編集後記集
【メルマガIDN 第178号 090901】

テニス三昧 
この8月は夏休みが多く、いつもは忙しくて自由に時間が取れなかった土曜日と日曜日にテニスコートへ行ってテニスを楽し、夏を満喫した。

デニスのグループ《球葉会》にいれてもらった
 地域の人たちのデニスのグループ《球葉会》にいれてもらったのは1980年のこと。当時はテニスが盛んで、この団地にもいくつかのテニスのグループが活動していた。そして、年に1回、複数のグループが共催してテニスの大会を行っていた。
 1980年の秋の大会に、はじめて参加を申し込んだ。ダブルスの組み合わせは抽選で行われ、私のパートナーは、テニスの腕は最右翼のKさんだった。トーナメント方式で勝ち進み、決勝の相手はWさんとIさんペア。その時は知らなかったが、最強のペアと対戦したのを後で知った。Kさんのおかげで優勝することが出来た。商品にいただいた中華の大皿と小皿のセットは今も使っている。

運営のための役割が回ってくる

8月のテニスコート
試合をしていない人たちは日陰や公園で強い直射日光を避けている

 このテニス大会がご縁で、《球葉会》に入れてもらった。それから約30年もの間、この会の仲間たちとテニスを楽しんでいる。
 《球葉会》では、土曜日・日曜日と祝日の9時から12時まで、コート2面を確保してある。できれば、冬の季節は午後の暖かくなってからの時間帯にしたいが、《球葉会》は団地の中で最も大きなグループなので、勝手な行動を出来るだけ避けるようにと、年中同じ時間帯にコートを使わせてもらっている。
 1980年当時は、テニス人口も多かったので、コートの確保に苦労した。ひと月前に先着順で申し込むために、奥様たちがローテーションを組んで、早朝の申し込みを行っていた。

 《球葉会》のメンバーは、最も多い時代では12世帯ほどであり盛況だった。年間の幹事役(3つの世帯が担当)が数年後ごとに回ってくる。年間の幹事は、その年のまとめ役を担うことになるが、年に1回の二泊三日の旅行と忘年会の幹事が主な仕事である。
 年間の幹事とは別に、コートでの集金とボールの管理の役が定期的に回ってきて、2ヶ月間の役割を果たして次の人にバトンタッチする。
 《球葉会》では、入会金や年会費は一切なく、コートに行った時に500円を支払うのが費用のすべてである。この500円で、必要経費である、コート代とボール代を賄っている。若干出る余剰金は、年末の忘年会や旅行の補助金として充当されている。

旅行などのイベント
 年に1回の旅行では、北海道から鹿児島まで、飛行機や列車を利用して出かけたが、そのうちに貸し切りバスを仕立てて、玄関からバスに乗り、玄関前に戻るスタイルに代わった。この何年かは旅行には行っていない。ひところの元気がなくなったことと、リタイヤーして時が経過し、財力不足も関係しているかもしれない。
 旅行の最も大きなイベントは、シンガポールへ観光に行って、土地のテニスクラブの有志と対抗戦を行ったことである。試合には惨敗したが、楽しい思い出の一つである。
 旅行会社に勤めている仲間の一人が企画したもので、このイベントの実験が成功したことをうけて、彼は、観光だけではなくテニスの交流試合を加えた旅行の企画を商品化したそうである。

 そのほか、春にはコートの隣の公園で《花見》をしている。12時にテニスを終えて、満開の桜の下に敷物を敷いて、ビール・お酒・ワインなどを飲む。おつまみは、以前には各家庭からの差し入れもあったが、最近は、近くのコンビニで調達することが多い。
 《自慢の一品持ち寄りの飲み会》は、多い時は20人もの人がその年の幹事の家に集まる会。お酒を飲むのは勿論、自慢の料理をいただくのも楽しみだったが、最近は行っていない。

週末のテニスはストレス解消に役立った
 例年、1月2日が《初打ち》であり、それから1年間、土曜日・日曜日と休日はコートに行けば、いつもの仲間の誰かが居て、必ずテニスが出来る。
 《球葉会》の特徴は、仕事関連のしがらみが一切ない、今の言葉で言えば、地域コミュニティに徹している所であろう。これまでの30年近い親しいお付き合いの中で、どこの会社に勤め、何をしているか(いたか)、知らない人も多い。
 私個人にとっては、《球葉会》に入れてもらった40歳の頃から十数年は、ウイークデーにはかなり厳しい仕事を強いられている時代が続いていた。仕事のしがらみがなく、勝手なことを言いながら、テニスに熱中して身体を動かすのは、最大のストレス解消法となり、貴重な土曜日・日曜日だった。

最近の《球葉会》は様変わり
 以来30年もの間、《球葉会》は継続しているが、その間、新しい人が加わり、亡くなった人もあり、体調が悪くテニスから遠ざかっている人も多い。
 《球葉会》にはテニスのコーチが出来る人も居て、以前は特訓もあったが、今は様変わりである。当時の平均年齢は30歳代後半だったのが、30歳の加齢となり、テニスの内容は当時の面影はない。技術と力で対抗することがなくなって、相手の欠点を突いて得点を期待するプレイスタイルに変わっている。しかし、次世代の若者が参加すると、つい張り切ってしまうこともある。
 3時間の使い方は、以前とほとんど変化していない。10時までを練習時間として、その後は試合となる。試合は4ゲーム先取で、スリーオールで引き分けとする方式を踏襲している。

 真夏のテニスはとにかく暑い。しかし楽しみもある。12時に試合を終えてうちに帰る。冷房を入れて、コップを製氷室に入れる。熱いシャワーを浴びたあと、適当に冷えた部屋で、チーズをつまみに飲むビールは格別においしい。
 午後は、レコード(レコードがCDに変わった)を聞いていると、つい居眠りをすることになる。これは現役時代の思い出であり、今も続いている。今年の8月には、午後の時間帯に高校野球を楽しんだ。

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