編集後記集
【メルマガIDN 第168号 090401】


■編集後記 お気に入りの時計
 メルマガIDNの166号と167号の二回にわたって時計のことを書いた。166号では43年前に買った手巻き機械式腕時計《グランドセイコウ》がよみがえったことを、167号では、最先端の新しい技術を取り入れた時計についても紹介した。時計については前回で終わりにしようと思ったが、日経新聞(09年2月27日)夕刊の《心の短手箱》に掲載された、片岡仁左衛門の《初めて買ってもらった腕時計》を読んで、もう一回続けてみようという気になった。
 

片岡 仁左衛門が褒美に買ってもらった腕時計
 仁左衛門は、中学生の頃に、父親(十三代目仁左衛門)から中三針の、当時としてはハイカラな時計を買ってもらった。五十年以上経つが今も現役で、ゼンマイを巻いては時々使っているそうである。写真が掲載されているが、メーカー名を読み取ることは出来ない。

 褒美の由縁として以下のことが書いてある。ある舞踏公演で《五条橋》を踊った時のこと、京都・五条橋の上で弁慶が牛若丸に敗れて主従の契りをするという、あの有名なくだりである。父の弁慶で、私は牛若丸。牛若は被衣(かつぎ)をかぶって出てゆく。いざ舞台へ出ようと、「被衣をください」と父のお弟子さんを見やると顔面蒼白。忘れていたのだ。もう間に合わない。私は被衣なしで出てゆき、振りを変えて踊りとおした。小さい時からの経験がものをいったのであろうが、慌てず騒がず、そのクソ度胸への褒美だったのだ。父から「何がほしい」と聞かれ、私はすかさず「時計」と叫んでいた。

 「時計」と叫んだ理由も書いてある。次兄の秀太郎が小学校の頃から腕時計を持っていてうらやましかった。兄がなぜ腕時計をしていたかといえば、授業中に舞台の出番の時刻を知るためである。時間が来ると先生に断って早退し、別の教室に居る私を迎えに来て一緒に劇場へ向かった。

 仁左衛門は、新型が出たら古いものを捨ててしまう風潮は問題だ、地球環境からも古いものを大事に使うことが肝要ではないか、とも書いている。
 

広告が掲載されている雑誌


遊び仲間 夜更かし時計


ベルトの押型(雑誌の広告より)

1989年は思い出深い年
 写真に示す時計は、89年11月12日にフランクフルトから成田に向かう飛行機の中でドイツのスポーツ雑誌の広告で見て、ひと目で好きになり、探すのに苦労をしてやっと手に入れた時計である。この時計は、89年のたくさんある思い出のひとつ。

 89年に科学技術と経済の会が主催した「ヨーロッパ技術開発国際化システム調査団」に参加した。当時、建設業界の研究所で研究・管理の仕事を担当することになり、海外の企業のR&Dマネージの手法を学ぶためにこのツアーに参加した。

 当時の記録を見ると、14泊16日間の旅程で、9つの都市に行き、14の有名企業と団体(OECDやEC)などを訪問している。このツアーでは、昼間はヨーロッパにおけるR&Dとそのマネージの知識を得るのに全力を尽くし、夜はコンサートに徹した感がある。
 当時はインターネットなど便利な手段はないので、訪問した都市でコンサートの情報を探して予約をし(ホテルで予約をお願いし)、皆が食事やワインを楽しんでいる時間帯にコンサートに出かけた。14泊のうち5回もコンサートを楽しんでいる。

 73年にルーブル美術館の別館で見たゴーギャンの《白い馬》にオルセ-美術館で再会したのもこのツアーの時。パリでの休日にオルセーとオランジュリへ行った。

 この年の大きな出来事は、ベルリンの壁の崩壊である。89年11月9日に東ドイツ市民に対して旅行の自由化が発表され、10日未明になると、ハンマーや建設機械により壁の破壊作業をはじめられ、ベルリンの壁は崩壊した。
 このツアーでベルリンを訪問していないが、われわれは、12日にチューリヒを出発しているので、成田へ向かっている時にも壁が壊されていたことになる。
 
遊び仲間の《夜更かし時計》
 このツアーでは、昼は仕事、夜はコンサート、休日は美術館めぐりで、充実した日々をすごした。すべての日程を終え、チューリッヒを発ち、フランクフルトでトランジット、少しの疲れと安堵感を得て、飛行機の中でワインを飲みながら雑誌を見ていて目にしたのがこの時計の広告写真。ひと目で好きになり、ほしいと思った。写真をよく見たらSEIKOという文字が目についた。

 帰国してから留守中の仕事を片付け、分担を割り当てられていた訪問先のレポートの作成を終え、時計探しを始めた。SEIKOだからすぐに入手できるだろうと気楽に考えた。まず時計の量販店でSEIKOの製品が並んでいるウインドウを探したが、見つけることが出来ない。近くの時計屋さんに行って、雑誌の広告写真を見せても、こんな時計は見たこともないし知らない、とそっけない返事がかえってきた。

 雑誌を持って銀座の和光へ行った。このような製品は扱っていません、とここでも最初はお手上げ状態。SEIKOと表示してあるでしょう、と粘っていたら、ちょっと待ってくださいということになり、やっとカタログが出てきた。これは海外向けの製品で、入手することは困難ですとの返事。仕方なく、もし可能性があったら入手したいと頼んでその日は引き上げた。

 半ばあきらめていたころに、見つかりましたとの知らせが来た。ただし、雑誌の写真にある濃紺の皮のベルトは入手できず、金属の鎖付とのこと。早速和光へ行って念願の時計を購入した。保証書発行の日付は、90年1月26日になっているので、最初に雑誌でこの時計を見てから、2ヶ月半が過ぎていたことになる。

 その後、濃紺のベルトと茶色のベルトを取り寄せてくれ、2004年には、雑誌の写真と同じく濃紺のベルトに押型のあるものも取り寄せてくれた。現在もそのベルトを使っているが、相当にくたびれており、押型も見えにくくなっている。これと同じベルトは作られていないので今は入手できない。
 この時計はクオーツ式のムーブメントが使用されている時計である。電池交換を何回かし、19年間オーバーホールもしないのに、一度の故障もなく正確に時を刻んでいる。

 最近は慣れてきたが、あまり明るくない店でお酒を飲んでいると、時計を見ても時刻を見誤ってしまうことがよくあった。この時計は、私にとっては遊び仲間の《夜更かし時計》である。
【生部圭助】

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