たかお会の《鋸山ハイキング》に参加した
【メルマガIDN編集後記 第207号 101201】

 たかお会の第55回行事《鋸山ハイキング(海から山へ360度の展望)2010年11月18日》に参加した。たかお会としては、前回の《西沢渓谷》はあいにくの天候のために中止になった。今回も前日まで雨模様だったが、いい天気に恵まれた。


鋸山  石が切り出された跡の山の稜線がノコギリの様になっている


日牌堂  以前にあったと思われるお堂の屋根のこう配が見える


 日本寺大仏  全景を入れると人が小さくなる


地獄のぞき  下を見下ろすと足がすくむ


山頂展望台  金谷の湊の奥は三浦半島

鋸山
 房総半島の西岸に切り立つ鋸山は国定公園にも指定されている、海抜329mの房総半島では高い方の山。石が切り出された跡の山の稜線が、ノコギリの様にギザギザしているために、その名が付いたと言われている。年間の来客数はおよそ80万人を数える。この一帯は良質な房州石の産地として知られ、江戸から明治にかけて建築用材、護岸工事用材、土木工事用材として切り出された。

 鋸山の山頂展望台からの眺めは、360度のパノラマが楽しめる。近くには三浦半島、横浜の高層ビル群、東京湾を眼下に、遠くには富士山、天城山、伊豆大島を望む。

スタート
 私は、7時45分にJR千葉を出発し、JR浜金谷で下車し、歩いてロープウエー山麓駅に行った。そこで、久里浜港からフェリーで金谷港へ渡った人たちと合流し、この日の参加者7名の全員がそろった。
 ロープウエーで山頂駅へ登る。案内によると、このロープウエーは41名乗りで、運転所要時間は3分18秒とある。
 山頂駅で降りて、まず十州一覧台で房総半島とその先の太平洋を一望する。東京湾の向こうには三浦半島が見え、その先は霞があり、富士山は見ることができなかった。

日本寺(にほんじ)
 展望の後、日本寺の西口管理事務所で、入場の手続きをする。日本寺は、千葉県安房郡鋸南町にある曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は薬師三尊。
 寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。 最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。

 その後、隆盛と衰退を繰り返すが、頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに荒廃していた日本寺の全山修工に力を尽くし、薬師本殿を再建した。その後、鎌倉幕府後期から南北朝時代にかけての続く戦火により再び荒廃したが、足利尊氏により再び復興された。

 明治に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈や1939年の火災などにより堂塔伽藍のほとんどを消失し、現在残る堂宇は、山門、観音堂、呑海楼などごくわずかとなっている。

 当山は昭和14年11月に登山者の失火によって国宝仏像と堂宇をすべて失ってしまった。平成37年の開創1300年を迎えるに当たり、平成の全山復興を目指している。

千五百羅漢道を歩く
 西口管理事務所から、聖徳太子像、維摩窟、奥の院無漏窟などを見て、千五百羅漢道を歩く。途中、日牌堂、宝筺印塔、百躰観音を見る。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝禅師(当寺第九世)の発願により、上総国望陀郡桜井村の石工大野甚五郎が門弟27名と21年(1779年~)の歳月をかけて1553体を彫り、奇岩霊洞に安置したものである。
 明治維新の廃仏毀釈以来荒廃したので、現在は 《羅漢様お首つなぎ》が行われている。

日本寺大仏(薬師瑠璃光如来)
 千五百羅漢道を過ぎて、急な下りと階段を経て大仏広場に至ると、広場の正面に巨大な大仏を見る。
 この大仏の原型は、天明3年(1783)に大野甚五郎が、門弟27名と3年を費やして現在のところに完成したもの。当時は丈八丈、台座とも九丈二尺あったという。江戸時代の末期になって、自然の風触により著しい崩壊が進んだ。

 現在の大仏は、昭和44年6月に、4年にわたる復元工事により再現したもので、日本で最も大きいと大仏と言われている。台座よりの全高は31.05m、大仏の高さは21.3mである。ちなみに、奈良東大寺の廬舎那仏の総高は18.18m、鎌倉高徳院の阿弥陀如来の総高は13.35mである。

 この大仏は薬師瑠璃光如来と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現し、世界平和、万世太平の大象徴として復元された。

お願い地蔵尊
 大仏広場に安置されている《お願い地蔵尊》は、様々な願い事がかなえられると尊崇を集め、願い事をする人が氏名を書いた赤と白の小さなお地蔵様が無数に奉納されている。

昼食の後の行程
 大仏広場の脇にあったテーブルと椅子をかりて昼食。昼食のあとは、来た道を途中まで戻る。来る時の急な下り道は、かなりきつい登り道と変わる。途中にある二天門をくぐり、西国観音を横に見ながら山頂展望台に至る。
 有名な切り出された岩の跡が利用されて作られた展望台《地獄のぞき》でスリルを体験し、これもかなりきつい道と階段を下って百尺観音の前に出る。

百尺観音
 百尺観音は、昭和41年5月、6年の歳月を費やして完成した大観音石造。発願の趣旨は、世界戦争戦死病没殉難者供養と東京湾周辺の航海・航空・陸上交通犠牲者供養のために、石切場跡の岩肌に刻み込まれた。この観音像の高さは名前の示すとおり、高さが100尺(約30m)ある。

石切場の跡を見て帰路に
 百尺観音のそばの北口管理所を抜けて、石切場の跡を見にゆく。鋸山からは嘗て房州石が切り出されていたため、所々に石切場の跡を見る事が出来る。
 石切場を見て、予定したすべての行程を終えた。戻りは予定していた車力道ではなく、鋸山裏登山道とも呼ばれるハイキングコースを辿り下山。
 今回は、帰りが遅くなるので、盛大な反省会はやめにして、浜金谷のファミーレストランでのどを潤して解散した。

エピローグ
 茨城県牛久市にある大仏の高さは120mある。寺社仏閣の大きさ比べでは、近代工法を駆使できる昭和以降に建てられたものは除くという考え方があり、また牛久の大仏は立像なので、日本寺大仏が日本一とのこと。当初の大仏の丈は八丈と言われているが、これは約24mに相当し、現在のものより高かったようだ。
 日本一小さい大仏は2.3mの鎌ヶ谷大仏。千葉県には、大小二つの日本一の大仏がある。このことは、朝日新聞の《千葉がいちばん 日本一大きな大仏》で知った。

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