東博へ初もうで
【メルマガIDN編集後記 第210号 110115】

 2011年の新春に東京国立博物館へ行った。東博では1階工芸展示室の改装を中心とした《本館リニューアル》を終了し、昨年の暮れから、リニューアルを記念して、所蔵作品のなかから選りすぐりの名品を期間限定で公開している。これを機会に従来の《平常展》の名称を《総合文化展》と改め、《トーハク》というネーミングも使い、若い層へのアピールを試みている。
 今回は東博が所有している国宝もいくつか展示されており、見ごたえのある企画となっている。展示されているものから、いくつかを紹介する。なお作品の解説は、チラシ、東京国立博物館ニュース、ホームページ、作品横の解説などから要約した。

 
雪舟等楊筆 秋冬山水図(国宝)


古今和歌集(元永本)(国宝)


狩野永徳筆 檜図屏風(国宝)


尾形光琳筆 風神雷神図屏風 重要文化財 



葛飾北斎筆 冨獄三十六景 神奈川沖波裏

秋冬山水図(国宝) 雪舟等楊筆 室町時代
 中央の階段を上がって2階の右方向の奥にある2室は、通常も国宝が展示されるコーナーである。ここには雪舟筆 《秋冬山水図(国宝)》が展示されている。
 向かって右が秋景、左が冬景。どちらも下から上へと見てゆくと、近いものから遠いものへ、モチーフを順にたどってゆくことができ、小画面にもかかわらず、岩山が幾重にも重なる、広大な奥深い空間を見る。
 室町時代の水墨画を代表する画家、雪舟(1420~1506?)の山水画は、空間構成のスケールが大きく、雪舟以前の山水画には見られない堅固で理知的な構築性を強く感じさせる。

古今和歌集(元永本)(国宝) 平安時代 三井高大氏寄贈
 2階の第3室には、《古今和歌集(元永本)上帖》がある。《古今和歌集》の仮名序から巻第二十まで、すべてが揃っている現存最古の遺品。美麗な文様を雲母(きら)あるいは空摺(からず)りし、その裏面には金銀箔を撒いた紫、黄、赤、茶、緑、白などの和製唐紙を用いている。さらにこれらの色の配合を考えて組み合わせた豪華な綴葉装(てつようそう)の冊子本で、もとの体裁をほぼ伝えている。
 散らし書きに技巧を尽くした筆者は、《巻子本古今和歌集》など、一群の名筆を残しており、藤原行成の曾孫定実とする説が有力。

 右奥のコーナーにある4室(茶の美術)を左に曲がると、5・6室は武士の装いのゾーンになる。ここでは、《白糸威鎧(しろいとおどしのよろい:重要文化財)》や《色々糸威腹巻(いろいろいとおどしのはらまき)》を見る。
 さらに進んで、左へ曲がるコーナーは第7室。ここには《源氏物語屏風(初音・若菜上)》と《檜図屏風》が展示されている。

檜図屏風(国宝) 狩野永徳筆 安土桃山時代
 この屏風は、天正18年(1590)に落成した八条宮(後の桂宮家)邸を飾った襖絵だったとされている。桃山絵画における代表的画人の狩野永徳(1543~1590)の最晩年作と考えられている。
 金箔地の大地と雲を背にした檜の大樹は、幹をうねらせ、大枝を振りかざし、枝先はまるで爪を立てるかのよう。この豪放な形態と濃密な色彩は、檜の力強い生命力となって、当時の美意識を余すところなく体現している。

風神雷神図屏風(重要文化財) 尾形光琳筆 江戸時代
 天空を疾走する風神と、雷鳴を轟かせる雷神。二神は仏教では風雨を司り、仏法を守る役割をもつ。
 左右の2つの画面に配置された二神の視線は互いに交錯し、対照的に配置される。墨であらわされた雨雲からは、今にも雷が鳴り、強風が吹き荒れるかのよう。
 2つのモチーフが対照的に配置される理知的な画面構成は、晩年の代表作「紅白梅図屏風」に結実されるが、この作品においても光琳絵画の造形的特質が鮮明にあらわれている。

四つの風神雷神図
 2008年10月から11月にかけて、尾形光琳生誕350年記念《大琳派展~継承と変遷~》が東博の平成館で開催された。
 ここでは、光琳の国宝《蕪子花屏風(根津美術館蔵)》なども展示された。風神雷神については、俵屋宗達の国宝、尾形光琳の重要文化財、酒井抱一に加えて鈴木基一が襖に描いた《風神雷神図》の4つが一堂に会する面白い試みだった。

 俵屋宗達の代表作として名高い《風神雷神図屏風(2曲1双・紙本金地着色、各154.5×169.8cm)》は、元々は京都の豪商・打陀公軌(うだきんのり/糸屋十右衛門)が建仁寺派である妙光寺再興の記念に俵屋宗達に製作を依頼したもの。17世紀前半寛政期、宗達最晩年の作とする説が有力。

 酒井抱一の《風神雷神図屏風(2曲1双・紙本金地着色 出光美術館蔵)》は、文政4年(1821)頃の作。酒井抱一は光琳の模写をさらに模した画を描いたが、宗達の画を知らず、光琳の画が模写でなく独自に描かれたものとして考えていたとのこと。

 抱一の弟子鈴木其一が描いた《風神雷神図襖(絹本着色、全八面、東京富士美術館蔵)》は、模写というより《風神雷神》という題材を借りてきたものと考えられている。

葛飾北斎筆 冨獄三十六景 江戸時代
 10室には、葛飾北斎の《冨獄三十六景》が展示されている。北斎はシリーズ46枚に富士山の表情を様々に描き分けた。今回はその中から22枚が展示されている。《神奈川沖波裏》、《東都浅草本願寺》、《凱風快晴(赤富士)》など、なつかしいものだが、いつみても飽きない。

エピローグ
 俵屋宗達の《風神雷神図屏風》は、妙光寺から建仁寺に寄贈され、原本は京都国立博物館に寄託されており、複製の屏風および陶板が建仁寺にある。私は2008年の秋に、建仁寺法堂にある天井画《双龍図(小泉淳作 筆)》を見に行った時にこの複製を見たことがある。同じ年の秋に4つの《風神雷神図》を、東博で見ている。

 宗達に対して光琳の絵の違いは、屏風全体の寸法が若干大きい(宗達画は各154.5x169.8cm、光琳画は各166.0x183.0cm)、風神雷神の姿の全体像が画面に入るように配置されている、風神雷神の大きさは同じであるが光琳のの方が相対的に小さく見える、光琳は枠を意識しそこに綺麗に収まるよう計算している、両神がお互いを見るように視線が交差している(宗達の画では、両神の視線が下界に向けられている)、両神の顔がやや柔和な印象を受け卑俗な擬人化がより進んでいる、輪郭線や雲の墨が濃くなり二神の動きを抑える働きをしている、という意味の解説がウィキペディアに書かれている。【生部 圭助】

宗達と光琳の屏風の比較や、《風神雷神図》に関連する拡大写真を、こちらからご覧になれます。
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