編集後記集
【メルマガIDN 第188号 100201】

古墳時代の鏡
プロローグ
 まだ子供の頃、《天孫降臨》の話を聞いたときに、その場所は、私が生まれた佐賀平野の北方にそびえる《天山》ではないかと思ったことがある。また、車で30分ほどの所にある《吉野ケ里遺跡》が発見されたときに、これが《邪馬台国》であれば面白いと思ったこともある。このようなことを《郷土愛的》というそうで、根拠はなく、他愛ないことではあるが、古代史に少しでも興味を持つきっかけとはなるものである。

 東京国立博物館の平成館1階の考古展示室で開催されている《日本の考古》を見に行った。ここでは考古遺物で、石器時代から近代までの日本の歴史を紹介している。縄文時代の火焔土器や、弥生時代の銅鐸、古墳時代の埴輪などが展示してあり、その中に古墳時代の「鏡」が大量に展示されている。
 《鏡》の名称に龍が使われているものがあり、その謂れとかたちに興味を持ち、見て、写真に記録した。《鏡》そのものについて、また《鏡》に関係の深い邪馬台国についても、研究者の考えは統一されていないようで、一朝一夕にこの時代の全貌を知ることは不可能である。ここでは、私なりに整理し理解した範囲で、東博での展示の説明の内容を逸脱しないようにして紹介してみたい。
 
《日本の考古》の《鏡》の展示(平成館1階の考古展示室)
古墳時代を概観する 政治的社会の幕開けから王権の拡大
 弥生時代の墳丘墓と比べて、規模や構造がはるかに大きく、一般の墳墓とは隔絶した個人のための墳墓を前方後円墳と言い、この大型の前方後円墳の出現と普及をもって古墳時代と呼ぶ。
 弥生時代に政治的社会が出現・成立し、群雄割拠の時代を経て成熟していった結果、畿内にヤマト(倭)政権が誕生する。王権が拡大してゆくにしたがって、大和を中心とする前方後円墳が構築され、やがて各地方にも普及してゆく。その時期は邪馬台国の女王卑弥呼が亡くなった後の3世紀の後半、ないしは4世紀の始め頃と考えられている。
 当時のアジア世界は、朝鮮では馬韓・辰韓・弁韓の三韓時代、中国では魏・呉・蜀の三国が対立する三国時代から、それを統一した西晋時代へと移行してゆく時期である。


三角縁竜虎鏡  中国製 3~4世紀
出土:山口県下松市宮ノ洲古墳



だ龍鏡 古墳時代・4世紀
出土:不詳
 サイズ:大


盤龍形鏡 古墳時代・4世紀
出土:岡山県備前市鶴山丸山古墳


古墳時代の鏡
 《鏡》は、弥生~古墳時代には権威のシンボルとして、墳墓に盛んに副葬された。3~4世紀の古墳には、精巧な舶載鏡(輸入された鏡)やぼう製鏡(国産鏡)が大量に納められ、副葬品の重要な位置を占めている。古墳から出土する中国鏡のほとんどは、後漢時代から六朝時代に造られたものである。
 古墳時代の鏡は姿を写す面が表、各種の文様と中央に紐を通す鈕(ちゅう)がある面が裏で、名称は文様の違いでつけられている。

三角縁神獣鏡
 古墳に副葬された《三角縁神獣鏡》は、断面が三角形の縁と、神獣像を中心とした浮き彫り風の文様を持つことを特徴とする。魏志倭人伝に見るように、邪馬台国の女王卑弥呼が魏(220~265)に朝貢した年に倭の国に贈られた。景初3年(239年)には、銅鏡100枚、翌年の正始元年にも《鏡》を与えたことが書かれている。現在、その両年の銘のあるものをはじめ500面近くの《鏡》が発見されている。

 《三角縁神獣鏡》については、主に3系統の文様(二神ニ獣・四神四獣と陳氏作神獣タイプ)があり、図像の形と配置を少しずつ変化させながら、国産の三神三獣鏡に集約されていった。会場には、《鏡》の種類と変遷を系統的に図解して示してある。

 ここでは、展示された「鏡」の中で名称に龍が使われている、三角縁龍虎鏡、だ龍鏡、盤龍形鏡について紹介する。

三角縁龍虎鏡
 《三角縁龍虎鏡》は3~4世紀の中国製であり、弥生時代から古墳時代の初期に位置しており、今回の展示の中でも古い時代に属している。竜虎鏡は、古墳からの出土例は少なく、古墳から単独の副葬鏡として出土するので、その製作年代などの確定が困難であるとのこと。後漢末期~三国時代を中心に製作されたものだと考えられている。

だ龍鏡
 《だ龍鏡》は主として《環状乳神獣鏡》を手本として作られたぼう製鏡(国産鏡)で、内区には乳をめぐる龍の長くのびた胴の上に、神像と口に棒状のものをくわえた小獣形をおく。神像と龍が頭を共有している場合が多いのがこの種の鏡の特徴である。このような大形で精巧な鏡を鋳造することができたということは,当時の技術水準の高さを物語っている。

盤龍形鏡

 面径12~16cmほどで、文様は、鈕(ちゅう:中心部の突起)を中心に、内区に、龍と虎が向かい合う配置(竜虎文)の構図をとる。縁に鋸歯文、複線波文を主に用いるもので縁は比較的厚い。

方格規矩四神鏡
 《方格規矩四神鏡》は、四神像を細い線で表出し、方格規矩文をもつことを特徴とする。宇宙の秩序を示す、鈕(ちゅう)を巡る方形区画(方格文)とT・L・V形の物差し(規矩文)の間に、四方を守護する霊獣の四神像《青龍・白虎・朱雀・玄武》のほか、霊芝を青龍に与える神仙や仙鹿などが表されている。
 なお、東博には精巧に加工された《方格規矩四神鏡》が展示してあったが、写真の撮影が許されていなかったので、ここに紹介できないのは残念である。この鏡には、銘帯に三国時代(AD.220~280)・魏の元号を含む、39字からなる銘文がある。

エピローグ
 この時期、本館2階の《日本美術の流れ・日本美術のあけぼの》のゾーンに《だ龍鏡 古墳時代・4世紀 山口県柳井市 柳井茶臼山古墳出土》が展示されている。この大型の鏡は、写真に示している《だ龍鏡(古墳時代・4世紀 出土:不詳)》と瓜二つで、同笵鏡(同じ鋳型から造られた)かとも思われるが、詳細に見比べると異なっているのがわかる。
 《方格規矩四神鏡》の四神が各々東西南北を示すのは、四神信仰として、以前の編集後記にも書いた、高松塚古墳や横浜中華街の門の場合と同じ考え方である。
 最もシンプルな二神ニ獣のタイプでは、東王父と西王母、青竜と白虎が世界の東西を守る神仙と霊獣として表現されている。以前に、平安神宮で、手水所の蒼龍と白虎、大極殿の東には《蒼龍楼》、西には《白虎楼》が置かれており、南北を守護する朱雀と玄武がないのを不思議に思った。これは東西を守護すると言う考え方もあるのかと、私なりの納得をすることとなった。
 今回はネットのお世話にもなったが、邪馬台国について参考とした古い(本棚の奥にあった)資料と新しい資料を挙げておく。
【生部圭助】

【参考とした資料】
 高木彬光:邪馬台国の秘密 (1973年12月 光文社)
 大平裕:日本古代史正解 (2009年1月 講談社)

こちらでたくさんの写真(拡大写真など)を紹介していますのでご覧ください

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