2011年11月に、パーヴォ・ヤルヴィとパリ管弦楽団が来日し、その演奏を聴きに行った。両者が協演するベルリオーズ作曲の《幻想交響曲》を聴くのが目的だった。当日は、諏訪内晶子が登場し、メンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》を弾いた。ひさしぶりの国内での演奏会であり、満足できるものだった。 《幻想交響曲》といえば、2002年2月にNHKホールで、シャルル・デュトワとN響による演奏を聴いた。デュトワは1996年、NHK交響楽団の常任指揮者に就任し、1998年から音楽監督に就任しN響との協演を続けてきたが、2003年6月に音楽監督を退任すること聞き、やめる前に、デュトワの《幻想交響曲》を聴きに行った。《幻想交響曲》を聴くのはそれ以来である。
パリ管弦楽団の前身であるパリ音楽院管弦楽団は、1828年にパリに設立されたオーケストラ。パリ音楽院の楽友協会によって運営され、パリ音楽院の教授や卒業生をメンバーとして19世紀から20世紀前半まで、フランス楽壇の中心的位置を占めてきた。1967年に解散され、今日のパリ管弦楽団へ改組された。 パリ音楽院管弦楽団時代の指揮者としては、シャルル・ミュンシュ(1938~1949 )とアンドレ・クリュイタンス(1949~1967)が有名である。 私がクラシックを聴き始めたころに、《ラヴェル管弦楽曲集》をよく聴いた。洗練された粋な感覚と透徹した知性を必要としたラヴェルの作品と言われる曲を両者は見事に演奏している。この全集は、クリュイタンス最高の遺産の一つとされる素晴らしい演奏であり、20世紀を代表するフランス音楽演奏の最高峰と言われている。 写真に示すレコード(SCA 1072)は1961年に録音された曲集の第2集であり、ボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスが収められている。 パリ管弦楽団とミュンシュとによる《幻想交響曲》 1967年、パリ音楽院管弦楽団が発展的に解消され、フランス文化省の大臣アンドレ・マルローと音楽局長のマルセル・ランドスキの要請により、シャルル・ミュンシュを首席指揮者に迎えて、新たにパリ管弦楽団が設立された。 ところが、ミュンシュは1968年に急逝。その後を受け、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1969年から1971年まで音楽顧問)、ゲオルグ・ショルティ(首席指揮者)、ダニエル・バレンボイム(15シーズンにわたって首席指揮者)、クリストフ・フォン・ドホナーニ(1998年から2000年まで芸術顧問)、クリストフ・エッシェンバッハのあと2010年にパーヴォ・ヤルヴィが音楽監督に就任した。 シャルル・ミュンシュ&パリ管弦楽団のコンビではブラームスの《交響曲第1番》やベルリオーズの《幻想交響曲》の有名な録音がある。 1967年11月にパリ、シャンゼリゼ劇場で、ミュンシュとパリ管弦楽団による《お披露目演奏会》としてベルリオーズの《幻想交響曲》が演奏された。このライブ録音盤もあるが、時期を同じく67年の10月にEMIでのスタジオでの録音盤がある。この録音は、レコード(写真はAA-8255)の時代から聴いており、この曲のCDも購入し、コレクションの1枚となっている。 パーボ・ヤルヴィ 1962年、エストニアのタリンに生まれる。カーティス音楽院に学び、ロサンゼルスでバーンスタインに師事した。2004年にドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任。シンシナティ響とフランクフルト放送響の音楽監督、エストニア国立響の芸術アドバイザーの任にもあり、2010年11月のシーズンからパリ管弦楽団の第7代音楽監督に就任した。 ヤルヴィは、2010年にドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団と来日し、好評を博しており、中堅の指揮者として興味を持っていた。 当日の演奏 《幻想交響曲》には先に示したいくつかのことがあり、パーボ・ヤルヴィとパリ管弦楽団の演奏に期待を込めて、久々にサントリーホールへ行った。 当日の第1曲目はウェーバーの《魔弾の射手序曲》。両者にとって手慣れた曲であり、可も不可もない順調な滑りだし。 第2曲目は、独奏者に諏訪内晶子を迎えて、メンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》が演奏された。 偶然であるが、2002年2月にNHKホールで、デュトワが指揮した《幻想交響曲》を聴きに言った時にも諏訪内晶子が登場し、プロコフィエフの《ヴァイオリン協奏曲第2番》を演奏している。 諏訪内晶子は東京生まれ。1990年最年少でチャイコフスキー国際コンクール優勝。翌年4月の《ソ連芸術祭 ゴルバチョフ来日記念演奏会》スペシャルコンサートのリサイタルを聴いたことがある。2階正面のゴルバチョフ夫妻のために演奏した、ヴィエニャフスキの《モスクワの想い出(赤いサラファン)》の演奏が記憶に残っている。 当日の曲目は親しみやすいコンチェルトであり、1714年製作のストラディヴァリウス《ドルフィン》と彼女の指使いによる音色を楽しんだ。 諏訪内晶子のアンコール曲は、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006》から《ルール》。曲名は後で、サントリーホールのホームページで調べた。 休み時間を挟んで後半は、ヤルヴィとパリ管弦楽団が本領を発揮した《幻想交響曲》。第1楽章《夢と情熱》では序奏部の夢、恋人と出会う情熱、第2楽章《舞踏会》では優雅なワルツの旋律の祭りの舞踏で愛する女性が垣間見える情景が描かれ、第3楽章《野の風景》ではある夏の日の田園の風景、夕暮れ、遠方の雷鳴、そして静寂、第4楽章《断頭台への行進》では青年の幻想から生まれた刑場への行進での圧倒的な迫力、第5楽章《ワエウブルギスの夜の夢》では青年の死後の不気味な世界、弔いの鐘、地獄の祝宴は乱舞のうちに最高潮に達する。 ヤルヴィは単刀直入で、余計な装飾や仕掛けをしない指揮者であると感じた。ヤルヴィはパリ管弦楽団の持ち味と能力をあますところなく引き出し、パリ管弦楽団はアンサンブルの良さ、華やかなサウンドの豊かさ、躍動的なリズム感、それぞれのパートが十分に応えた。 エピローグ 《幻想交響曲》の演奏が終了して、聴いている方は十分に満足して帰り支度をしようとした時にアンコール曲が演奏された。まず、ビゼーの《アルルの女第2組曲からファランドール》。これはパリ管弦楽団が最も得意とするジャンルの曲で、聴いていて楽しいの一言。次に演奏されたシベリウスの《悲しきワルツ》 は一転して静かでしみいる様な素晴らしい演奏をきかせてくれた。ビゼーの《小組曲こどもの遊びからギャロップ》はヤルヴィの好きな曲なのか、彼は譜面なしで演奏した。 アンコール曲が終了してからも、ヤルヴィは挨拶をしに指揮台と楽屋を往復した。団員がすべて舞台から去った後も、舞台のそでまで挨拶に現れたヤルヴィに拍手を贈って帰途についた。【生部 圭助】 |