佐野洋子の絵本『100万回生きたねこ』

【メルマガIDN編集後記 第218号 110515】

 絵本作家でエッセイストでもある佐野洋子が2010年11月5日に亡くなった。72歳だった。佐野洋子作の絵本『100万回生きたねこ』はいつのころからか書棚にあり、時々絵を見て、物語を目で追うことがある。
 1977年に出版され、33年間で170万部が発行されたというこの絵本は、日経プラスワン(2008年11月)で、クリスマスシーズンに大人に贈りたい絵本として、トップに選ばれたことがある。

佐野洋子
 佐野洋子は絵本作家でエッセイスト。1938年6月28日に北京に生まれた。武蔵野美術大学デザイン学科卒業後、1967年から一年間、ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。帰国後、デザイン、イラストレーションを手がけながら絵本を描く。
 『おじさんのかさ』(サンケイ児童出版文化賞推薦)、『わたしが妹だったとき』(新美南吉文学賞)、『わたしのぼうし』(講談社出版文化賞絵本賞)、『だってだってのおばあさん』、『おれはねこだぜ』などの絵本、エッセイ集には『私の猫たち許してほしい』、『アカシア・からたち・麦畑』、『ふつうがえらい』等がある。2003年に紫綬褒章を受章し、2008年に巌谷小波文芸賞を受賞している。谷川俊太郎は元夫である。

『100万回生きたねこ』の物語
<書き出し>

佐野洋子の絵本 『100万回生きたねこ』


『100万回生きたねこ』 表紙


『100万回生きたねこ』 裏表紙

人がその生涯で最初に出会う文字・活字文化は、絵本です。赤ちゃんからお年寄りまで、人生のすべてのステージで読み継がれていくのも、また絵本です。選び抜かれた言葉と絵には、人びとの心の扉を開き、生きてゆく上で大切なことを伝える力があり、それが読書の基盤ともなっています。
【国民読書年宣言(2010年10月23日)より部分】


 この絵本の書き出しはこうである。「100万年も しなない ねこが いました。100万回も しんで、100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした。100万人の ひとが、そのねこをかわいがり、100万人のひとが、そのねこが しんだとき なきました。ねこは、一回も なきませんでした」

<物語の内容:前半の要約>
 百万回を象徴する逸話として6つの物語が綴られている。

王様に飼われていたねこは、戦争に連れて行ってもらい、飛んできた矢にあたって死んでしまいました
船乗りに世界中の港に連れて行ってもらったねこは、旅先で船からおちて死んでしまいました
手品つかいの手伝いをしていたねこは、まちがえてほんとうに まっぷたつにされてしまいました
どろぼうに連れられて、盗みに入ったうちのいぬにかみころされてしまいました
ひとりぼっちのおばあさんに飼われていたねこは、年をとって 死にました
小さな女の子に飼われたねこは、女の子のせなかでおぶいひもが首にまきついて、死んでしまいました

 全半の最後に、「ねこは しぬのなんか へいきだったのです。」とかかれている。

<物語の内容:後半の要約>
 後半は、「あるとき ねこは だれの ねこでも ありませんでした。のらねこ だったのです。」で始まり、 ねこはだれの飼い猫でもなく、のらねこ になり、「ねこは はじめて 自分のねこに なりました。 ねこは 自分が だいすきでした。」と続く。

どんな めすねこも、およめさんに なりたがりました
大きなさかなや、上等のねずみを さしだす ねこも いました
そんななかに、たった 1ぴき ねこに 見むきもしない、白い うつくしい ねこが いました
「おれは100万回しんだんだぜ!」といっても、白いねこは、「そう」と いったきりでした
「きみは まだ 1回も 生きおわって いないんだろ」といっても、白いねこは「そう」といったきりでした

ある日、「そばに いても いいかい」と、たずねたら、白いねこは「ええ」と いいました
ねこは、白いねこの そばに いつまでも いました
白いねこは、かわいい 子ねこを たくさん うみました
やがて、子ねこたちは 大きくなって、それぞれ 何処かへ ゆきました

おばあさんになった 白いねこは、あるひ、ねこのとなりで、しずかに うごかなく なっていました
ねこは、はじめて泣きました。夜になって、朝になって、また 夜になって 100万回もなきました
ある日の お昼に 、ねこは なきやみました。白いねこの となりで、しずかに うごかなくなりました

後半の最後は「ねこは もう けっして 生きかえりませんでした。」で終わる。

この絵本のどこに共感するのであろうか
 佐野洋子は随筆集『私はそうは思わない』の中で、「一匹の猫が一匹の猫とめぐりあい、子供を産み死ぬという、ただそれだけの物語だと振り返り、それは作者自身の願いだったが、この絵本が売れたのは、多くの人が、ただそれだけのことを素朴に望んでいたことなのかと思わされた」と言っている。(2010年11月7日 日経新聞「春秋」より)

 猫は飼い主に可愛がってもらうが、飼い主の愛情とは裏腹に、ねこはその飼い主が大嫌いなのである。そしていずれも不本意な最後をとげることになる。
 戦場で矢にあたったり、船から落ちておぼれたり、手品の実演中にまっぷたつになったり、 いぬにかみころされたりして、ねこは死ぬ。誰かに飼われて、飼い主が好きではなく、死んでもまたすぐに生まれ変わることができたので、死ぬのなんか平気だったのであろう。

 しかし、後半のねこは、はじめて自分のねこになる。立派なとらねこは、たくさんのメス猫より求愛され、機嫌をとってもらったり、貢ぎ物をもらったり、自分中心に世界がまわるようになる。
 しかし、その中に一匹だけ、ねこに見向きもしない、白い美しいねこが現れる。何度も声をかけたあとに、ねこはついに「そばにいてもいいかい」と尋ね、白いねこは「ええ」と答える。白いねこと暮らすようになったねこは、多くの子猫たちに囲まれて過ごす。
 やがて、子猫たちは親元を離れて独立し、年老いた白いねこは、ねこのそばで死ぬ。100万回生きたねこは泣き疲れて、その後を追うように、しずかに死ぬ。

エピローグ
 いつのころからか書棚にある絵本《100万回生きたねこ》を、時々取り出して、絵を見て、ほとんど覚えている物語を目で追い、何となく安らかな気持ちになることの繰り返し。佐野洋子が亡くなったのをきっかけに、一度取り上げてみようと考えていた。昨年の11月以降も、何をどう書いたらいいのかわからなかったが、この日に取り上げることにした。

 結局、他人に振り回されて、一見しあわせに見えるが、不本意な生を100万回送るより、自分の意志で、充実した一回の生を静かにおくることの価値がずっと大きいということか。世のおとなたちも、自分の生き様と重ね合わせ、猫の生き方に共感するのであろう。