編集後記集
【メルマガIDN 第142号 080301】
■編集後記 静嘉堂文庫美術館で《曜変天目茶碗》を見た
静嘉堂文庫美術館で《茶碗の美 -国宝・曜変天目と名物茶碗-》が開催され、静嘉堂で保有している《曜変天目茶碗》が展示されている。2008年2月9日(土)~3月23日(日)
静嘉堂文庫美術館の曜変天目茶碗は2004年11月に公開されており、今回は約3年ぶりとなる。以前から興味を持っており、はじめて見る機会を得た。
小宇宙の空間を創りだす碗は以外に小さくて密度が高く、プロポーションとしては、日ごろ写真で見たイメージより縦の比が高く感じられた。また、この数年、復元に魅せられている陶工や科学者たちのことも気にかけていたが、もしかしたら復元する可能性があるのではないか、と彼らが思う気持ちが理解できた。
静嘉堂文庫
静嘉堂文庫は、三菱第二代と四代の社長である岩崎弥之助と小弥太父子が明治25年(1892)ごろから蒐集した、古典籍と日本と中国の古美術品を収蔵している。国宝7点、重要文化財82点を含む凡そ20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品を収蔵している。昭和15年(1940)、小弥太はその土地・建物・図書などをもとに財団法人静嘉堂を設立し、昭和52年(1977)より静嘉堂文庫展示館で美術品の一般公開を行ってきたが、静嘉堂創設百周年に際して新館が建設され、平成4年4月(1992)に静嘉堂文庫美術館が開館した。
曜変天目茶碗
曜変天目(ようへんてんもく)は天目茶碗の一種。黒いうわぐすりのかかったやきものを一般に「天目」とよんでいる。鎌倉時代に中国に渡った禅僧たちが天目山から持ち帰ったことから、天目の語源とされている。「曜変」とは元来「窯変」、「容変」を意味し、「星」または「輝く」という意味をもつ「曜」の字を当てられるようになった。内部の漆黒の釉面に結晶による大小さまざまの斑紋が群をなして一面に現れ、その周りが瑠璃色の美しい光彩を放っているものを指して「曜変」と呼んでいる。
曜変天目茶碗は、12~13世紀(中国南宋時代)の物で、現在は世界に3点しか現存していない。その3点は、大徳寺龍光院(京都)、藤田美術館(大阪)、静嘉堂文庫美術館にあり、3点とも国宝に指定されている。
土は最良のものが用いられ、高台の削り出しも精緻を極めていることから、曜変天目は、焼成中の偶然の所産であったばかりでなく、陶工が試行錯誤の果て、完成をみた作品であった可能性が高いと言われている。
静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目は、もと将軍家所蔵であったものを淀藩主稲葉家が拝領し、代々秘蔵したことから「稲葉天目」とも称されている。
展覧会開催のチラシ
静嘉堂文庫の絵葉書より曜変天目茶碗の復元に挑む挑戦者たち
静嘉堂の曜変天目は、つややかな漆黒の肌に、満天の星月夜のような星紋がいっぱいに広がり、その星紋をからめとるように青白い光彩が七色に明滅する。世界の陶芸史上、最大の謎とされてきた.「曜変天目茶碗」を復元する試みが相次いでいる。
林恭助
2002年10月に日本橋三越(東京)で開かれた岐阜県土岐市の陶芸家、林恭助の「曜変天目特集」展が開催された。林の作品も、星紋とその周りのきらめきがしっかりと表現されており、復元に取り組む陶芸家たちの中から、一歩抜け出した感があると言われた。
林は1989年に陶芸家として独立。当初は黄瀬戸を中心に作陶し東海伝統工芸展で最高賞をとるなど活躍してきた。だれもが焼成に成功していない点にひかれ、曜変を手がけるようになった。全くの手探りで、原料の陶土を直接、曜変天目の原産地とされる中国の建陽市から輸入し、陶土や釉薬(ゆうやく)の成分データを集め、造っては壊す試行錯誤を繰り返した。
初公開に踏み切ったのは「曜変の技法を応用した独自の作品が出品できたから」という。林は2007年3月に北京の中国美術館で個展を開き、24点を展示している。
小山冨士夫と山崎一雄
不可能と思われてきた曜変天目焼成への足がかりとなったのは、1953年に発表された、陶芸家で陶磁学者でもあった小山冨士夫と無機化学専門の山崎一雄(名古大学名誉教授)による共同論文「曜変曜目の研究」。星のように点在する光彩が、青紫色にきらめく理由は「紬上の薄膜によって生じた光の干渉」であると科学的に曜変焼成の謎に挑んだ最初の貴重な成果である。
安藤 堅
曜変天目焼成への挑戦者には、神奈川県中井町で作陶一を続ける瀬戸 毅已、瀬戸市の長江 惣吉、宇治市の桶谷 寧などが居るが、安藤 堅は特異な存在である。
1927東京千駄ヶ谷に生まれた安藤 堅は、化学工業会社に勤務、研究・新製品開発に従事した物理化学の研究者。1974年に23年間のサラリーマン生活にピリオッドをうち依願退職。自分の専門分野の経験をもとに釉薬を徹底的に追求した。科学と芸術を融合させようという意気込みで夢の「曜変天目」を再現(創造)しようと前人未到の対象をライフワークとする。1977秋、試作第1碗の試作を成功させた。1981年、中国政府の招きにより「曜変」1碗寄贈のために訪中し、福建省国立博物館に永久保存された。
著書『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)の第2部には、《瑞光》から《晴雲》までの8碗の写真が紹介されている。安藤は、本書の中で、100万に近い試験片の実験結果をもとに、全試験の流れ、概要、粗筋について記している。個々の細かな材料や焼成条件などについては一切発言していない。細部について記載し、それにしたがって「曜変」ができたら、それは安藤の「クローン碗」ができたことでしかなく、皆の挑戦の夢がなくなるからと言っている。
陶芸家たちがこのあまりにも高い壁に挑んでゆくのは、「曜変」は世界に残された神秘性の最後の砦と思い挑戦しているのではなかろうか。
これまでは、これらの挑戦者たちの作品を見なかったが、今回世界中で最もすばらしいとされている、静嘉堂文庫美術館の曜変天目茶碗を見ることができたので、これからは、挑戦者たちの作品も見てみたいと思う。【生部】
*参考文献
・曜変天目復元に挑む(2002/10/19 日経)
・曜変天目誕生の謎に迫る(2004/11/13 朝日)
・ひと 林 恭助さん(2007/3/16 朝日)
・曜変の光に魅了され 謎の制作方法に挑む陶芸家たち(2007/6/17 朝日)
・安藤 堅著『碗の中の宇宙』(2003年9月 新風書房)
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