなく道具で作っている。
 以上、「龍の謂れとかたち」を求めて何回かに分けて歩き、目に付いたところを、一筆書きにした「浅草まち歩き」です。ここに紹介したところの写真と謂れを下記に掲載しています。


観音堂の天井の龍図

手水舎の龍

べんがらののれん

浅草神社の飛龍
ホームページ 浅草まち歩き
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