■龍のコンサート三昧2008 【その6】プラハからドレスデンへ
08年5月22日の朝9時頃にプラハをバスで出発し、当日の夜にゼンパーオパー(旧、国立歌劇場)でモーツアルトのオペラ《フィガロの結婚》を聴くことになっているドレスデンへ向かう。ドレスデンはプラハの北西150kmほどのドイツ領内にある。
国境の手前で小休止、ドイツ領に入ると道路条件も若干良くなり、バスはドレスデン中央駅のそばのガードをくぐり、旧市街を左に見ながら北上し、エルベ川を渡り、旧市街の対岸にあるホテルに11時半ころに到着。そのままバスで旧市街のレストランへ昼食に出かけた。昼食は、ポークと野菜とポテト。いつものようにビールとグラスワインを注文する。昼食後は、土地のガイドさんの案内で旧市街を散策した。
ドレスデン 歴史が刻まれた都市
ドレスデン(Dresden)はドイツの東の端、チェコ共和国との国境近く30キロメートルほどのエルベ川沿いに位置している。ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都であり、人口は50万人ほど(2006年)である。陶磁器の町として有名なマイセンまでは約25キロメートル。
美しかったエルベ河畔の古都は1945年2月の英米軍による爆撃により一夜にして市内中心部はほぼ灰燼に帰し、3万5千人もの一般市民の命が奪われた。
ドレスデンはソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となり、ライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展した。
1990年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が進められている。廃墟のまま放置されていた王妃の宮殿が高級ホテルに生まれ変わったほか、ツヴィンガー宮殿や聖母教会も再建された。近年では観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せている。
聖母教会 再建の作業は《ヨーロッパ最大のパズル》
聖母教会(Frauenkirche)はバロック芸術の最高峰といわれたプロテスタント教会。1945年2月の爆撃のあと、聖母教会は瓦礫の堆積のままの状態で放置されていた。聖母教会の再建には、世界中から寄付と協力が寄せられ、1996年に再建開始、2005年10月に工事が完了した。
瓦礫から掘り出した1万個の瓦礫を組み合わせ、可能な限り元の位置に組み込む作業は《ヨーロッパ最大のパズル》と言われた。新しい部材との組み合わせがモザイク模様を描き出しているこの建物は、新しい名所となり多くの観光客が訪れている。
先日、再放送もされたNHKの《ハイビジョン特集
よみがえった聖母教会~ドレスデン 60年後の和解~》では以下のことが紹介されていた。
半世紀近く瓦礫のままに残っていた聖母教会は、東ドイツ時代に市民にとって平和運動のシンボルとなっていた。そのため瓦礫はそのまま残して、戦争の無残さを告発していこうと言う意見が多数を占めた。しかし、各国の協力を得て再建が始まると、爆撃をした側のイギリス、またドイツにひどい目に会わされたポーランドが再建に協力するに及んで、人々は過去の憎しみから《和解》に至るプロセスを体感していった。
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1945年の爆撃の以前の聖母教会(街なかの看板より) |
再建された聖母教会 |
ツヴィンガー宮殿 膨大なコレクションを展示する博物館
フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)は、城から近い場所に自らの居城として後期バロック様式によるツヴィンガー宮殿(Zwinger)を十数年かけて1732年完成させた。建築家ペッペルマンと彫刻家ペルモーザによるこの宮殿は、18世紀のザクセン・バロック建築の最高傑作といわれる。
1945年に第二次世界大戦でツヴィンガー宮殿も壊滅状態になったが、1988-1992年にかけて修復された。
ツヴィンガー宮殿内部は、現在、数学物理学サロン、陶磁器コレクション、兵器コレクション、アルテ・マイスター(古典巨匠絵画館)、動物学博物館など、強王の膨大なコレクションを展示する博物館となっている。
アルテ・マイスター(古典巨匠絵画館)
ツヴィンガー宮殿の王冠の門をくぐって、中庭の向こうに見える建物はゼンパー・オパーの設計者ゼンパーが19世紀半ばにイタリア・ルネサンス様式で増築した。左側のブロック(西ブロック)がアルテ・マイスター(古典巨匠絵画館)、右側が兵器コレクションとなっている。
アルテ・マイスターは1956年に多難な歴史を潜り抜け、ツヴィンガー宮殿の一角に再びオープンした。ザクセン侯が集めた14世紀から18世紀のヨーロッパの絵画の傑作が展示されており、この美術館はヨーロッパでも重要なコレクションを有する美術館のひとつと言われている。
アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの《システィーナの聖母》のほかレンブラント、ルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されている。
アルテ・マイスターの2階(ドイツ式1階)には世界に30数点しか残っていないフェルメールの作品が2点所蔵されており、今回はこの2点を見る機会に恵まれた。フェルメールの《窓辺で手紙を読む若い女》は05年に西洋美術館で開催された《ドレスデン国立美術館展 世界の鏡》で展示された。残念ながら、08年12月14日まで上野の東京都美術館で開催中の《フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち》には登場していない。
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ツヴィンガー宮殿の中庭
正面の建物の左半分がアルテ・マイスター(古典巨匠絵画館) |
フェルメール《窓辺で手紙を読む若い女》
アルテ・マイスターで撮影 |
ゼンパーオパー
ゼンパー・オーパー(Semperoper)はドレスデンにある州立歌劇場の愛称である。東ドイツ時代は《ドレスデン国立歌劇場》として知られていたが、現在はザクセン州立歌劇場である。新古典主義建築の代表作としても知られる、世界で最も華麗な劇場の一つ。
最初は、1838年から1841年にかけて、ザクセン王国の首都ドレスデンの旧市街にオペラ劇場(宮廷歌劇場)として、新古典主義の建築家ゴットフリート・ゼンパーの設計により建設された。(第一次ゼンパーオーパー)
1842年にはリヒャルト・ワーグナーが指揮者として招聘されている。ワーグナーは劇場の仕事と平行して、《さまよえるオランダ人》、《タンホイザー》、《ローエングリーン》などを作曲した。ワーグナーにとってゆかりの多い土地と言える。
劇場が1869年の火災で焼失すると、ゴットフリート・ゼンパーが改めて基本設計を行い、息子のマンフレッド・ゼンパーによって1878年に完成した。(第二次ゼンパーオーパー)
1945年のドレスデン爆撃により大きな被害を受け、瓦礫の山となったが、1977年からオリジナルの建物に忠実に再建され、1985年に完成した。舞台装置や装飾がよみがえり、音響効果の素晴らしさは、19世紀劇場建築の最高峰となっている。1990年のドイツ再統一に伴いザクセン州立の歌劇場になった。
今回は、08年5月22日の夜に、このゼンパーオパーでモーツアルトのオペラ《フィガロの結婚》を鑑賞した。(次号へ続く)【生部】
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ゼンパーオパーの外観 |
ゼンパーオパーをエルベ川の対岸より見る |