■龍のコンサート三昧2010 【その2】ミュンヘンは人情味もあるドイツ南部の文化都市
成田を2010年3月9日の14時40分に出発し、アムステルダムでトランジット、15時間ほどの長旅のすえ、21時40分頃(現地時間)にミュンヘン空港(フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港)に到着。空港の外へ出たら空気の冷たさに驚く。出迎えのバスの外気温度表示はマイナス3度を示していた。22時過ぎに空港を出発し、30分ほどで、今回のツアーの最初のホテルである《ヒルトン ミュンヘン シティ》へ到着。翌日の予定などを確認し眠りについた。
ミュンヘンへは1973年に訪れたことがある
1973年に、航空・都市交通視察団の一員として《パリ国際航空宇宙ショー》や《第1回総合交通博「トランスポール・エキスポ73」》を見て、ヨーロッパのいくつかの企業や団体を訪問した。
ミュンヘンでは、クラウス・マッファイ社を訪問した。合併前のマッファイ社は、第2次大戦前のオリエント急行を牽引したことで有名な世界最高速を誇った蒸気機関車S3/6形の設計・生産を行っていた。
クラウス・マッファイ社では昼食をご馳走になり、自然食(今でいう有機飼料)で育てた豚肉のソテーをご馳走になった。そのときのドイツ産の白ワインがおいしかったのを今でも覚えている。
ミュンヘンでは、新市庁舎の仕掛け時計、1972年に開催されたミュンヘン・オリンピックの会場《オリンピアシュタディオン, ミュンヘン》、を見たことが記憶に残っている。1973年のミュンヘンの名残のひとつは、ヘンケル社のつめきり。これを今も愛用している。
ミュンヘンは泥くささもあるが人情味もあるドイツ南部の文化都市
ミュンヘンは、ドイツ南部の都市で、バイエルン州の州都である。ミュンヘンという名は、ミュンヒ(キリスト教徒の僧侶)が住む街だったことが名前の由来とされている。
1158年、バイエルン大公ハインリヒ獅子公によってイザール川に橋がつくられ、時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世によって、ミュンヘンに市場を開く権利、貨幣鋳造権、イザール川に架けた橋の管理権が付与された。1158年6月14日がミュンヘン発祥の記念日となっている。
レジデンツ アンティク・クヴァリウム(考古館)
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新市庁舎の仕掛け時計《グロッケンシュピール》
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みぞれ交じりの《アルテ・ピナコテーク》 正面
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ノイエ・ピナコテークのゴーギャンの絵
Paul Gougin(1848-1903):The Birth tamari no atua 1896
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1808年にマクシミリアン一世が即位したときから、バイエルン領が独立した王国となり、ミュンヘンはその首都として発展した。ルートヴィッヒ一世、マクシミリアン二世、ルートヴィッヒ二世と続いた19世紀のミュンヘンは、芸術・文化の華が開き、ヴィッテルスバッハ家の宮廷都市として栄えた。
現在のミュンヘンは、面積は310
km2、人口は約135万人、ベルリン特別市、ハンブルク特別市に次ぐドイツ第3の都市。ザルツブルク、インスブルック及びドイツとイタリアを結ぶ交通の要衝であり、ドイツのみならずヨーロッパ文化の中心地のひとつである。
また、ミュンヘンはハイテックを中心とする産業の一大中心地でもある。ミュンヘン工科大学、BMW、ジーメンスなどの大企業がこの街に本社をおいており、日本のハイテク企業のオフィスも多い。現在の在住日本人の数は、3,100人とのこと。
ミュンヘンでの初日はレジデンツ博物館よりはじまる
一夜明けた3月10日は、ミュンヘン観光の日であり、夜は今回のツアーの最初のコンサートが予定されていた。
まず、ガイドのKさんに連れられて《レジデンツ》へ行って10時の開館を待つ。
