今年は辰年。ピーター ポール&マリー(PP&M)が歌っている《パフ》は龍の名前だとご存じだろうか。《パフ》は龍の息や鳴き声に由来していると言われている。
編集後記集由紀さおりは、2011年12月にアメリカのジャズバンド《ピンク・マルティーニ》と共演し、ニューヨークのタウンホールで、《夜明けのスキャット》などと一緒に《パフ》をうたった。《パフ》に関しては、この曲を題材にしたCD付きの絵本『Puff, the Magic Dragon』が出版されている。この絵本は、さだ まさしの訳で日本でも発売されている。 これまで、ヨーロッパの《竜の系譜》をまとめ、前回はオーストラリアからの龍のたよりを取り上げた。今回はアメリカに飛んで《パフ》にまつわる、肩のこらない話題を紹介する。 ピーター,ポール&マリー(PP&M)
2009年9月にマリー・トラヴァースが、2012年1月に長年行動を共にしてきたベーシのリチャード(ディック)・キニスが亡くなったが、ピーターとポールはサポートプレーヤーのポール・プレストピーノと共にアメリカ各地でコンサート活動を継続している。 フォークソング《パフ》 《パフ》の歌詞は、1959年にレナード・リプトンが19歳の時、オグデン・ナッシュの詩の一節に影響されて作られた。学友のピーター・ヤロウが歌詞を加えて作曲し、1961年からPP&Mの曲として演奏されるようになった。その後、1963年にレコーディングされ大ヒットした。 日本でも、小学生向けの音楽教科書に掲載され、NHKの《おかあさんといっしょ》で放映されるなど、幼児向け番組でもとりあげられ、親しまれている。 <歌詞のあらすじ> 魔法のドラゴン パフ 霧が立ち込めるホナリー島の海のそばに住んでいた 小さなジャッキーはいたずら好きのパフが大の友達 パフとジャッキーは帆を膨らませた船に乗って旅をした 高貴な王様と王子様は彼らに出会うとおじぎし パフの前で海賊船は旗をおろした ドラゴンの命は永遠だけれど ジャッキーの興味はやがて他に移る ある暗い夜ジャッキーはとうとう現れなかった その日からパフは大声で吠えなくなり、悲しみに沈む 友達がいなくては、もう勇気も奮い起こせなくなり 自分の棲家に帰っていった <歌詞の解釈> フォークソングとしての《パフ》は、ベトナム戦争に関わる反戦歌と受け取られ、マリファナを歌ったもの、ヒッピーの聖歌だという噂もあった。また、ベトナム戦争において攻撃機を指す米軍スラング(仲間言葉)にもなったという。 この歌には反戦の意味が込められているとして、ジャッキーが 《パフ》の前に姿を現さなくなったのは、ジャッキーが戦争に行ってしまったから、との解釈もなされた。 しかし、1985年10月のナッシュビルにおけるPP&Mの25周年記念コンサートの冒頭部で、ピーターがギターの弾き語りに以下のことを言っている。「この歌詞の解釈には誤解もあるようで・・・・。子供が成長すれば、無邪気さがなくなる、ただそれだけの意味。生みの親の私が言うのだから確かなこと・・・」。 絵本『Puff, the Magic Dragon』 《パフ》には、2007年にこの曲を題材にして出版された絵本がある。私が入手したのはハードカバーで表3にCDがはめ込まれている立派な絵本。作者はPeter Yarrow, Lenny Lipton、絵はEric Puybaret。表紙には、百万部を売り上げたとのシールが貼られている。 さだ まさしによ日本語訳の『魔法のドラゴン パフ』(出版:武田ランダムハウスジャパン)が2008年に出版された。 絵本には、ジャッキーと《パフ》がホナリー島の海のそばで遊んでいる様子、《パフ》とジャッキーが船に乗って出かけた冒険、ジャッキーが現れなくて失意の《パフ》、悲しそうに自分の棲家に帰っていく《パフ》、等々、歌詞に沿って、Eric Puybaretの挿し絵が描かれている。 由紀さおりが《パフ》を歌う 由紀さおりは、小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属し、童謡歌手として活躍。NHK歌のお姉さん、アニメの声優、CMソングなどで活躍。1969年《夜明けのスキャット》でデビュー後も女優として映画やドラマへ出演、司会、バラエティなど幅広く活躍。姉の安田祥子とのコンサートは25年続けている。 ピンク・マルティーニとの出会い ピンク・マルティーニのリーダーのトーマス・M・ローダーデールが、地元ポートランドの中古レコード店で、由紀さおりのファーストアルバム《夜明けのスキャット》を発見したことが両者の出会いの始まり。 2010年3月、ピンク・マルティーニの来日公演で両者は初共演、同年11月に出た、ピンク・マルティーニのホリデイ・アルバム《Joy to the World》で由紀さおりが《ホワイト・クリスマス》を日本語で歌唱。 由紀さおりはそのころ、《夜明けのスキャット》でデビューした1969年頃に日本や世界でヒットしたポップスや歌謡曲をカバーしたアルバムの制作を開始していた。そして、このアルバムのアレンジとプロデュースをピンク・マルティーニに依頼した。 彼らの提案で、世界でヒットしたスタンダード楽曲も加えられ、コラボレーション・アルバム『1969』が完成し、世界22カ国で発売された。このアルバムの4曲目に《パフ》も収められている。 両者は2011年3月27日、ポートランドで開催された東日本大震災のチャリティーコンサート《オレゴンから愛》で共演。その後、由紀はピンク・マルティーニのワールド・ツアーに合流し、米国で4都市6公演に出演。2011年12月13日のニューヨークのタウンホールでの公演で8曲を日本語で歌い喝采を受けた。由紀はこのコンサートの第1部で《パフ》も歌った。同年12月20日にポートランドでも協演している。 エピローグ ジャッキーが《パフ》というドラゴンと知り合い、友達になったが、ジャッキーが成長して大人になり、他に面白いことが出来て興味が他に移り、《パフ》のことを忘れた、というのが正しい解釈とするのは大人の理屈。子供にとってはファンタジーの世界のお話である。 歌詞では、ジャッキーが現れなくて、《パフ》は失意のなか、悲しそうに自分の棲家に帰っていく結末である。しかし絵本では、見開きのページが2枚加えられている。そこにはひとりの少女が《パフ》に出会い、楽しそうに遊んでいるシーンが描かれている。そして、各シーンには、 Puff, the magic dragon, lived by the sea. And frolicked in the autumn mist in a land called Honalee. の詩が繰り返し記されており、絵を見ていると、PP&Mの歌がきこえてくるようだ。 由紀さおりのでポートランドでの《パフ》の映像をこちらでご覧になれます (残念! アップロードしたユーザーが、YouTubeアカウントを削除したため、タウンホールの映像を見ることができなくなりました) |