山種美術館で開催された《ボストン美術館 浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、写楽(2011年2月26日~4月17日)》を見た。ボストン発の日本初、という触れ込みで、ボストン美術館に長いこと大切に保管されて眠っていた浮世絵の版画が日本にやってきた。
ボストンで思い出すのは、1995年の秋に《米国テクノ・エコノミックス調査団》の一員としてボストンに行った時のこと。11月7日の朝バスでニューヨークを出発、GE社を訪問しボストンへ。8日にDEC社とMITを訪問し、翌9日にはボストンを出発しフィラデルフィアに向かう予定になっていた。この短い滞在の間に、2つの念願を果たしている。
ゴーギャンが第2次タヒチ時代に描いた《我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》を見たいと、長い間思っていた。 1995年11月8日の午前中にDEC社を訪問し、バスで次の訪問先であるMITのキャンパスへ行った。事前に団長の許可をもらっていたので、調査団と別れタクシーでボストン美術館《Musium of Fine Arts Boston》へ行った。ここで、139×375cmのゴーギャンの大作に対面することができ、念願を果たした。この絵には、東京国立近代美術館で開催された《ゴーギャン展(2009年7月3日~9月23日)》で再会した。 私がボストン美術館を訪れた日には、フランスの印象展《Impressions of France Monet,Renoir,Pissarro,and Their Rivals》が開催されていた。ボストン美術館には大きな看板が掲げられており、ゴーギャンを見に来たついでに、印象派の作品も見ることができて、うれしい思いをした記憶が残っている。 ボストンシンフォニー ボストン美術館を訪れた8日の夜に、もう一つの念願だった《ボストンシンフォニーホール》でコンサートを聴くことができた。ホテルのコンセルジュで問い合わせてもらったところ、当日の切符は売り切れとのことだった。ホールの外観だけでも見てみようと思って出かけた。 幸運にもホールの前で、あるご夫人に切符を譲ってもらった。そして、ハイティンク指揮のボストン交響楽団によるマーラーの交響曲第9番のリハーサルを聴いた。リハーサルを公開する習慣は日本には少ないが、その夜は全楽章が通して演奏され、有名な4楽章の冒頭は2回も演奏された。 山種美術館 2011年に創立45周年を迎える山種美術館は、日本初の日本画専門の美術館として開館して以来、近代・現代日本画の収集・公開・普及に努めてきた。 山種美術館は《相場の神様》と言われた山種証券の創立者山崎種二氏が蒐集した美術品を基にして、1966 年7月に日本橋兜町の山種ビルの8~9階に創設された。建物が老朽化し、平成10 年(1998年) に千代田区三番町の千鳥ヶ淵近くへ仮移転した。 2009年10月に美術館を新築・移転し、「21世紀における日本画の普及」に取り組むべく、新たなスタートした。繊細な日本画を、温度や湿度、直射日光の影響から守るために、新築後展示室を地下に設けた。作品鑑賞に最適な空間を実現し、日本画独特の季節感、岩絵具や絹、和紙などの素材の魅力に親しく接してもらうことを願っている。現在の館長は、創設者種二氏の孫にあたる山崎妙子さんである。 浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、写楽 アメリカ建国100周年にあたる1876年、アメリカ東海岸でも古い歴史をもつ街に開館したボストン美術館は、世界各地から集められた古代から現代までの約45万点もの美術品を収蔵する美の殿堂。中でも日本美術コレクションは、明治初期、日本美術に魅了されたエドワード・モース、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲローら有識者によって収集されたもの。 日本美術コレクションの中でも約5万点の浮世絵版画、約700点の肉筆浮世絵、数千点の版本は、質・量ともに世界屈指のもの。しかし、これらの作品群は、その膨大な量と作品保存の理由から近年までボストン美術館内でさえほとんど公開されることがなかった。そのために保存状態が極めてよく、摺られた当時の鮮やかな色彩が、そのまま現代に伝わる稀少な例としても、注目を集めている。 本展覧会では、錦絵の黄金時代と言われる天明・寛政期(1781-1801)に焦点をあて、清長・歌麿・写楽の3人の絵師を中心とした作品を5つの章に構成して展示がされた。 1章では、代表的な大判揃物の美人画や、続絵の迫力ある女性群像をはじめ、デビュー間もない頃の役者絵から寛政期末頃の子供絵まで、清長の主要な業績を概観。 2章では、天明前期のまだ歌麿独自の様式が確立していない初期美人画から、その芸術性の頂点に達した寛政年代の傑作まで、美人画の一時代を築いた歌麿芸術の真髄を紹介。 3章では、現在制作時期により4期に区分される写楽の作品群のなかより、第1期から第3期の合計21点の作品が一堂に展示されている。黒雲母を用いた豪華な大首絵も見どころの一つである。 4章では、黄金期はもちろん、後の浮世絵界に大きな影響を与えた絵師たちを紹介。役者似顔絵を普及させ多くの門人を育成した勝川春章。独学で絵を学び挿絵類を多く手がけた北尾重政ら北尾派。武家出身ながら浮世絵師の道に進み、美人画を専門とした鳥文斎栄之とその一派。そして、歌川豊春をはじめ幕末の一大画閥となった歌川派など、同時代に活躍した絵師たちの多様な作品が紹介されている。 第2会場では、5章として、版本と肉筆画の掛け軸などが展示されていた。 多色摺技術の発達により飛躍的に表現の幅を広げていった錦絵は、判型も大型化し、さらに続絵のワイドな画面が流行し、本展では2枚、3枚の続絵に加え5枚続に効果的な構図で描き出された名所絵や美人群像の迫力を楽しむことができた。 豪華で色鮮やかな大量の版画を見て、最後に肉筆画を見ると、版画には独特の《キレ》があるのがよくわかった。版木を彫り、刷るという工程を経てこのような効果が出るのであろう。 本展における私のテーマは《紫》 本展を見るにあたってテーマを一つ決めた。そのテーマは《紫》。紫は高価な顔料であること、時間を経たら退色が著しいと言われている。ボストンに保管されたこれらの版画は、公開しないことを条件にこの美術館に譲渡されたとも言われているだけに、刷られた当時の鮮やかな色がそのまま保たれている。 今回は注意深く紫を見たが、紫はひとつではないことが分かった。赤みがかったもの、青みがかったもの、濃い紫、薄い紫、様々な紫に出会った。また、紫は歌麿の色と思い込んでいたが、清長もたくさんの紫を使っているのがわかった。 エピローグ 1995年のボストンでの旅程では、およそ2泊2日という短いものだったが、ボストン美術館でゴーギャンを見て、ボストンシンフォニーホールでマーラーを聴いて、その後、ハーバー近くのレストランで塩茹でのロブスターも味わった。 ボストン美術館では、モネやルノアールを見るというおまけもあり、とても贅沢な時を過ごしたことになる。 印象派の展示会場に置いてあった説明用の冊子を今も保管しているが、今回よく見たら、表紙の下の方に《PLEASE RETURN TO RACK》と書いてあった。今頃気がついても遅いが、反省している。【生部圭助】 |