平家物語~紙版画と琵琶演奏語りのコラボレーション~
【メルマガIDN編集後記 第201号 100901】

 2008年4月24日に、IDNの講演会(第79回)の行事として、光が丘美術館を訪れた。美術館の2階の壁面すべてを使って展示されている井上員男氏の紙版画「平家物語」を見て、ご本人より作品にまつわる思いを聞き、作品の解説をしてもらった。
 それからおよそ2年後の2010年6月5日に、大宅壮一マスコミ塾の例会で、2階の展示室の紙版画『平家物語』に囲まれた空間で、『平家物語』の琵琶演奏語りを聴く催しがあった。

光が丘美術館の外観


2階には紙版画『平家物語』が常設展示してある


紙版画『平家物語』の空間に演奏会場がしつらえられた


古澤錦城さん  塩高和之さん  古澤史水さん


若手演奏家の塩高和之さん   視線を下げて、姿勢を正して始まりを待つ


光が丘美術館
 光が丘美術館(東京都練馬区)は、光が丘駅の近く静かな佇まいの一角に位置しており、所蔵美術品は、日本画、陶芸、版画を軸に、日本画壇に若き息吹を送り込む気鋭溢れる作家達による意欲作を特徴としている。
 館長の鳥海源守氏よると、紙版画『平家物語』を一式購入し、その展示のためにこの美術館を作ったという。美術館の建物は、屏風に装丁されている紙版画『平家物語』の全長とその配置を考慮して、大きさと形が決められたとのこと。

井上員男の紙版画『平家物語』
 紙版画『平家物語』は井上員男氏が構想12年をかけて完成した作品であり、全長76メートルにも及ぶ、屏風仕立ての壮大な絵物語。
 各場面に『平家物語』の原文を自書した詞書の六曲屏風と版画の六曲屏風が一双となる構成。全十二双に、最後の《六道》は詞書のみの一隻が加わる。

十二双の作品は下記のように構成されている。
我身栄花・厳島御幸・富士川・平清盛公の薨去・倶利伽羅落とし・平家 一門都落ち・坂落し・一の谷合戦・頸渡し・扇の的・壇ノ浦合戦・大原御幸・六道(詞書のみ)

 光が丘美術館の2階の展示場では、作家独自の技法《紙版画》と800年前の源平合戦を描いた平家物語の融合による幽玄の世界を堪能することができる。

『平家物語』の琵琶演奏語り
 琵琶演奏語りを始めるにあたって、館長の鳥海源守氏より挨拶があり、そのあと、紙版画の作者である井上員男氏から短い言葉を頂いて、古澤錦城氏の解説により本日のイベントの開始となった。

琵琶の種類
 琵琶の種類には、一番古い宗教音楽としての盲僧琵琶以外に、楽琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などがある。薩摩琵琶と筑前琵琶にも弦が四弦と五弦がある。

 薩摩琵琶は、糸は四弦で、材料は桑の木で出来ており、男性的で、勇壮な弾法崩れや哀切綿々な節は、吟替わりが特徴。昔は薩摩武士が精神修養のために弾いたものが現在の琵琶に繋がっている。

 筑前琵琶は、福岡を中心にある筑前盲僧の流れを汲んでいる。現在の形になったのは明治時代で、初代橘旭翁が薩摩琵琶や三味線などを研究して作り上げた。筑前琵琶の曲調は、女性的で華やかなものが感じられる。琵琶奏者は女性が多い。

 平家琵琶は古典琵琶といっても良く、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『耳なし芳一』が弾くのが平家琵琶である。

敦盛:
 平家物語でも有名な一ノ谷の戦いでの逸話。沖にある助け船に向かっていた敦盛(平清盛の弟である平経盛の末子)は直実の、「あれは如何に、よき大将軍と見受けたり。見苦しきかな、敵に後ろを見せるとは。返えさせ給えや」と、扇をあげて差し招くのに応じて馬を帰す。武蔵野の国の荒武者熊谷次郎直実と武者は馬上で取っ組み合いになる。
 直実はこの武者を汀にて取り押さえ、首を取らんと兜を取り去る。ところが見れば自分の息子と同じ年恰好の若武者、思わず我が子を思い出し、哀れが身に沁みる。直実は涙ながらに首を取る。(薩摩琵琶四弦と歌:古澤史水)

経政:
 当日演奏されたのは、能『経政』をもとにして、塩高和之が琵琶歌として創ったオリジナル曲。一ノ谷で経政(平清盛の弟である平経盛の子)が討たれたとの報に接し、仁和寺では琵琶「青山(せいざん)」を仏前に備えて管弦講を催して回向をする。その夜、経政の亡霊が現れて、礼を述べ、仏前の琵琶をとって懐かしく弾く、というお話。(薩摩琵琶を現代の感覚を加味した五弦と歌:塩高和之)

那須与一:
 一ノ谷の戦いで敗れた平家は屋島を安徳天皇の仮御所とする。義経の奇襲で平家は海に逃れ、陸側の源氏と対陣する。約70メートルほどのところに横さまにとまった船に、日の丸を掲げて立てた竿を玉虫が持つ。
 下野の国の住人那須野与一は「射損ずれば弓切折って、自害せん」と黒駒にうち乗ってざんぶと海に乗り入れる。(筑前琵琶と歌:橘会の鶴山旭翔)

知章の最期:
 一ノ谷の戦いで、平家の総大将平知盛の嫡子である知章は父を助けようとして討ち死にを遂げる。一ノ谷の戦いでは、十六、七歳の少年たちが多く討ち死にしている。(平家琵琶の演奏と歌:古澤錦城)

壇ノ浦:
 一ノ谷、屋島の戦いで破れた平家の船は関門海峡の彦島へ行く。元暦2年3月24日の卯の刻に決戦の鏑矢が放たれる。
 平家は最後のときをむかえる。幼い安徳帝は二位の君に抱かれて入水。平家の総指揮官平知盛も「見るべきものはすでに見つ。今は自害せん」と海に飛び込む。(弦:塩高和之 歌:古澤史水)
 
エピローグ
 今回は、紙版画に囲まれた空間で平家物語の琵琶演奏語りを聴いた。4種類の琵琶による『平家物語』を聴く機会は少なく、貴重な体験をすることが出来た。

 演奏会の終了後は紙版画の井上員男さんも加わった懇親会が催された。お酒を飲みながら若手の琵琶奏者の塩高和之さんと話をした。
 現在の琵琶は、女性の手習い事になっており、かつての精神修養としての意味合いがうすれていること、琵琶の演奏会の機会が少なくなっていること、若手の演奏家として生計をたてることも難しいことなど、今日の琵琶にまつわる悩みも聞いた。
 しかし、塩高和之さんは古澤錦城氏と共に「琵琶楽人倶楽部」を設立し主催し、伝統的な古典曲のみならず、新作や分野を超えてコラボレーションを試み、海外公演も積極的に取り組んでいることを話してくれた。とても頼もしく感じた。

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