編集後記集
【メルマガIDN 第155号 080915】

■龍のコンサート三昧2008 【その8】ドレスデンからベルリンへ

壁の歴史などが展示されている


壁の詳細 TVでよく見る厚い壁は少ない


壁があったところにプレートが埋め込まれている





絵画ギャラリーはカルチャーフォーラムの中にある


フェルメール 紳士とワインを飲む女
 2008年5月24日の朝8時半に今回のツアーの最後の訪問地であるベルリンに向けて、ドレスデンのホテルを出発。10時頃に途中で休憩をとり、再び高速道路を北上、2日前に開通した高速道路のトンネルを抜けて、11時すぎに高速道路を降りる。まもなくシャルロッテンブルグ宮殿が見え、ベルリンの西方より市街へ入ったことがわかった。

ベルリンの壁
 市内のレストランで早めの昼食をとり、現地のガイドのKさんの案内で《ベルリンの壁》のあとを見に行った。2006年にベルリンを訪れたときにはこの場所に行かなかったので、壁の遺跡を見ながらKさんの説明を聞くことにより、よく理解することができた。

 第2次世界大戦後、敗戦国のドイツは資本主義体制の西ドイツと共産主義体制の東ドイツに分断され、ベルリンは米英仏露の分割統治下におかれた。西ベルリンは周囲を東ドイツに囲まれ、《赤い海に浮かぶ自由の島》となった。1961年8月にソ連統治下の東ドイツはベルリンの境界線を封鎖した。壁はすべて東ドイツ領内に建設され、その後、強固なものになり、東西が遮断された。

 東ドイツ政府は、1989年11月9日に東ドイツ市民に対して旅行の自由化(旅行許可書発行)を発表した。このことによって、ベルリンの壁は実質的に意味を持たなくなり、その翌日の11月10日未明になると、ハンマーや建設機械により、壁の破壊作業をはじめられ、ベルリンの壁は崩壊した。そして、東西ベルリンの境界だけでなく、東ドイツと西ドイツの国境も開放された。さらに、1990年10月3日に東西ドイツは正式に統一された。

 かつて西ベルリンを囲んでいた壁の大半は壊されて、一部で記念として保存されているのみである。壁が存在していたところには、車道などに道標として表示してあり、壁のラインをたどることができる。(写真参照)

 今回のコンサートツアーの訪問先、ウィーン、チェスキー・クロムロフ(移動の途中に寄り道した)、プラハ、ドレスデン、ベルリンは歴史に翻弄された都市である。実際に足で歩き、過去の遺産と復興したまちを見ることにより、ヨーロッパ都市の苦難の歴史を身近に感じることができた。

ブランデンブルグ門
 ベルリンの壁を見たあと、ブランデンブルグ門へ行った。ブランデンブルク門は、都城都市だったベルリンに18箇所あった都城の門のひとつ。1868年に城壁が取り壊される中、唯一残されたのがこのブランデンブルク門。

 1960年に東ドイツが東西の境界線を封鎖し、後に《ベルリンの壁》を建設すると、門は東に位置し、門の先は東ベルリンの西端の行き止まりとなった。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、再び門の下を通行できるようになった。門は2000年12月から改修工事が行われ、ベルリンを代表する観光地となっている。

 2006年の6月に訪れたときには、ワールドカップ開催の直前で、門の東側に巨大なサッカーボールのモニュメントがあったが、今回は通常の状態に戻っていた。門の周辺はパントマイムも沢山居て、観光客であふれていた。
 
絵画ギャラリー(絵画館)
 ブランデンブルグ門を後にして、午後の2に頃より絵画ギャラリー(絵画館)を訪れ、ガイドのKさんの案内で見学した。
 絵画ギャラリーは、ポツダム広場の近くにあり1998年に開館した絵画館。ベルリンの文化の集積地として再開発されたティアガルテン地区の一角にあり、《カルチャーフォーラム》の建物のなかでも広い面積を占めている。

 エントランスホールから円形の入り口を通り、絵画ギャラリーに入ると縦長の広いアトリューム(吹き抜けの空間)が広がっている。アトリュームの両側の展示室に、13世紀から18世紀までのヨーロッパ絵画1400点以上が展示されている。

 手前から時代の古い順に、国別に絵画が展示されており、アンジェリコ、ボッティチェリ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントなど、見ごたえのある作品がたくさん並んでいる。
 アトリュームを左右に横切りながら、手前の古い時代の絵画より奥へと進むのが、ここの展示の趣旨にあった鑑賞の仕方であるとのことだが、時間の余裕がなかったために、右側の手前から時計と逆周りに見て歩いた。
 ドレスデンのアルテ・マイスター(古典巨匠絵画館)では有料で写真撮影が許されたが、ここでは自由に撮影することができた。

 絵画ギャラリーには世界に30数点しか残っていないフェルメールの作品のうち、《紳士とワインを飲む女》と《真珠の首飾りの女》を見ることができた。1991年に発行された《フェルメール画集(リブポート社》には、ダーレム美術館蔵と記されており、1998年に絵画ギャラリーが開館したときにここに移されたらしい。この2点は08年12月14日まで上野の東京都美術館で開催中の《フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち》には登場していない。

 これは余談であるが、ベルリンで絵画館の情報を記す。ベルリンで絵画を見るのに以下のことを理解していると、自分の目的にあった時代の絵に行き着くことができる。
 1990年の東西ドイツ統合後、それまで東ベルリンと西ベルリンにそれぞれ14館あった博物館・美術館は統合整理され、所蔵されていた美術品も、部門別に整理が進められた。
 1998年にティアガルテン地区に建設された新しい《絵画ギャラリー(絵画館)》には、従来ボーデ博物館とダーレム美術館にあった絵画のうち、18世紀以前のものが集められた。
 19世紀の絵画(19世紀ドイツ絵画、フランス印象派など)は博物館島の《旧ナショナルギャラリー》に、20世紀のもの(ピカソ、ムンク、クレーなど)はティアガルテンの《新ナショナルギャラリー》に展示されている。

 絵画ギャラリーを後にして、バスでホテルへ行ってチェックイン。その夜のコンサートへの出発時間は4時半であるとの案内を確認して、ホテルの部屋で休憩し、夕方の出発に備えた。
 
 今回の最後の訪問地であるベルリンでは、コンサートが予定されていたベルリンフィルの本拠地《フィルハーモニー》が火事になる、というとんでもないアクシデントに見舞われた。コンサート会場が《フィルハーモニー》から、野外コンサート会場として有名な《ヴァルトビューネ》に変更になり、予想もしなかったコンサートを経験することになった。その顛末については次号に書くことにする。【生部】

ベルリンの写真はこちらをご覧ください。

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