編集後記集
【メルマガIDN 第130号 070901】

■日本橋に空が戻ってくるだろうか
 今年(07年)の5月16日の朝日新聞(夕刊)の環境エコロジーのページに「復元河川に風の道」と題してソウルの清渓川が取り上げられている。新聞の写真では、両岸に建物が並ぶ街中を川が流れ、水辺の散歩道をたくさんの人が散策している様子が紹介されている。
 
 朝日の記事の主眼は、清渓川の復元により環境が改善される効果を取り上げることにある。都市部が高温となるヒートアイランド現象を和らげる効果があり、都市の川は周りの建物や道路に比べて温度が低い。また清渓川では40km離れた海から涼しい海風が川に沿う方向で西から吹いてくる。
 
 清渓川はソウルの都心部を東西に流れ、漢江に合流する延長11kmの川。50年代に人口集中で汚染が進み、川はふさがれ暗渠になり、70年代にはその上に高速道路が造られた。
 清渓川の景観と環境を取り戻すプロジェクトは、高架の高速道路が老朽化して修復に多大な費用と手間がかかるので撤去する案が浮上し、新市長の政策のひとつに掲げてから構想が具体化した。
 
 延長6kmの高速道路が解体され、河川の復元と遊歩道などの整備が05年に完成した。その間約3年を要し、約450億円を投じられた。明るくなった川べりに多くの人が集まるようになって、観光拠点となり、周辺の地価や家賃も上がっており投資効果もあったとの評価を得ている。
 
 2003年11月にソウルへ行った時にこのプロジェクトのPRセンターに寄り、プロジェクトの概要の説明を受け、工事中の現場を見た。PRセンターではこの地区の歴史を示す写真の展示があり、高速道路が走っている過去の様子も見ることが出来た。
 PRセンター横の川は、かぶさっていた道路と高速道路は既に撤去されており、上部の開放感は得られていたので、完成時の様子を展示されている模型により想像した。

  
高速道路があったころ                工事・完成模型                      工事中(2003年11月

 この年にソウルへ行った目的は住宅のITの調査だったが、調査グループの中に「日本橋」に興味を持っている企業の人がいて、彼の希望により寄り道をした。「日本橋」についてはいろんな議論がなされている知っていたので、私も清渓川の再生について展示などを熱心に見た。このときの調査でITの世界でも韓国に学ぶ点が多いことがわかったが、「日本橋」を考える上でも参考にするところがたくさんあると感じた。

 日本橋川は江戸城築城の際にはじめて掘られた運河である。千代田区三崎町で神田川から別れ、中央区日本橋箱崎町で隅田川に合流する延長約4キロメートルの河川。河口付近の中央区新川で、亀島川を分流している。

 日本橋川にかかる日本橋は、1911年に建造された20代目の橋であり、平成11年(1999年)に国の重要文化財にも指定されている。その指定理由は、「明治期を代表する石造アーチ道路橋であり石造アーチ橋の技術的達成度を示す遺構として貴重である。また土木家、建築家、彫刻家が協同した装飾橋架の代表作であり、ルネサンス様式による橋架本体と和漢洋折衷の装飾との調和も破綻なくまとめられており匠的完成度も高い」とされている。また、日本橋は五街道の原点として国土計画の起点となった橋でもある。

 昭和38年(1963年)首都高速道路が開通し、昭和39年の東京オリンピック開催にむけて日本橋を跨ぐようにして首都高速道路が建設された。それから40年以上を経過して話題沸騰である。いくつかの意見を紹介してみる

 東京生まれの人間にとっては日本橋の上に高速道路があるのはかっこ悪い。理屈じゃない。日本橋という町全体の再興は、今の日本文化の基礎を知ること、高速道路の撤去はその象徴である。
 
 日本橋上一帯の高速道路は、世界の道路技術者をうならせた奇跡の道路だった。橋の上に橋を架ける暴力性にこそダイナミックな日本都市の構成を感じるのではないか。
 
 問題はデザインの良し悪しではなく、都市景観に関する理念と都市の場所性の判断にある。日本橋川は江戸城築城の際にはじめて掘られた運河であり、首都東京の原点。また、日本橋は五街道の原点として国土計画の起点になった橋であるということ、江戸時代以来の誇りを取り戻したい。
 
 「つまらん金かけるより、日本橋をどこか近くの川に移したらいい、首都高を造り直すとか、ビルの中を通すとかは大変。あの場所になくても、あの橋そのものがあればいい、こういう発想をするのが小説家なんだよ」、とは石原知事の言。
 
 今後の方策についての議論も盛んになってきている。首都高ネットワークを維持する案として、川の上を避けた<高架案>と<地下案>、首都高ネットワークを維持しない案として、<首都高撤去+街路拡幅案>や<首都高撤去案>等が議論の対象になっている。2004年には「日本橋みちと景観を考える懇談会」の主催で「日本橋まちづくりアイデアコンペ」が実施され、全国から324作品が応募されこの問題に関する全国的な関心の強さも明らかになった。
 
 最大の障害は、3000億~6500億円ともいわれる事業費の負担。民営化した首都高速道路会社は「移設で通行量が増えるわけではない。負担できる原資はない。老朽化には改修で対応する」との方針らしい。

 オリンピック誘致を契機に作った日本橋川の上の高速道路を、オリンピック誘致を契機に撤去し、街の景観を取り戻し、「昔はこの川の上に邪魔な高速道路が走っていたんだよ」などと言う日が着てほしいと思う。【生部】

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