《レジデンツ》は、5世紀に渡りバイエルンを統治したヴィッテルスバッハ家の本宮殿。1385年に新しい宮殿の建設をスタート、増改築が繰り返えされ、ほぼ現在の形に完成したのが、19世紀のルートヴィッヒ一世の時代。400年以上の歳月を費やして築かれてきた建物は、ルネサンス、ロココ、バロック、新古典主義の各様式が混在している。
バイエルン最後の王ルートヴィヒ三世が退位し、1918年に王政が崩壊し、その2年後に博物館として一般公開された。第2次世界大戦で建物の被害はあったものの、美術品や財宝の数々は疎開していたため無事だった。
レジデンツ博物館ではあまりにもたくさんのものを見て、記憶は散漫ではあるが、アンティク・クヴァリウム(考古館)、祖先画ギャラリー、陶磁の部屋などを写真で記録に残した。
新市庁舎の仕掛け時計
12時に、ミュンヘンの中心地マリエン広場に面している新市庁舎の仕掛け時計《グロッケンシュピール》の等身大の人形による騎馬試合などのパーフォマンスを見た。12時を待つ間にヨーロッパの寒波のすごさを経験した。
マリエン広場を後にして近くのレストランで昼食をとり、ドイツで始めてのビールを飲んだ。昼食の後、個性的な2本の塔を持つ後期ゴシック様式のフラウエン教会(聖母教会)の《悪魔の足跡》などを見た。
夕食会での自己紹介
3月10日には、ツアーで最初の夕食会が開催された。夕食会の席上で、前回の2008年のツアーの時にはやらなかった自己紹介の時間が設けられた。
参加者は全19名で、男性が9名の構成。女性が圧倒的に多く、地方から来た人も多かった。音楽関連のツアーに数回来たとか、年に3回ほど、と言う人もいて驚いた。
私は、1963年に建築雑誌に掲載介された、ベルリンのコンサートホールの説明資料を持参していることを紹介したところ、たくさんの人から見せてほしいとの注文があり、「あの変てこなホールがどのようにして出来たか良くわかった」と読後感を聞かせてくれた女性もいた。
夕食会のあと7時半頃に、寒い中を歩いてホテルの近くにあるコンサートホール《ガスタイク》へ出かけた。ミュンヘンフィルとコンサートについては次回に。
アルテ・ピナコテーク(旧絵画館)と
ノイエ・ピナコテーク(新絵画館)
ミュンヘンでの2日目(3月11日)は、午前中に買い物に出かけ、一旦ホテルへ戻って昼食を済ませた後、みぞれ交じりの中、2つの美術館を訪れた。
《ピナコテーク》は絵画の収蔵所、《アルテ》は古い、《ノイエ》は新しいという意味で、ミュンヘンにはこの2つの美術館が、隣同士に向かい合って配置されている。
《アルテ》には、バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の収蔵品で、デュラーや宗教画などの古典絵画(14~18世紀)が展示されている。以前はあまり興味を示さなかったジャンルであるが、このところ何回かヨーロッパの美術館を訪れているうちに、見どころを会得したような感じがする。
《ノイエ》は、バイエルン国王ルートヴィヒ1世によって1853年に設立された美術館で、ドイツ・ロマン派やナザレ派などのドイツ近代絵画、さらにモネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンなど印象派の作品が充実している。《ノイエ》では、ゴッホの《ひまわり》などのほか、ゴーギャンの作品を3点見ることが出来て喜んだ。このときには、アムステルダムの国立ゴッホ美術館で大量のゴーギャンを見ることが出来ることは知る由もなかった。
《龍と仲間たち》との出会い
3月11日にミュンヘンからバスツアーを予約していた《ノイシュヴァンシュタイン城》へ行けなくなって、お城にある二つの龍の絵を見ることが出来なかった。かわりに当日の午後は《アルテとノイエ》の2つの《ピナコテーク》でたくさんの絵画を見た。この中に、聖ゲオルギウス(GEORG)がドラゴン(DRACHEN)を退治している絵を2枚見つけた。また、《レジデンツ》では、中国のものと思われる、龍の絵を染め付けた花瓶を写真に記録した。
聖ミヒャエル教会には《悪と戦う天子ミヒャエル》のブロンズ像と祭壇画があることを戻ってから知った。すぐそばを歩いたのに見逃してしまったことは残念である。今回出会った《龍(ドラゴン)》については、私のホームページ《ヨーロッパで出会った龍と仲間たち 2010》に掲載すべく準備を始めている。
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