成田山祇園会に行った
【メルマガIDN編集後記 第176号 090801】

 成田山新勝寺へは、年末年始や梅の季節などに時々訪れる。護摩祈祷の時間に合わせて行くことが多い。《龍の謂れとかたち》に興味を持ってからは、成田山ではたくさんの《龍》を発見し、私にとっては興味が尽きないところとなっている。

2007年に落慶した総門 門の上部に十二支の蟇股がおかれている

 最近では、成田山開基1070年祭記念事業として2007年に落慶した総門を見に行った。総門の上部には十二支の蟇股がおかれている。自分の干支の下をくぐり参拝するとご利益があるといわれている。

 09年7月12日に《成田山祇園会(ぎおんえ)》にいった。今年の祭りの最終日の午後から夕方にかけて、参道周辺は人が多く、熱気にあふれていた。
 威勢の良い《総引き》の山車や屋台を表参道の坂の途中で見た。また、《総引き》に待機している山車や屋台には、私の興味をひく《龍》の彫刻や織物をたくさん見ることが出来て楽しい一日となった。

成田山新勝寺
 成田山の正式名称は《成田山明王院新勝寺 真言宗智山派大本山》といい、天慶3年(940)に真言僧寛朝大僧正によって開山された。
 寛朝大僧正は朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼した不動尊像を奉持し難波津の港(現大阪府)より海路を下総に向かう。尾垂ヶ浜(千葉県匝嵯郡光町)に上陸し陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修した。

 大任を果たした大僧正は再びご尊像を奉じて都へ帰ろうとしたが尊像を運ぶ輿が微動だにしない。《我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて、無辺の衆生を利益せん》との霊告が響いた。寛朝大僧正は尊像を堂宇に祀って都へ帰って朝廷に報告した。天皇は深く感動し、諸堂伽藍を整え《成田山新勝寺》の寺号を授与し、東国鎮護の霊場として開山した。

成田山祇園会(ぎおんえ)

総引き 人垣の中を、先頭の上町の屋台が坂を上がってくる
囃子にあわせた手踊り 屋根方の所作を見る
 

上町の屋台 唐破風の内にある一枚彫り抜きの扁額(双龍の縁取り)
 
屋台の側面にある彫刻 龍の頭部と龍玉


子供たちもおめかしをして楽しそうに祭りに参加している

 成田山祇園会(ぎおんえ)は成田山新勝寺の本尊《不動明王》の本地仏である成田山奥之院大日如来の祭礼である。期間中、御輿の渡御と各町内会の10台の山車と屋台が若者衆によって引き回され、踊りとお囃子の競演が行なわれる。

 寺録では、約300年前の江戸時代の亨保6年(1721)にはすでに行なわれていたと伝えられており、成田山と町の人々が一体となって繰り広げる夏祭で、《成田祇園祭》とも称されている。

 江戸時代には出羽三山のひとつであるの流れを汲む湯殿山権現の祭礼として執り行われた。現在でも祭りの初日の夜、御輿が権現社(JR成田駅の近くにある)に一泊し翌朝には御輿と山車・屋台のすべてが権現社に集合するのもこの故事による。

 祭りのハイライトは、《総踊り》と《総引き》で、初日に行われる《総踊り》は、新勝寺大本堂前に御輿と全ての山車・屋台が勢揃いし、踊りとお囃子が競演する。
 また、門前近くの仲町地区の表参道の坂道で行われる《総引き》は、若者頭があおり、笛や太鼓で下座連の囃子がもり立て、急坂を駆け上がっていく勇壮な行事である。

 《総引き》では、屋根や欄間の上で提灯や傘などを持って所作をする屋根方と呼ばれる人たちが乗っている。動く山車の屋根の上でうまくバランスを取りながら所作をする姿は山車や屋台の動きを活気つける重要な役割を担っている。

 囃子には、江戸囃子(成田山公道会、本町、仲之町の山車)と佐原囃子(他の7台の山車・屋台)の2種類がある。

 山車の上部には神話の神様や時代の英雄を模した人形が載っている。人形には、成田山にゆかりのあるものとして、朱雀天皇(幸町)・八幡太郎源義家(花咲町)・素戔鳴尊(田町)・藤原秀郷(本町)・神武天皇(中之町)・大国主命(土屋)・日本武尊(成田山交道会)等がある。

山車・屋台
 一番古い屋台は、江戸時代の後期に作られた上町の屋台。新しいものは、1986年に作られた囲護台三和会の山車(09年は引き廻しをしなかった)や、成田山開基1050年祭を記念して1988年に作られた成田山道交会の山車などがある。
 大きく分けると3種類になるが、10台全部が異なっており、内訳は、人形山車3層人形上下枠上下型(5台)、人形山車3層人形上下枠固定型(3台)、舞台屋台(2台)である。

 山車や屋台には吉祥を表す彫刻、幕や衣装などの織物がふんだんにある。無彩色のもの、極彩色のもの、金張りのものなどいろいろである。

 江戸時代の後期に作られ、平成14年に一世紀ぶりの大改修が行われた上町の屋台を紹介する。(写真参照)
 屋根は唐破風一層作り、屋根・柱・土台・彫刻はすべて欅つくりである。
 吉祥を表すものとしては、双龍をあしらった一枚彫り抜きの扁額、鬼板(おにいた)には麒麟と伎芸天(ぎげいてん)、屋台の周りには四方を守護する、青龍・白虎・朱雀・玄武、前高欄には双龍玉・唐獅子・唐獅子牡丹、後部高欄には波に十二支、脇障子には極楽鳥など、《彫刻屋台》ともいえるものである。

 09年7月12日の3時頃にJR成田に着いた。上町の屋台が休んでいたのでゆっくりと見ることが出来た。花咲町の山車と狭い道ですれ違うところなどを見て、Uターンをして坂道を降りる上町の屋台に総門の前までついて行った。
 大本堂でお参りをしてから、《総引き》の時間まで待機している山車と屋台を見た。
 そのあと、17時から始まる《総引き》を見るために表山道の坂の途中の人ごみの中で待つ。
 先頭の上町の屋台の姿が見える。前触れの後、長い綱で多くの人たちによって曳かれ、屋根方の姿が現れ、にぎやかな囃子と勢いのいい掛け声とともに屋台が上がってきて一旦立ち止まる。小休止のあと掛け声とともに屋台が坂を一気に駆け上がってゆく。
 薄暮の時間帯まで、9台の山車と屋台の《総引き》を見てから、熱気が最高潮に達している人混みの中を駅に向かった。

《総引き》や山車・屋台の詳細はこちらよりご覧ください
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