■編集後記 源氏物語錦織絵巻展を見た
京都人は、「先の戦争で焼け野原になった」という。ここで言う《先の戦争》とは、500年前の応仁の乱を指す。西陣という地名は、応仁の乱における東軍の細川勝元に対する山名宗全が本陣を構えた地ということで《西陣》と呼ばれている。応仁の乱が収まった1477年、全国に散らばっていた織職人たちが京都に戻り、今の《西陣》辺りの地に、その復興の端緒として機音をよみがえらせた。
【開催案内チラシより】 |
《西陣》は平安時代の初期、宮中の織部司と呼ぶ織所をそのルーツとしているが、《西陣》の伝統と織技術を駆使し、最近ではコンピュータを設計に導入して、山口伊太郎が《源氏物語錦織絵巻》を完成させた。
大倉集古館で《天上の織物 山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻展(09年4月2日~6月28日)》が開催された。山口伊太郎が70歳の時に一念発起して、以後三十余年に渡る研究と試作を経て織り上げられた全四巻が一堂に展示された。
私が訪れた日は、野中
明氏(山口伊太郎の実子 母方の姓を名乗っている)のギャラリートークが予定されており、おかげでその日の後の予定を反故にしてしまったが、興味深い話を聞くことも出来た。
源氏物語
《源氏物語》は平安時代中期に成立した長編物語であり、作者は一条天皇の中宮である藤原彰子(藤原道長の娘)に女房として仕えた紫式部とされている。
《源氏物語》は写本として残されたもの読むことになる。写本については、藤原定家が校合した《青表紙本系》、源光行、親行の親子が校合した《河内本系》、これらのどちらでもない、特定の系統を示すものではない《別本》の3種類に分けられる。《青表紙本系》が最も紫式部の書いたものに近いとされている。
《源氏物語》は《雲隠》を除き、《若菜》を上下に分けて、全部で54帖あるが、全体の構成についての見方は多岐に渡っている。
《源氏物語》は源氏の生前と死後に大きく分けて、生前については、源氏の絶頂期(33帖藤裏葉)までと、女三の宮が登場してから(34帖若菜上)死去する(41帖幻)までに分け、死後については《宇治十帖》が中心であるが、その前に、橋渡しとしての3帖が位置していると思えば良いであろう。
源氏物語絵巻の各巻の順序は物語の流れと異なっているので、《源氏物語》の全体のストーリーと登場人物の系図を理解していないと、絵の各シーンの意味を深く味わうことが出来ない。
国宝 源氏物語絵巻
《源氏物語絵巻》は12世紀前半に生まれたとされる。源氏物語の各帖より、1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語の本文を書写した《詞書》を各図の前に添え、《詞書》と《絵》」を交互に繰り返す形式で構成されている。全部で10巻程度の絵巻であったと推定されるが、現存するのは、12帖に対する19図と17帖の詞書である。
国宝に指定されている《源氏物語絵巻》は、徳川美術館に、絵15面・詞書28面(絵合は詞書のみ)、五島美術館に、絵4面・詞書9面が分蔵されている。
両者とも1932年(昭和7年)に保存上の配慮から詞書と絵を切り離し、巻物の状態から桐箱製の額装に改めた。切り離しについては、相当の議論がなされたようである。
絵巻の寸法は、転地が21.5~22.0cm、長さは38.7~48.9cmである
山口伊太郎の源氏物語錦織絵巻
源氏物語錦織絵巻は、もととなる源氏物語絵巻を下敷きにしているが、錦織絵巻が出来上がった時期については、物語の順序とは異なっている。下表に各巻の概要を示す。
なお第四巻は、山口伊太郎が完成を目指して制作三昧の日々を過ごし、すべての準備を終え完成を待つのみとなっていた平成19年(2007)6月に山口伊太郎が105歳で亡くなった後、指示を受けていた職人たちによって、平成20年(2008)3月に完成した。
錦織絵巻 |
内容 ()内は帖を示す |
長さ(m) |
完成年 |
絵巻の所蔵 |
一巻 |
竹河(44)1・2 橋姫(45) 早蕨(48) |
9 |
昭和61年 |
徳川美術館 |
二巻 |
宿木(49)1・2・3 東屋(50)1・2 |
8.8 |
平成 2年 |
徳川美術館 |
三巻 |
鈴虫(38)1・2 夕霧(39) 御法(40) |
9.4 |
平成13年 |
五島美術館 |
四巻 |
蓬生(15) 関屋(16) 柏木(36)1・2・3 横笛(37) |
12.3 |
平成20年 |
徳川美術館 |
(注)錦織絵巻の天地寸法:32cm |
今回作られた図集や野中
明氏のギャラリートークの中でも、錦織絵巻についての山口伊太郎の思いや技術的なことに対する特徴や苦労話についての興味深い内容が盛り込まれているが、今回は下記の山口伊太郎の言葉を紹介するのにとどめることとする。
わしは絵巻の復元を目指したんやない。絵をそのまま織物にするなんて、無駄なことや。織でこそできる表現というものがあるはず。剥落が激しいおかげで、こちらの感性で自由に表現できる余地もある。だからこそ挑む価値があるし、面白いやないか。
紋織物技術により絵画的表現を目指す、という範疇をも越え、全体の風合いや量感を紋織物で表現し、経糸の色数を増やし、装束の浮織に太い糸を使うなどの新境地に踏み込んで《源氏物語錦織絵巻》は出来上がった。
4巻目になると、徳川美術館の復元絵巻も目にすることが出来るようになって参考にしており、色の選択が非常に濃い、明暗のはっきりした色調を使うようになった。
源氏物語 新たな発見と話題
08年は源氏物語千年紀ということで、たくさんのイベントも開催され、新たな写本や絵巻についての話題も豊富だった。徳川美術館が17世紀半ばに描かれたものの一部だと公表した《桐壺》を3巻にした絵巻が日本経済新聞で紹介されたが、見ごたえのあるものだった。
山口伊太郎が錦織絵巻に導入した技術や、19図の中より特に惹かれたシーンになどついては次回に続けたい。
参考文献
日本美術全集 第9巻(学習研究社 1977年12月初版)
名宝日本の美術 第10巻 源氏物語絵巻(小学館 1981年5月初版)
図集 山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻展 (山口伊太郎遺作展実行委員2009年4月)
日経新聞のコラム 明日への話題《蘇れ、西陣》
(京都銀行頭取 柏原康夫 2009年6月8日)
IDNふれあい充電講演会 講演内容および資料 (小池秀一氏 2008年9月8日)
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