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1989年にヨーロッパへ海外出張したとき、訪問する都市を示し、その都市にあるホールを教えてほしいと頼んだら、Hさんが有名なホールのリストと説明書(ホールの諸データなど)を届けてくれた。この時は、14泊の視察・調査に行き5回のコンサートに行った。彼のサポートがなければ、チューリッヒの《トンハレ》に行くことはなかった。 ホールを作るときには設計段階で、ホ-ルのボリューム、形状、仕上げにより残響時間を計算するなど、種々の検討をするが、出来上がってみないと結果が見えないというのが悩みである。出来上がった後に、ホールの仕上げや反射板の調整や変更を少なくするように設計の段階で完成したホールの音を聞きたい、というのが切なる望みであったし、これは今も変わらない。 Hさんは当時からホールの音響に関して新しいシステムを開発するチームの推進役を担っていた。Hさんたちのチームは、室内音場シミュレーター《ストラディア》を開発しており、今年(2011年)には、模型実験を併用した《ストラディアプラス》を完成させた。このことを知り、ほぼ10年ぶりに電話したら、快く応じてくれたので、昔に務めていた技術研究所を訪れて、新しいシステムによる音を聞かせてもらった。 《ストラディア プラス》は、新たに開発した超音波発振装置とデジタル信号処理技術。完成後のホールで演奏される音楽や役者の声を合成するもので、完成後の空間の響きがより忠実に予測・再現されるようになった。 ある日の夕方に《ストラディア》を体験 十数年前のある日の夕方に、Hさんが《ストラディア》が完成したので聴いてほしいと言ってきた。音響実験棟の一室に入ると、部屋の中に数個の椅子が置いてあり、その真ん中の椅子に座るように指示された。正面にはスクリーンがあり、照明を落としてあるので、天井と壁面ははっきりとは見えなかった。 間もなく、照明がさらに落とされ、ウィーンのムジークフェラインザールがスクリーンに投影され、部屋全体に《フィガロの結婚序曲》が流れた。続いて、ボストンシンフォニー、アムステルダムのコンセルトヘボウ、大阪の朝日フェスティバルホールの順に映像が投影され、演奏が行われた。4つのホールの音に明らかな差があり、コンセルトヘボウの音が少し大きく感じられた。
《フィガロの結婚序曲》は、関西で体育館を借り、無響室に仕立て(内装に吸音材を貼りめぐらせ)、大阪のオーケストラに演奏してもらい音源としたこと、開発した室内音場シミュレーター《ストラディア》で実音を合成したこと、視聴室には32個のスピーカーが設置されていると、等々。 それまでに実際に聴いたことがあるのは朝日フェスティバルホールのみだった。残りの3つのホールが有名であることは知っていたので、何時かは訪れてみたいと強く思った。 その後の会社時代の出張の時とリタイヤ―後に、シミュレーター《ストラディア》に取り上げられている3つのホールを体験することができた。 室内音場シミュレーター《ストラディア》 本格的なコンサートホールや劇場の音響設計をする場合、基本設計段階ではコンピュータシミュレーションによってホールの音響効果を数値計算し、室内音場シミュレーター《ストラディア》で実音を合成。それを試聴して、ホールの形状やディテールの検討を行う。 《ストラディア》を開発した時には、プロの演奏家たちをお招きして聴いてもらい、高い評価を得ていた。 朝日ホールの設計にも《ストラディア》が使われており、今井信子のビオラを聞くと、このホールは、ビオラを聞くために作られたかと感じ、室内楽を聴いてもそのように感じる。 《ストラディア プラス》 実施設計段階ではホールの縮尺模型(1/10~1/20サイズ)を製作し、模型内で超音波を発信して、聴取位置までの音の伝搬特性を調べ、可聴化し《ストラディア プラス》、基本設計のダブルチェックやさらに細かいディテールの検討を行う。 この方法により、コンピュータシミュレーションでは確認することが困難であった、より複雑で繊細な音響現象を検討し、実施設計に反映させている。 《ストラディアプラス》の特長 ・基本設計での《ストラディア》に加え、実施設計でのよりリアルな試聴による検証により音響空間を高い精度で検討することが実現 ・グランドピアノのように広い音域で、複雑な指向性を有する楽器でも、すべての周波数帯で広いダイナミックレンジの音を再現することが可能 ・場所を選ばず、様々な方法で音の再現が可能。例えば、10人程度を対象にした同時試聴ができるため、建築主の意見集約が容易 ・縮尺模型を使用するため、席の違いや微妙な内装形状の違いも再現可能 エピローグ 1993年に、江東区の東陽町にあった技術研究所を移転し、千葉ニュータウンに新築した。新しい研究所にたくさんのお客様をお迎えした。来客への対応の責任者も担っていたので、毎日お見えになる来訪者のなかで、重要なお客様への案内役を引き受けて、ともに研究所内を説明しながら案内した。見学に疲れが出てくるコースの後半に《ストラディア》の視聴室を組み入れた。《ストラディア》を視聴された皆様は驚き、喜んでくれた。 今回の《ストラディアプラス》は、音響実験室の中の一室での視聴させてもらった。《ストラディア》ほどの大げさな仕掛けのある部屋ではなく、音の再生のためのアンプ類とスピーカーのある部屋だった。そこでは、最近完成した某ホールにおけるバイオリンとピアノの演奏を再現してくれた。 もちろん、《ストラディアプラス》が開発されたことにより、ホールが完成した後の音を完璧に再現できると主張するつもりはない。《ストラディアプラス》は、音響に対する知識と経験をベースに、最新のコンピュータ技術を駆使して、設計段階で可聴化を試みたものであり、シミュレーターとして高いレベル実現している。 《ストラディア プラス》では模型が必要であり、ウィーンのムジークフェラインザールでの音を聞くためには、このホールの模型を作る手間と費用を要する。もちろん、超音波を発信し測定する作業も必要である。 しかし、ホールが完成した後で、音響を調整するための手間と費用を考えると、事前に投資することの効果は大きいと思う。新しいホールを創るときやホールを改装するときに、関係者の理解があって、費用を準備し、《ストラディアプラス》を活用して、世界に素晴らしいホールが生まれることを期待したい。【生部 圭助】 |
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