スペインのブイ谷の教会にある壁画《栄光のキリスト》
【メルマガIDN編集後記 第211号 110201】

 録音をする用ができて、この何年も使ってなかったICレコーダーを取り出して、録音されている内容を確認した。この中に、2007年6月にバルセロナのカタルーニャ美術館で、虔之介さんが壁画《栄光のキリスト》を見ながら説明してくれた録音が残っていた。


サン・クレメン・デ・タウユ教会 外観
【2004年に撮影 写真をクリックすると拡大します】


サン・クレメン・デ・タウユ教会の《栄光のキリスト》
【2004年に撮影:これは複製  写真をクリックすると拡大します】



カタルーニャ美術館にある壁画《栄光のキリスト》 部分
【カタルーニャ美術館で求めた絵葉書より】


サンタ・マリア・デ・タウユ教会の《栄光の聖母子》
【2004年に撮影:これは複製】


カタルーニャ美術館 外観
【2007年に撮影】

 2004年に、虔之介さんの案内でピレネーへ行き、花とロマネスク様式の8つの教会とひとつの礼拝堂を見た。ボイ谷のタウユ村では、サン・クレメンテ・デ・タウユ教会にある壁画《栄光のキリスト》とサンタ・マリア・デ・タウユ教会にある《栄光の聖母子》を見た。ここで見た2つの壁画はレプリカであり、本物はバルセロナのカタルーニャ美術館に移設されて、展示されているとのことだった。2004年には、この美術館を訪れることができなかった。

 2007年に、スペインのソルソーナの聖堂の回廊で花展を行った後、 バルセロナに行った時に、虔之介さんにお願いして念願の《栄光のキリスト》と《栄光の聖母子》の本物を見ることができた。
 2004年にピレネーから戻り、旅行記《ピレネー、花とロマネスク教会》をメルマガIDNに(第54号より)連載した。2007年の旅を終えた後で、この旅行記に追加しようと思っていたが、そのままになっていた。

佐野虔之介さん

 佐野虔之介さんは1946年生まれ、日本企業の広告担当をしていたが、1990年に一家(夫婦と3人の息子)でスペインのソルソーナに移住した。虔之介さんは、日本をはなれるにあたって、学生時代に惹きつけられた10世紀の壁画のある、カタルーニャの小さな伝統的な街、ソルソーナに決めた、と言う。
*ソルソーナ市:スペインのバロセロナの北西125kmのところに位置する、人口1万人ほどのまち

 ソルソーナに移住した虔之介さんは当地において、ロマネスクの研究者、セミナー講師、現地の案内、旅行のコーディネーターなど幅広い活動を行っており、カタルーニャと日本の文化の交流の重要人物として、《影の文化大使》ともいわれている。

ブイ谷のタウユ村
 ブイ谷はバルセロナから300キロほどのピレネーの山麓(標高1,470M)にある。ノゲラリバゴルサナ川に流れ込むノゲラデトルの流れに沿っている谷あいで、10世紀頃からの遺跡が残されている。
 12世紀当時の各集落にロマネスク様式のたくさんの教会が作られ、現在まで残された。それらの建築が2001年に世界遺産(文化遺産)に指定された。
 ボイ谷にあるタウユ村の人口は激減、若者たちはレリダやバルセロナへ出て行って残されたのは老人ばかりで空き家が続出した。しかし最近のタウユは別荘ブーム、近くにスキー場もあり、週末にはバケーションの客でにぎわっている。古い家を改造して住みたいという人も現れたという。

サン・クレメン・デ・タウユの教会の《栄光のキリスト》
 タウユ村には4つの協会があったが、現在は、サン・クレメンテとサンタ・マリアの2つが生き残っている。この2つの教会のは1123年12月9日と10日に、この土地の有力な貴族エリル家の奉献になるものである。
 この教会にある壁画《栄光のキリスト》は、村人を大きな心で包み込むように祝福しており、村人に親しまれてきた。しかし、現在堂内の東の部分のドーム天井にある壁画は模写されたものであり、村民にとっては、複製のキリストは魂を持ち去られた抜け殻が横たわっているように感じているかもしれない。

