空海と密教美術展

【メルマガIDN編集後記 第226号 110915】

 《空海と密教美術展(東京国立博物館 平成2011年7月20日~2011年9月25日)》を見に行った。金剛峰寺や教王護国寺(東寺)ほかの密教寺院から仏像、曼荼羅、法具、空海自筆の書などが集められている。代表的な出品作品99点の98.9%が国宝または重要文化財という、質と規模においてこれまでにない展覧会であると、主催者は自信の程を示している。

展覧会の見どころ

空海と密教美術展》 入場券(期間限定の招待券)


 弘法大師空海は青年時代、都で儒教、道教、仏教などの学問を修め、24歳の時に仏教修行の道を選んだ。延暦23年(804)、密教を求めて唐に渡り、2年間の滞在で、その奥儀をきわめた。
 空海は、奥深い密教を文章のみで表すのは困難とであると思い、理解でき易いように造形作品を重視している。
 この展覧会では空海が中国から請来した絵画、仏像、法具、また空海の構想によってつくられた教王護国寺(東寺)講堂の諸像、空海ゆかりの作品など密教美術の名品が展示されている。
 現存する空海自筆の書5件を、各巻頭から巻末まで展示されており、書家としての空海も存分にご堪能できる。

展示の構成

 今回の展示は、空海の若い時代の才能の開花から、唐へ渡り密教の奥義を窮め、帰国後の日本での布教、そして空海亡き後の密教の継承に至るまでを、4つの章で構成して展示している。

第一章 空海─日本密教の祖
 弘法大師空海は青年時代、都で儒教、道教、仏教といった様々な学問を修め、24歳の時に仏教修行の道を選ぶことを宣言する。
 この章では、その宣言の書というべき名品『聾瞽指帰』をはじめとする自筆の書、空海が奈良時代に書写した密教関係の経典の名品、肖像画、一生の事績を絵画化した絵巻物を展示して、後に日本密教の祖となる空海の人物像の輪郭を紹介している。


金剛界曼荼羅
金剛とはダイヤモンドのことで、大日如来の知恵が、こわれることのない強いものであることを表している。9つのグループに分けられていて、右上の《理趣会(りしゅえ)》以外すべてのグループの中心が大日如来になっている。まわりをとりかこむ仏たちとの間では、大日如来の知恵が、内から外、外から内へと、たえまなく動き続けている。四角と丸の組み合わせが特徴的である。

胎蔵曼荼羅
大日如来を中心に、12のグループで構成されている。すべての仏は大日如来から生まれるのであり、それとおなじように、人々の心の中にある(胎蔵する)《さとり》を開く種を、大日如来が守り育てていくようすを表している。金剛界曼荼羅では、大日如来の知恵が規則ただしく、縦横ななめに動いているのに対し、こちらでは太陽の光のように、中心からやさしく力強く、世界を照らしている。

立体曼荼羅
東寺講堂には大日如来を中心に21体の仏像が安置されている。規則性をもって群像が配置される様子は、《立体曼荼羅》とよぶにふさわしいもの。空海が承和6年(839)の完成を見ることはできなかったが、尊像の選択と配置には空海の思想が反映されている。諸像は、奈良時代に東大寺などで活躍したのと同系統の工房によって製作さた。乾漆を併用する技法にその伝統がうかがえる一方、しなやかで肉感的な身体表現は、空海が請来した曼荼羅の尊像にみられる新しい表現。本展では、その内の国宝8体による仏像曼荼羅が出現されている。

曼荼羅の図をここに掲載することができませんので
興味のある方はこちらをご覧ください



第二章 入唐求法─密教受法と唐文化の吸収
 延暦23年(804)、空海は日本から唐への公式の使節である遣唐使の一員として唐へ渡る。わずか2年という短期間のうちに、豊かな唐文化を吸収し、当時、最新の仏教の一派として隆盛していた密教の奥義をも修め、師から密教流布を託される。
 この章では、空海が師から託されて唐から日本へ持ち帰ったもの、あるいは空海が持ち帰ったと伝えられる、唐時代の絵画、仏像、法具などが展示されている。

第三章 密教胎動─神護寺・高野山・東寺
 唐から帰国した空海は、高雄山寺(現在の京都・神護寺)に居を定め、密教の諸仏との縁を結ぶ灌頂の儀式を初めて行うなど、密教の布教活動を始める。
 朝廷とのつながりも持ち、やがて高野山の開創に着手、本来王城を護るための国立の寺院であった東寺も賜り、密教の道場として整備していく。
 この章では、日本の密教寺院の原点ともいえるこれらの寺院に関わる絵画、書、仏像、工芸などを展示している。

第四章 法灯─受け継がれる空海の息吹
 空海の活動は弟子たちに受け継がれ、さまざまな造形が生み出されるとともに、唐からの新たな絵画、仏像等の請来も行われた。
 この章では、空海の息吹が残る9世紀から10世紀の絵画、書、仏像、工芸を中心に、空海の活動がどのように受け継がれていったのかを展示している。

曼荼羅
 曼荼羅は仏教のことばで、「集まったもの」、「満ち足りていること」、「聖なる空間」などの意味がある。とくに仏教の美術では、たくさんの仏が規則正しく並んだ絵のことを、曼荼羅とよんでいる。曼荼羅は、複雑なお経の内容を絵にした、いわば「見るお経」である。
 曼荼羅にはいろいろな種類があるが、《金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)》と《胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)》の2つの絵からなる《両界曼荼羅(りょうかいまんだら)》は、その代表である。

エピローグ
 《曼荼羅》という言葉はよく聞くが、その意味を知ることができた。両界曼荼羅のうち、金剛界曼荼羅は智と慈をつかさどり、父親の役目、一方、胎蔵曼荼羅は慧と悲をつかさどる母の役目と考えればわかりやすい。《両界曼荼羅》をこのように理解するのは、あまりにも安易かもしれないが。

 この展覧会を見ただけで密教そのものは十分に理解できないとしても、弘法太子空海という英才が居て、偉業を成し遂げたことについて知ることができる。
 空海は、密教の教えるのに絵画などを用いて理解でき易いように、造形作品を重視している。展覧会においても、絵画、書、仏像、工芸、法具などが展示されており、密教の難しい教えを目で見ることにより、親しみが増す。
 展覧会に行く前は、難しい内容ではないかと心配したが、見て感じるところも多くあり、空海や密教をさらに学んでみようかと思わせる展覧会だった。

 また、NHKのBSプレミアム『空海 至宝と人生(2011年8月放送)』 では、「仏像革命」、「名筆の誕生」、「曼荼羅の宇宙」の三部に分けて空海の人生を映像とエピソードを交えて辿った。薄暗い展覧会の中ではよく見えなかった曼荼羅の詳細もテレビの映像として鮮やかに再現されていた。