龍の起源
【メルマガIDN編集後記 第235号 120201】


 今年は辰年。この数年間は、今見えている龍と仲間を訪ねて、私なりに龍の理解と知識を蓄えてきた。龍の起源を探ろうとするのは、歴史的な事実や想像の世界に踏み込むことになる。今回は図書館で龍に関する書籍を借り、手持ちと合わせて数冊をそろえた。また、国立歴史民俗博物館主催の第81回歴博フォーラム《新春たつ》に参加し、江戸東京博物館《歴史の中の龍》のギャラリートークも聞いた。

 龍の起源を探るに際して、まず、ズバリ題名の荒川 紘氏の『龍の起源』を参考にし、他の書籍も見てみると、龍の起源についてはたくさんの説があり、一筋縄では語ることができないこともわかってきた。現時点での、《龍の起源》に対する私の視点は、
・古い時代の人々の生活を通して
 《龍を象徴や概念として意味づける》こと
 後に政治的、宗教的な要素も加わって龍の概念が創られる
・《龍のかたちを形態学的に見る》こと
が必要ではないかということである。このことは、この数年続けてきた視点としての《龍の謂れとかたち》にも通じるものである。
 龍の起源を知るためには、遺跡や神話の中に登場する事実をもとにした検証も必要だと思う。深入りすると、とめどもない世界に踏み込むことになるが、先人たちの文献などを学び、教えを乞い、私が理解できたことや感じたことを紹介したい。

 眠れるナーガ神 【笹間良彦著 図説 龍の歴史大辞典より】 


紀元前4000年ころの墓に貝を敷き詰めた龍と虎
【文物 1988年3月より】
この写真は歴博の上野祥史氏の提供による


龍の式服
【ジョナサン・エヴァンス著 浜名那奈訳
ドラゴン神話図鑑より】


八岐大蛇退治 月岡芳年 『日本略史之内』
【笹間良彦著 龍の歴史大辞典より】


聖ミカエルと天使たち 14世紀仏のタペストリー
【ジョナサン・エヴァンス著 浜名那奈訳
ドラゴン神話図鑑より】


龍はいつ創造されたか

 龍の起源に対し様々な見方があり、龍の出現した時期に対しても正確な答(定説)をさがすことは難しい。
 現在見つかっている最古の龍と思われるものは、地面に石を置いて形作られた、揚家窪(ようかわ)遺跡の約8000年前の2匹の龍(1.4M、0.8Mメートルの長さ)という説がある。
 また、歴博のフォーラムでは、中国の河南省濮陽縣西水披遺跡で紀元前4000年ころの墓に貝を敷き詰めて龍と虎らしき動物を表現している写真が投影された。この写真は明らかに、龍と虎の姿を見て取れるものである。(写真参照)

 龍は世界各地に分布しているが、その形態や性格には、西アジアを分岐点として、東西2つの系列が存在している。
 ・インド、中国大陸、日本、南方諸島
 ・ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパに関連する地域

 2つの系列が存在しているとしても、《龍》という概念を大きくひとつにくくることができるのか。その根底には洋の東西を問わない共通したものがあるのではないか。

 人類が狩猟から農耕や牧畜を生活基盤とした頃に、《龍》という概念が生まれたという説が根強い。農耕には水が必要であり、これは古代人にとって自由にならないものである。自然の脅威と災害を免れようという人間の願いから、水に対して神通力を持つ霊獣として《龍》を生み出した。
 自然現象を起こす偉大な力を何らかの形態にして表現しようとした時に、大蛇や鰐などのかたちから龍を創造した。これは、龍を象徴として意味づけることからみた龍の起源の説として納得出来るところがある。

インドにおけるナーガ
 インドでは、コブラをモデルとした蛇の神である多頭のナーガが守護神として崇められていた。仏法に取り込まれて仏法を護持するナーガラジャ(龍王)となった。
 仏教では、龍族の王を天竜八部衆(八大龍王)として仏法を護持する役割を与えた。仏教では、法行龍王という善龍がいる反面、非法行龍王という禍をもたらす悪龍もいた。
 仏典が中国に伝わった際、ナーガラジャが「龍」や「龍王」などと訳され、仏教伝来以後の中国の龍の成り立ちにも蛇神ナーガのイメージがおおきな影響を与えた。

中国
 中国人は黄河を《母なる存在》にたとえる反面、一匹の《暴れ巨龍》にもたとえた。黄河などの大河を抱える中国にとっての河川の氾濫、山崩れ、地震、雷、台風、日食などが龍の仕業と考えられていた。インドでは蛇神であるナーガは中国では《龍》、《龍王》と訳され、龍王は悪の力と敵対して人に利益をもたらすものとして、神聖な守護の力を象徴するものとなった。

 中国では二つの角と五つの爪を持つ龍は皇帝を象徴するものとして神聖視されており、その姿は、宮殿、玉座、衣服、器物などに描かれた。そして単なる畏怖の対象としてだけでなく、瑞兆としても扱われるようになった。

日本
 日本では雨を降らせ大地を潤すシンボルとして、蛇の信仰が広く浸透していた。インドのナーガが中国では《龍》、《龍王》と訳され、それが様々な文化とともに日本に入り、日本の蛇神への信仰と融合して日本の龍の概念とかたちができた。
 そして、龍神は雲や雨水をつかさどる水神として農民に信仰されるようになった。

 日本神話においても蛇退治の話が存在する。素佐之男命(すさのおのみこと)と八岐大蛇(やまたのおろち)との一戦に登場する蛇も龍の一種とされる。

ヨーロッパ
 西洋の神話や伝承では、ドラゴンは悪に立ち向かう聖人や英雄の敵として登場する。神の秩序や創造の力に対する混沌を象徴する悪魔としてドラゴンは位置づけられた。
 聖人や英雄はドラゴンと戦って混沌の源を排除する。西洋のドラゴンは、巨大な蜥蜴・鰐・鷲・獅子などで構成され、その形態においても東洋の龍とは異なっている。

エピローグ
 龍の起源について、以上のように整理するのは単純すぎるとは承知の上であるが、現時点での私の理解であり、今後龍に接するときの道しるべとしたい。

 東洋では龍は神獣として位置づけられ、ヨーロッパのドラゴンは邪悪なものとされているのはなぜであろうか。
 西洋と中国の古代人の自然に対する考えの違いが原因であろう。 西洋において、混沌の源としてのドラゴンを退治するということは、人間が自然を支配できると考えたことの表われである。
 中国においても河の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいたが、その恐怖は畏敬の対象として崇められた。古代中国人は、人間の力をはるかに超越した自然を征服しようとはせず、自然とともに共生しようとした。そして、中国における龍は皇帝のシンボルとしてあがめられるようにもなった。

 なお、ヨーロッパのドラゴンは邪悪なものの象徴だけではなく、龍のパワーを崇拝している例もあることは別の機会に語ることにしよう。