サンタ・マリア・デ・タウユ教会の《栄光の聖母子》
 この教会もサン・クレメンテと同じ時期に作られた。マリアの壁画は違う絵師により描かれたであろう、サン・クレメンテのキリストの方がお金がかかっている、と虔之介さんは説明した。
 田沼武能氏は、1983年5月にボイ谷のタウユ村を訪れているが、村人から、「マリア様の壁画が運び出される時には、村中の人が出てマリア様を見送った」ことを聞いた。そして「この村の人たちにとってマリア様もキリストも美術品ではない、800年来先祖代々受け継がれてきた心の内なる神であり、村人たちの嘆き悲しみは計り知れないものがあったろう」と、マリアの壁画がバルセロナへ移設された時の住民の心情を表現している。

カタルーニャ美術館で2つの本物のを見た
 2007年の秋にカタルーニャ美術館へ行き、タウユ村から移設されて、展示されている《栄光のキリスト》と《栄光の聖母子》の壁画を見た。

 バルセロナのモンジュイックの丘の上に建つこの美術館は、1929年のバルセロナ万博の時に建造されたナショナル宮殿を改装し、1934年にオープンした美術館。ロマネスク、ゴシック、バロック、ルネッサンス美術の貴重なコレクションを有する。
 なかでも、ピレネー山脈周辺の教会、修道院から移送した天井絵や壁画、祭壇の装飾などのロマネスク美術に関しては世界屈指のコレクションを誇る。
 ここでは、イスラム文化からも影響を受け発展した、カタルーニャ独自のロマネスク美術の粋を堪能できる。

虔之介さんの話 《栄光のキリスト》
 《栄光(全能)のキリスト》は有名であり、美術全集などで、ロマネスクの壁画の例として必ず取り上げられる。この図像を中世のキリスト教では《パントクラトール》といった。
 この絵の良さは、貴重品だった《ブルー》が使われていること。この顔料はトルコから輸入されてものであろう。
 このような山奥になぜこのような素晴らしい壁絵が描かれたか?高名な絵師が弟子を引連れてきて描いたであろう。そこにお金を出す人がいたと想像される。

 マンドルラというアーモンドの形をした輪を背に虹の橋に腰かけ、右手で祝福を与え、左手には《私は世の光である『ヨハネ福音書』》と記された書物を持つ。
 キリストは、天使と四人の聖人と2匹の動物(ヨハネを示す鷲と聖ルカを示す雄牛)に囲まれている。一段低いところには最後の晩餐を象徴する光の皿を捧げ持つ使徒たちが配され、直立の姿で正面を向いている。
 佐野虔之介さんは、窓の左側の聖母マリアの隣にバルト・ロマイ、窓の右側に並んでいるのが、ヨハネとヤコブであることを教えてくれた。

エピローグ
 2004年にも借りた『カタルニア・ロマネスク 田沼武能写真集』を近くの図書館に借りに言った。この本は、岩波書店より1987年12月に発行されたものであり、図書館の同じ場所に同じたたずまいで静かに置かれていた。
 この中には、今回取り上げたタウユ村の2つの教会の素晴らしい写真(白黒)も掲載されており、矢野純一氏の『生きているロマネスク』も掲載されている。
 ここには、「キリストは4人の天使と聖マルコスの変身であるライオンと聖ルカを示す雄牛に囲まれ・・・」との記述があるが、私が撮影した写真を拡大して確かめると、2匹の動物は鷲と雄牛である。録音を聞くと、虔之介さんも鷲と言っている。

 ロマネスク様式の教会が散在しているブイ谷は、実に魅力的なところであり、もう一度訪れてみたいところのひとつである。今、虔之介さんの説明を現地で聞くと、7年前よりたくさんのことを理解し、感じることができると思うが、再びそのような機会はありそうにない。

旅行記《ピレネー、花とロマネスク教会》はこちらでご覧ください
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