■オルセー美術館展~パリのアール・ヌーヴォー 19世紀末の華麗な技と工芸~
編集後記では、2009年秋に唐津と有田を訪れたことについて連載レ、今回は《佐賀県立有田陶磁文化館》でたくさんの伊万里を見たことを書く予定をしていたが、今年最後のふれあい充電講演会で世田谷美術館の《オルセー美術館展》を鑑賞したので、間に挟むことにした。
当日は、IDNのために、世田谷美術館の学芸員の遠藤さんより、2階の講義室で展覧会の趣旨やみどころについての特別講義をしていただいた。ここでは、特別講義で伺ったことに多少の内容を加えて、アール・ヌーヴォーについて展開してみたい。
オルセー美術館
オルセー美術館はセーヌ川の南岸にあり、セーヌ川の北岸にあるルーブル美術館とは対岸に位置している。オルセー美術館の建物は、会計院の廃墟となっていた土地にホテルを備えた近代的な駅として1900年のパリ万国博覧会の開催に合せてつくられた。アール・ヌーヴォーが花開いた時期に重なっている。
1939年に遠距離列車の発着を取りやめ、一旦再開発が決定されたが、駅を取り壊すことへの反対の声が盛りあがり、1970年代の大統領ポンピドーの提唱により、設計コンペを経て、1986年12月にオルセー駅は美術館として再生した。
オルセー美術館のコレクションの中核は、ルーヴル美術館付属のジュー・ド・ポーム・ギャラリー(印象派美術館)に展示されていた印象派の作品である。絵画のほか、彫刻、家具、工芸品、建築、デッサン、写真など、1850年から1914年の間に制作された芸術作品、約7万点が所蔵され、4000点の作品が常設展示されている。
オルセー美術館の内部(1989年撮影) |
かつての駅の名残の大時計(同左) |
まず、今回の展覧会はアール・ヌーヴォーがテーマになっているが、その前後の様式について概観してみたい。
アール・ヌーヴォー以前の様式
豪壮・華麗なバロックに対して、優美・繊細なロココ様式、ヨーロッパのアーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動:生活と芸術を一致させようとしたモリスの思想)の様式などが、アール・ヌーヴォーの前の時代に位置づけられる。
また、19世紀中頃の万国博覧会へ出品された日本美術(浮世絵、琳派、工芸品など)が注目され、ジャポニズム(日本趣味・日本心酔)の造形表現は、印象派やアール・ヌーヴォーの作家たちに強い影響を与えた。
アール・ヌーヴォー
アール・ヌーヴォーとは、新しい芸術という意味のフランス語で、19世紀末~20世紀初頭の約30年にかけて、ヨーロッパやアメリカでおこった革新的な芸術運動(装飾様式)である。
アール・ヌーヴォーは近代的な大量生産方式が主流の時代に、生活の美を見つめなおし、装飾や工芸を芸術の域まで高めた。流れるような曲線が織りなす優美なデザインを特徴としている。
アール・ヌーヴォーからアール・デコへ
アール・デコは1920~1930年代に起こった芸術革新運動。大量生産には向かず、世紀末の退廃的ともいえるデザインのアール・ヌーヴォーに代わって、すっきりとした幾何学的な線とパターン化された模様を取り入れた簡潔さと合理性を目指している。
ニューヨークの摩天楼(クライスラービル・エンパイアステートビル・ロックフェラーセンターなど)が代表例。日本では、朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)でアール・デコ様式の内装を見ることが出来る。
オルセー美術館展のちらし
オルセー美術館展のちらし(裏面の部分)
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オルセー美術館の謂れ、ロココ様式やジャポニズムからアール・ヌーヴォー、さらにアール・デコという流れを予備知識に持って、世田谷美術館に出かけた。
世田谷美術館のオルセー美術館展
学芸員の遠藤さんより、今回の展示は、アール・ヌーヴォーを、下記の7つのカテゴリーに区分して、オルセーの誇るコレクションから、エミール・ガレ、ルネ・ラリック、エクトル・ギマールなど巨匠たちの名品を中心に97件(147点)、国内より、12件(19点)が展示してあるとの説明があった。
生活空間が再現され、その中に、豪奢な家具、工芸品、照明器具、装飾品などが展示されていること、また、二人の人にスポットを当てた展示やパリの高級なアール・ヌーヴォーの作品のコーナーがしつらえてあること等の説明は、その後実際に展示を見る者にとって大変有意義なものだった。
1.サロン:来客との談笑やゲームなどをする空間
2.ダイニング・ルーム:食事をする空間
3.書斎:一家の主人がもっとも重要視する空間
4.エクトール・ギマル:建築家。
作品(地下鉄の入り口などの都市空間も含む)やスケッチなど
5.貴婦人の部屋:主婦の空間に置かれた家具や所持品など
6.サラ・ベルナール:俳優(女優)
アルフォンス・ミュシャのモデルにもなった。肘掛け椅子“昼と夜”など
7.パリの高級産業:パリの工芸技術によって制作された作品
工芸、家具、装飾品(七宝焼きや陶器など)
展示会場では、当時のパリの高級邸宅に足を踏み入れて使われている空間の雰囲気を味わった。また、特別講義で教わった、くわがた、かたつむり、トンボ、とまっているハエなども見逃さないように注意深く鑑賞した。
エピローグ
わたしは、1973年にルーブルへ行ったときに、モナ・リザなどを見るのもそこそこにして、別館(印象派美術館)を探して印象派を見た。以来、パリへ行く機会がなかったが、1989年の10月に、開館してから3年ほど後のオルセー美術館に行って、印象派の作品を見た。中でもゴーギャンを展示してあるゾーンでかなりの時間を費やした。
オルセー美術館では印象派という先入観があり、アール・ヌーヴォーを見た記憶は残っていない。当時の案内書によるとアール・ヌーヴォーはオルセーの中階にかなりの面積を占めているが、今回、遠藤さんに尋ねたら今も中階にあるとのこと。
ポンピドー大統領のおかげでオルセーは駅から美術館に再生し、印象派の殿堂となり、アール・ヌーヴォーもここに所蔵されている。1977年に登場したポンピドーの冠のついた芸術と文化の複合施設、ポンピドーセンターには、20世紀から現代に至る(1906年以降の)モダン&コンテンポラリー・アート作品の約6万点が所蔵されている。
ポンピドーセンターについても遠藤さんの特別講義で説明があったが、所蔵点数などについては、後日調べた。
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