今年も川沿いの散歩道に桜が咲いた
栄福寺のしだれ桜を見に行った

【メルマガIDN編集後記 第216号 110415】

今年も川沿いの散歩道に桜が咲いた
 今年も《川沿いの散歩道》に桜が咲いた。私の部屋の北側には水路があり、水面にかぶさるように大きめの桜の木に花が咲く。例年、水面に向かって下ろしている枝の先端の最も水面に近いところから開花し、徐々に上に向かって開花し、最も高いところが開花すると、川面に近いところから散り始める。その間は約一週間ほどである。毎年、私にとっての桜前線のバロメーターとなっている。

水路の川面を覆う桜 2011(定点撮影)



川沿いの散歩道の桜のトンネル

川沿いの散歩道
 水路は「草野都市水路」という正式の名前がついており、水路と水路沿いの遊歩道は、「水循環・再生下水道モデル事業」として平成6年度から7年度にかけて整備されたもの。遊歩道にある掲示板によると、都市下水路の親水性を増進するとともに、良好な都市景観を形成するために、管理用地を利用して緑化するための植栽を行い、遊歩道を設置した、とある。

 早足に歩いて30分ほどのところの薗生(そんのう)が水路の一方の源流になっており、宮野木ジャンクションの中心あたりを源流とするもうひとつの水路と、我が家のすぐ近くで合流し海へ流れている。
 薗生を源流とする水路沿いを私は勝手に《南の散歩道》と名づけており、もうひとつの《北の散歩道》より歩く機会は多い。

 以前に、下水道局の都市排水課に電話したら、都市下水路係のNさんが出て、次の日までにデータを調べてくれた。この水路は30年ほど前に作られた、北の水路が2,004m、南の水路が3,148m、下流は合流地点から花園橋(海岸までの途中)までが1,340mであることを教えてくれた。

花が咲いた
 この遊歩道には桜が植えられており、この土地へ越してきた頃には細く頼りなかった桜の幹がずいぶん大きくなった。水路に両岸から枝を伸ばし、川面を覆うように花を咲かせる。また、遊歩道にも両側から枝が伸びて花のトンネルとなる。
 数年前から毎年写真の定点撮影をしており、花の隙間より見える空と川面の面積が減っていることから、川面を覆っている桜は年々大きくなっていることがわかる。
 桜のトンネルになっている遊歩道には、ウイークデイの午前中だったせいか人が少なかったが、日曜日の午後には多くの人が出かけて花を楽しむ。

遊歩道に3・11の影響がある
 遊歩道の路面は、20cm×10cm×8cm(高さ)のブロックが敷き詰められている。表面の角は面がとってあり、目地が見える。
 今年のこの散歩道には凹凸が増えて歩きにくいところがある。以前より地盤沈下で歩道と橋の段差ができたりしていたが、今年は路面の乱れがたくさんあって、歩くのに注意が必要である。3・11の地震の直後は、液状化の様相も見られて、路面が暴れているところもあった。地震の影響をこんなところにも見え、今年の花には複雑な思いがある。

■栄福寺のしだれ桜を見に行った

 《千葉県内ナンバーワンを誇る見事なしだれ桜》、《美しい房総を写す会おすすめの桜名所》など紹介されている栄福寺のしだれ桜を、2009年の4月6日に見に行った。花はほとんど残っておらず、満開の姿を想像することしかできなかった。今年(2011年)は桜の開花が遅れていることもあって、同じ日の4月6日に行ったら、白い色を特徴とする桜がちょうど満開だった。

坂尾山栄福寺
 
坂尾山栄福寺は、大治5年(1130)、千葉氏の家臣の坂尾五郎治が千葉氏の護持仏である妙見大菩薩を勧請し、妙見地蔵堂を建て祀ったのが始まりとされる。のちに、北斗山金剛授寺(真言宗)として建立されたのが同寺の前身と伝わっている。土中出現童子地蔵菩薩を本尊とし、尊照上人を開山とする。
 江戸時代の寛永2年(1625)、当時の住職快運大和尚が、天海大僧正に帰伏し天台宗に改宗、上野の東叡山寛永寺末となり、如意山養福寺無量院(天台宗)と改称し、本尊である阿弥陀如来坐像を安置した。慶安3年(1650)、坂尾山栄福寺と改称し、今日に至る。


妙見地蔵堂としだれ桜《坂尾の桜》
しだれ桜《坂尾の桜》の写真



妙見地蔵堂の向拝の龍の彫刻
妙見地蔵堂
 山門を入って、正面に新築された本堂を見て、右側に妙見地蔵堂がある。このお堂は元治元年(1864)に再建されたもので、妙見菩薩と地蔵菩薩が合祀されている。

 千葉の妙見様と言ったら、千葉神社の妙見尊星王が有名である。古来、日・月・星を仰いで、宗教的な感情を抱いてきた。特に星の中でも北極星は最も神秘尊厳そのもので方位・方角の要となっている。これを神格化して《妙見尊》と称してきた。
 《妙見尊星王(天之御中主大神)》は、天の中央を定位とする北極星と北斗七星の心霊とされている。《妙見尊》は、星霊信仰の御本尊として、日・月・星の三光、すなわち全宇宙の諸星諸神を統治する尊星王として賞賛されている。そのことから、《妙見尊》は人間の星(運命)や全方位を守護・掌握する心霊として信仰され、あらゆる守護能力を発揮する神様として、庶民の間に広く尊崇されている。

しだれ桜

 妙見地蔵堂の手前に早咲きのしだれ桜がある。天承元年(1131)に五郎治公の奥方高枝姫が、病の治癒を妙見大菩薩に祈願し、本願成就の礼として同年にしだれ桜を御手植えされたものが、桜姫と名付けされたという。
 今では《坂尾の桜》として、写真や絵画の愛好家の人気の場所となっており、桜の時期には人が多い。

 栄福寺にはたくさんの桜の木があり、訪れる人を楽しませてくれる。上野の寛永寺の桜は、寛永15年(1638)に天海大僧正が、吉野より移植した由縁で、栄福寺にも分植されたものであろうといわれている。

妙見地蔵堂の向拝の龍の彫刻

 栄福寺の妙見地蔵堂の向拝には天使と龍の彫刻が置かれている。房総では《伊八の龍の彫刻》が有名であるが、妙見堂のこの彫刻は、《伊八新発見》展の関連年表にも載っていないので、誰の作かわからない。
 2009年にしだれ桜を見に行って、向拝の龍に出会い、《龍の謂れとかたち》に一ページを加え、今年撮影した写真を追加してページをリニューアルした。

エピローグ
 長い蕾の期間を過ごし、春になると少し赤みを帯び、咲き始めるとあっという間に満開になり、そして穏やかな風にも花吹雪が舞う。やがて葉桜となり、夏には濃い緑に変わる。秋から冬には、その姿をひっそりと隠してそこにあるとは見えないが、春になると短い期間その存在を主張する。最近では、川沿いの散歩道の桜も私の定番のひとつになっているが、散り行く花をしのび、来年もまた花を見たいと思いながら春をおくる。【生部 圭助】

妙見地蔵堂の向拝の龍の彫刻はこちらよりご覧ください