シンポジウム《デジタル時代の文字・活字文化》に参加した
【メルマガIDN編集後記 第208号 101215】

 2010年9月のふれあい充電講演会の《出版界が迎えている革命の時代~電子図書は第二次ルネッサンスの起爆となるのか~》では黒木重昭氏を招き、先日開催した《IDN秋の集い2010》のフォーラムでは《次世代情報端末の動向》についての話題を取り上げた。
 ソニーは、国内向けの電子書籍専用端末「リーダー」を、シャープも、電子書籍対応の多機能端末「GALAPAGOS(ガラパゴス)」を12月10日に発売。両社とも製品を広くアピールしようと家電量販店だけでなく、書店やコンビニエンスストアでの取り扱いも始めた。


シンポジウム《デジタル時代の文字・活字文化》


角川歴彦氏:知識社会からソーシャル社会へ


角川歴彦氏:ネットとSNSで人間の表現手段は劇的に変化している



パネル討論風景



中村伊知哉氏:デジタルメディアは紙を超える


パネリストの島田雅彦氏

 12月6日に大手町の日経ホールで開催された、(財)文字・活字文化推進機構と日本経済新聞社が主催した《シンポジウム:デジタル時代の文字・活字文化》に参加した。

 シンポジウムは1時半に開始され、最初に財団の会長である福原義春氏の挨拶があり、基調講演とパネル討論が行われた。3時間にわたるシンポジウムの内容のすべてを伝えることはできないが、私の記憶に強く残っているところをレポートしてみたい。

基調講演:角川歴彦氏(株式会社角川グループホールディングス取締役会長)
 角川歴彦氏は、時代の流れの中で、今日の位置づけを明快に分析して見せ、角川グループの将来の方向を示した。

・2010年、私が考える3つのこと::1つは電子書籍元年、2つは尖閣ビデオ流出とニコニコ動画のマスメディア化、3つはコンテンツとメディア、コミュニケーションのソーシャル化

・知識社会からソーシャル社会へ::1980年代は『知識社会』だった。知識が重要視され、テレビが登場し、新聞や雑誌もマスメディア化し、『知識人』と呼ばれる人が登場してきた。
 2010年以降は『ソーシャル社会』になり、重視されるものが知識から情報に変化した。知識は固定化したものだが、情報はライブでリアルタイムなもの。雑多な情報の中から整理をすることに意味が出てきた。

・Web 3.0の時代::東京ドームを満員にしても5万人しか集められないが、SNS(Mixi・GREE・モバゲータウン・FaceBookなど)ではその規模はWeb2.0時代の100万人単位から1000万人単位へ膨張した。

・編集力が大切になってくる::《ソーシャル化》が進んで、プロとアマの境界が低くなり、次世代の出版人や編集者に求められているのは、ソーシャルコンテンツをプレミアコンテンツに昇華させること。それこそが『編集力』だ。

・角川グループは電子書籍プラットフォムBook☆Walkerをオープン::『オンリーワンの専門店の集合体』というプラットフォーム。ソーシャルメディアとの連携だけでなく、外部CP(コンテンツ・プロバイダー)や既存のリアル書店とも連携する。

パネル討論
 休憩の後、パネル討論が行われた。パネリストには、島田雅彦氏(作家、 法政大学教授)、鈴木幸一氏(株式会社インターネットイニシアティブ代表取締役社長)、岡田直敏氏(日本経済新聞社常務取締役)の3氏が登場し、中村伊知哉氏(慶應義塾大学教授)がコーディネーターを務めた。

コーディネーターの中村氏
 プラットフォーム業者は『黒船』なのか::Google、Amazon、Appleなどのプラットフォーム業者が強大になってきている。そうしたプラットフォーム業者は日本にとっては『黒船』なのか?

 紙を超えるメディアとなるか::作家が新作を電子書籍で販売する動き、国立国会図書館も蔵書をデジタル化しアーカイブを有料で見せるような構想、2020年にはデジタル教科書、電子辞書の普及、電子書籍リーダーの広がり、文科省、経産省、総務省が合同でフォーマットの共通化などを議論、このような背景を踏まえて討論をしたい。

パネリストの島田雅彦氏
 電子書籍は、出版社・新聞社・印刷会社などスーツを着た人たちの関心事で、作家はそこに参加するに至っていないという印象。著作家の立場から考えると、出版社が直接の窓口になっていた関係上、電子の時代にその関係がどう変わるかが関心事。

 文字情報を表現手段としてきた私だが、電子書籍アプリに画像や音声や映像などを入れたリッチコンテンツを、職人的手作業でメディアミックス商品を作って、一冊の小説の付加価値をあげることが、ローコストで作れたらいいという期待がある。

パネリストの鈴木幸一氏
 アナログ的にやってきた、頭の中にたたき込む必要がなくなり、人間は膨大な物語を記憶できなくなるような脳の働きになっていくのではないか。
 自分で知識を所有するのではなく、ネットのプラットフォームでどこでも情報にアクセスできるところに置かれている感覚になる。
 画像や文字などのコンテンツの膨大なデータは、インデックス作ってすぐにアクセスして引き出すことができるというメリットがあり、大量のデータをタダで受発信できるところに特徴がある。

パネリストの岡田直敏氏
 日経新聞の電子版を2010年3月にオープンした。紙の新聞を電子化したものと思われているが、日経電子版は紙の代替ではなく、豊富な独自コンテンツを用意している。デジタルで紙を補完するメディアを目指しており、インターネットで記事を伝える部分を拡張し、スクープや深い分析記事を加えた。
 本誌の記事をネットに流すためには一定の基盤が必要であり、基盤から収益をあげるために一部有料化した。

紙は10年後残るのか?
 以上、各人の発言を要約したが、最後に、《紙は10年後残るのか?》という質問が、コーディネーターの中村氏から出された。

島田雅彦氏::安いDVDは10年後にデータが消えているのではないか。良い紙の本は500年後も残る。紙は安っぽいと思われたが数百年持つ。電子情報の保存の仕方はもう一度考え直さないといけない。過度なデジタル化で記憶力の減退が進んでいったときに、紙の本が見直されて、両者が併存するような状況が望ましいのではないか。

鈴木幸一氏::知識の塊としての本を必要としなくなる。自分で知識を所有するのではなく、ネットのプラットフォームでどこでもアクセスして情報を得るようになる

岡田直敏氏::紙の魅力、利便性、特質が一朝一夕にはなくならない。ただ、長い目で見れば紙の部数は減るので、それを電子版で補っていく。10年後も紙の新聞も残っている。紙だけでなく、電子デバイスなども含めてそれらの使い分けが整理されて、紙とデジタルを一緒に使うというライフスタイルが生まれているのではないと思う

エピローグ
 インターネットの草分け時代の時の人であったIIJの鈴木氏には、十数年前にお目にかかったことがある。この変化の激しい荒波を乗り切って、会社は発展し、このようなフォーラムに出演されるだけのステータスを維持されていることに敬意を表したい。

 島田雅彦氏の『徒然王子』(つれづれおうじ)は、朝日新聞朝刊に2008年から2009年にかけて連載され、面白く読んだ記憶がある。島田雅彦氏への興味が、今回シンポジウムに参加した理由のひとつでもある。リッチコンテンツをメディアミックスで付加価値を高めた小説をローコストで書きたい(作りたい)という発言は、彼に対する私が事前に持っていたイメージと一致した。

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