編集後記集
【メルマガIDN 第151号 080715】
■龍のコンサート三昧2008 【その4】 《プラハ春》のブレンデルのリサイタル
歴史の中で栄光と苦悩を味わったプラハ
プラハは、東西南北のヨーロッパ文化の合流点に築かれたこの町である。スラブ民族によって、ヴルタヴァ(モルダウ)河畔に6世紀後半に最初の集落が出来て、歴史の中で栄光と苦悩を味わった。
第一次世界大戦が終結してから、1989年の「ビロード革命」によるチェコの民主化の実現については、前回に記したので省略する。プラハに特定すれば、カール4世の時代に神聖ローマ帝国の首都として、黄金時代を迎えたことが特筆される。プラハには、それぞれの時代の特徴を表す遺産が数多く残っており、世界遺産に登録され、今は世界中からの観光客でにぎわっている。
1973年にプラハを訪問したことがある
プラハには1973年に訪れたことがある。ミュンヘンで昼を済ませて、国際特急に乗ってプラハに向かった。ミュンヘンでビールを飲んで、列車に乗ってからはチェコのビールを飲んだ。列車が国境を越えるときに長時間停車し、車内まで厳しいチェックがあり、列車の周りにはたくさんの兵士が立っていた。写真は絶対撮ってはいけないと厳しく言われた覚えがあるが、プラハの街についての記憶はほとんどない。
当時の記録によると、車中で夕食、21:08にプラハ着、翌日(日曜日)の14:20発の飛行機でスウェーデンのエテボリへ向かっている。写真のべた焼きを見ると、プラハ城と聖ヴィトー大聖堂を見た形跡はあるが、カレル橋はバスの車窓から撮った写真しか残っていない。《東西ヨーロッパ交通視察団》の調査で、週末を利用して国際特急に乗って遊びに行ったのではないかと想像する。
モーツアルトが歌劇《ドン・ジョバンニ》を作曲した《ベルトラムカ荘》
プラハは、モーツアルトにとって、ウィーンとザルツブルグと並んでゆかりの多い街である。モーツアルトが歌劇《ドン・ジョバンニ》を作曲したといわれている《ベルトラムカ荘》の訪問からプラハの2日目が始まった。
《ベルトラムカ荘》は、当時の貴族ドゥーシェク夫妻の別荘だったが、ドゥーシェク夫人に招かれて、モーツアルトは妻のコンスタンツェと共に滞在し、歌劇《ドン・ジョバンニ》を作曲した。
《ベルトラムカ荘》は現在モーツアルト記念館となっている。建物の中は、6つの展示室で構成されており、日本語のイヤホンガイドで説明を聞くことができる。
奥へ高く傾斜のある芝生の庭の奥まったところに、モーツアルトが《ドン・ジョバンニ》を作曲したといわれる石のテーブルが残されている。《ドン・ジョバンニ》は1787年にプラハのエステート劇場でモーツアルトの指揮で初演され、プラハの人々の評判は上々だった。
モーツアルトが《ドン・ジョバンニ》を作曲した《ベルトラムカ荘》 作曲に使用したといわれる石のテーブル プラハ観光
有田に1年間焼き物の勉強に行ったこともあるというマルチんさんの案内で市内観光に出かけた。プラハ城から聖ヴィトー大聖堂(ミュシャのステンドグラス等)を見て、プラハ城の正門の前のレストランで昼食。ひと休みして、城下町を抜けて丘を降り、観光客でにぎわっているカレル橋を渡って、旧市街の細い曲がりくねった通りを抜けて、旧市庁舎の時計塔の前の広場へ至る。広場を取り囲む建物群は、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などの様式が混在しており、プラハの歴史を一望することができる。
プラハの観光コースを一応辿ったことにして、旧市庁舎前の広場で解散、夕食まで自由行動となる。
ドヴォルザーク・ホール
夕食のあと、ドヴォルザーク・ホールのある《ルドルフィヌム(芸術家の家)》へ雨の中をバスで出発した。
ヴルタヴァ川沿いにある《ルドルフィヌム》は19世紀後半に約10年をかけて建てられ、チェコのネオ・ルネサンス様式の代表的建築として知られている。ドヴォルザーク・ホールは《プラハの春》音楽祭のメイン会場としても使用されており、音響のいいことでも知られている。
ブレンデルのピアノリサイタル
アルフレート・ブレンデルは1931年にチェコで生まれクロアチアで育った、オーストリアのピアニスト。1960年代以降、次第に国際的な名声を得るようになる。2006年には、ウィーンのムジークフェラインザールでモーツアルトの第27番のコンチェルトを、ハイティンクとウィーンフィルで聴いた。
当日の曲目は、ハイドン(アンダンテと変奏曲ヘ単調)・モーツアルト(ピアノソナタヘ長調KV533/494)・ベートーベン(ピアノソナタ第13番変ホ長調)・シューベルト(ピアノソナタ第21番変ロ長調)。
ブレンデルは、気の赴くままに演奏曲目を決めるのではなく、ある意図を持って選曲することがある。1995年9月にサントリーホールで、ベートーベンの最後の3つのピアノソナタを聴いたときの印象が強烈に残っているが、この難しい3曲をまとめて聞かせてあげます、という意図が読み取れた。
そして《プラハの春》での選曲は、ブレンデルが得意としているドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家のピアノ曲を並べ、時代の流れと作曲家たちの特徴を弾き分けるという明確なメッセージが示されていた。
前半に、ハイドンからベートーベンまで、休憩をはさんでシューベルトの曲が演奏された。そして、アンコールの3曲目に、シューベルト作曲《即興曲変ト長調 作品90-3》が始まったときには喝采を叫びたい気持ちだった。ブレンデルにアンコール曲をリクエストすることが許されるならば、迷うことなくこの曲をリクエストする。
昔の話になるが、長年脅迫神経症と恐怖症に悩んで演奏活動を行なっていなかったホロヴィッツのレコード2枚が、1963年に沈黙を破ってリリースされた。その第2集に入っているこの曲が大変気に入って何回も聞いた。ピアノの先生をしている知人の奥さんから楽譜を借りて聴いた。楽譜を読めるわけではないが、譜面をたどりながら曲を深く味わおうとしたこともある、思い入れの多い曲である。
時代がCDに変わったときに、何人かの演奏を聴いて、ラドゥ・ルプーが演奏している即興曲作品90と142の入っているCD(1982年録音)を買った。ホロヴィッツの演奏がこびりついているかも知れないが、いまひとつしっくりこなかった。
そして、ブレンデルが1988年に録音した、同じ2曲が入っているCDの作品90-3を聴いたときに満足できたと感じた。
ドヴォルザーク・ホールのあるルドルフィヌム ブレンデルのピアノサイタル 終了後の挨拶
《ルドルフィヌム》でブレンデルがアンコールで演奏するシューベルト作曲の《即興曲変ト長調 作品90-3》も聴くこともできて、私にとっての《プラハの春》の初日は忘れがたい一夜となった。【生部】
2008年のプラハでのコンサート関連の写真はこちらをご覧ください。
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