プラハ市民会館(オベツニ・ドゥーム)にあるスメタナ・ホール
 5月21日の夜チェコフィルの演奏会が予定されているプラハ市民会館には4つのホールがある。その中のひとつであるスメタナホールは、《プラハの春》音楽祭の毎年のオープニングでメイン会場となり、スメタナの《わが祖国》が演奏されるところ。
 プラハ市民会館は、歴代宮廷があった場所に、1911年に市民のための文化施設として建てられたアール・ヌーヴォー様式の建築物。繊細な彫刻や天井を飾るフレスコ画、ステンドグラスなど美的感覚にも優れている。正面入口の上を飾る大モザイク画は《プラハへの賛辞》と題したカレル・シュピラルの作品である。
 スメタナホールは蒲鉾型の空間で、客席天井には楕円形の大きな天窓がある。建物全体は重厚で風格のある雰囲気であるが、客席は以外に質素。中央に幅の広い通路があり、両側に13個の木製の椅子席が配置されている。
チェコフィル
 チェコ・フィルは、チェコの首都プラハを拠点とするオーケストラ。プラハ国民歌劇場の附属オーケストラが前身。1901年に専任オーケストラとして独立する。
 ラファエル・クーベリック(1941年~1948年)が任指揮者に就任し1946年には《プラハの春》音楽祭がスタートする。クーベリックは1948年のチェコスロバキア共産党を中心とした政権の成立を嫌って西側へ亡命し、民主化直後の1990年のプラハの春音楽祭では、帰ってきたクーベリックとの歴史的な再共演は語り草になっている。
 カレル・アンチェルやヴァーツラフ・ノイマンはチェコフィルの一時代を築いた。ウラディーミル・アシュケナージも名を連ねており、2009年よりエリアフ・インバルの就任が決まっているそうである。
バイオリニスト ジュリア・フィッシャー(Julia 
Fischer)
 ドボルザークのバイオリン協奏曲のソリストは、1983年ミュンヘン生まれの若手女性バイオリニストのジュリア・フィッシャー。1716年製のストラディヴァリウスが彼女に長期貸与されている。
指揮者 クリスティアン・アルミンク
 クリスティアン・アルミンクは1971年ウィーンに生まれの若手の指揮者、若い世代の中でも活躍し期待をもたれている指揮者のひとりである。
アルミンクは2003年にはプラハの春音楽祭オープニング・コンサートで《我が祖国》を指揮し、クーベリックに次いで史上二番目に若い指揮者となった。
 小澤征爾との密接な関係があり、1992年から98年の間にボストン響(タングルウッド音楽祭)および新日本フィルとの幾度にわたる共演へ結びつけた。
 2003年に新日本フィルの音楽監督に就任、契約を2年間延長し10/11シーズンまでさらに新日本フィル音楽監督を続けることになっている。
当夜のプログラム
当夜のプログラムはドボルザークとマーラーの2曲
・ドボルザークのバイオリン協奏曲 イ短調
・マーラーの交響曲第一番 ニ長調《巨人》
 ドボルザークの出だしの音の第一印象は、音の分離はいいが、音が硬いと感じた。かつてレコードやCDで聞くチェコフィルの音に硬さを感じたことはなかったので、これはホールの特性かと思う。
 若い指揮者と若手女性バイオリニストによるドボルザークのコンチェルトが終了し、バイオリンのアンコールが1曲あって休憩に入る。ジュリア・フィッシャーはマーラーの演奏が始まる前に客席に降りてきて、私からそんなに遠くない席に座り、聴衆の一人となった。
 アルミンクとチェコフィルのマーラーは聞き応えのある演奏だった。マーラーの交響曲第一番は若いころから、ワルター(コロンビア響)のレコードを聴きなれたせいかも知れないが、第3楽章の演奏にはもう一工夫あってもいいのではないかと感じた。第4楽章の盛り上がりについては満足のゆく演奏だった。
 
  
    
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      | プラハ市民会館正面 ここにスメタナホールがある
 | バイオリニスト ジュリア・フィッシャーとチェコフィル ドボルザークのバイオリン協奏曲演奏後の挨拶
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 《ザルツブルグ音楽祭》と《プラハの春》はクラッシクファンにとって何とも魅力的な響きが感じられる。《プラハの春》音楽祭の期間中に、スメタナ・ホールでチェコフィルを聴くのも今回のツアーの目玉の一つだったが、前夜のブレンデルのリサイタルとあわせて満足できたプラハの3日間となった。【生部】