■編集後記 浅草まち歩き その2 浅草寺に戻る
ちょうど1年前の5月15日発行の第123号で《浅草まち歩き》を書いた。浅草寺の本堂を基点に周辺のことを書いた。今回は雷門にもどり、仲見世通りを本殿に向かって歩いてみる。通常《浅草寺》と呼んでいるが、正式には《金龍山浅草寺》というだけあって龍にまつわることがたくさんある。
雷門
雷門は浅草の名所であるばかりでなく、東京のランドマークとなっている。天慶5(942)年に浅草寺の総門として建てられた雷門は、火災による焼失し再建を繰り返し、寛永12年(1635)徳川家光によって建てられた。門の右に《風神》、左に《雷神》を安置してあるところから、正しくは《風雷神門》という。慶応元(1865)年の火災に遭って以来、昭和35年に再建されるまで、約100年近く雷門は幻の存在だった。現在の雷門は鉄筋コンクリート製で、昔の姿そのままに再建されている。
雷門の提燈の下を歩きながら上を見上げると提燈の底に龍の彫刻が見える。提燈の底までの高さは2メートルほどで、真近かに見ることが出来るが、ほとんどの人は気がつかないで通り過ぎる。
土産店
仲見世通りに並んでいる店を覗いてみると面白いものがたくさんある。踊り衣装・着物・帯・袴などを扱っている富士屋の店頭でガウンの背中描かれた龍を見つけて写真を撮らせてもらった。三美堂では《東方神青龍》の色紙を買った。四神のひとつとして東方と春を守護する霊獣とのこと。
伝宝院
左に見る伝法院は浅草寺の院号であったが、現在は住職の居住する本坊の称号になっている。建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり、江戸時代初期の築造で、小堀遠州作と言われる。毎年10月に行われる《金龍の舞》の龍はこの伝宝院を出発し、ここに戻ってくる。
宝蔵門
伝宝院を過ぎると宝蔵門が目の前に迫る。楼門の左右に寺域を守護する仁王像を奉安しており《仁王門》とも呼ばれる。右の吽形像の制作は村岡久作、左の阿形像は錦戸新観の作とされる。現在の浅草寺の仁王門は三層のうちの二層が《収蔵庫》になっており《宝蔵門》と呼ばれている。
中央に《小舟町》と書かれた大きな提燈が下がっている。日本橋小舟町奉賛会より昭和63(1988)年に奉納されたが、平成15(2003)年の秋に江戸開府400年を記念して15年ぶりに新調された。提燈の底までの高さは、雷門より少し高くて2.3mほど。提燈の底に龍の彫刻を見ることが出来る。
五重の塔
三代将軍徳川家光時代の五重塔は現在の場所から参道を挟んで反対側、宝蔵門の東北方に建っていたそうである。明治44(1911)年に五重塔は「国宝」に指定されたが、昭和20(1945)年の戦災で焼失の後、昭和48(1973)年参道を挟んで反対側、本堂の西南に再建された。
地上からの高さは53.32m(搭の高さ48.32m、うち九輪部分15.07m)。
手水屋
本堂の前で清める。手水舎には8体の龍が水を吐いており、これまでに見た手水舎のなかでは、最も規模が大きい。水鉢の中央には高村光雲作の《沙竭羅竜王像(さからりゅうおうぞう)》が立っており、像の体から頭にも龍の彫刻が絡んでいる。手水舎の天井にも龍が描かれている。
本堂(観音堂)
推古天皇36(628)年、隅田川に投網漁をしていた漁師の兄弟の網に一体の仏像がかかり、それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めた。これが浅草寺のはじまり。
鎌倉期以降になると将軍自ら帰依、観音霊場として知られるようになった。江戸時代、天海僧正の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ、江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになった。現在の本堂は、昭和33(1958)年に再建されたものである。
提燈の龍の彫刻
雷門、宝蔵門、の提燈の下を通って、本堂の前の階段を上がったところに最も大きい提燈がある。この3つの提灯の底部には龍の彫刻が施されている。実は、東側の二天門の提燈の底にも龍の彫刻があるが、二天門は平成19年9月から平成21年9月までの予定で改修工事が行われており、仮囲いで覆われているので現在は門を見ることが出来ない。
これらの大提燈庭部(底の部分)の雲龍彫刻の製作者は渡邉崇雲。大正13(1824)年に東京都墨田区に生まれ、本名を孝男という。15歳で木彫師に師事、置物彫刻・社寺彫刻・神輿彫刻・等多種にわたり伝統的な江戸木彫刻を手がけている。東京都伝統工芸士、平成14(2002)年に黄綬褒章を授与されている。
龍は大海に棲んで雲をよび、雨を降らす魔力を持つと信じられてきた。木造の建造物である多くのお寺や神社には、火災に遭わないように、と龍の絵や彫刻が奉納されている。浅草寺の提燈の多くは昭和30年代、浅草寺の建物が復元された時に作られたもので、紙と竹の部分は10年おきくらいに張りかえられ、写真に示す現在のものは平成15年と16年に新調されたもの。龍の彫刻部分は塗り直しをしながら使い続けられているが、本堂のものは傷みが激しいように見える。
当初は雷門の提燈だけに龍の彫刻があるかと思っていたが、昨(2007)年《金龍の舞》を見に行った時に,金龍が通るために持ち上げられている宝蔵門の提燈の底に龍の彫刻を見つけ、本堂の提燈を確かめたら、そこにも龍の彫刻があった。製作者が渡邉崇雲と知ったのはつい最近である。