今年は辰年。2012年1月より龍の起源などを探り、ヨーロッパの竜(ドラゴン)について概観し、オーストラリアからの龍のたよりを、その後、アメリカに飛んでピーター ポール&マリーのパフやドラゴンという名のカプセル型無人宇宙船にまつわる話を取り上げた。
今回は日本へ戻り、吉祥の四種の瑞獣として、麒麟・鳳凰・亀・龍について、また、これらが彫刻や絵として使われている例について紹介する。
瑞獣の《瑞》の字は中国では吉祥、めでたいという意味を表し、麒麟・鳳凰・霊亀・応龍などの霊妙な四種の獣のことをいう。また、瑞獣は吉祥獣と呼ばれ、四瑞(しずい)とか四大瑞獣と呼ぶ場合がある。短く、麟(りん)・鳳(ほう)・亀(き)・龍(りゅう)とも言う。 麒麟:仁の心を持つ君主が生まれると姿を現す一角の霊獣。体形は鹿、蹄は馬、尾は牛に似て、頭に1本の角があり、全身から5色の光を放つ。一説に、麒は雄、麟は雌という。《生虫踏まず、生草を折らず》と殺生を嫌う。一日に数千里走る事ができるという。 鳳凰:徳の高い王者による平安な治世か、優れた知性を持つ人が生まれると姿を現す五色の霊鳥。鳳は雄、凰は雌、一緒になって愛の象徴。体の前は麟、後ろは鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似るといわれる。 羽が五色絢爛な色なみで、声は五音を発するとされる。古くは風を司るとされたが、後には五行説の流行により、四神のひとつ朱雀と同一視され、火も司るとされるようになった。 霊亀:治水の才を持つ人(帝王)が生まれると姿を現す亀で、亀聖とも呼ばれる。甲羅に水脈が刻まれており治水を助ける。強い生命力、長寿の象徴のシンボルとされる。甲羅の尻尾に髭のようなものが生えているように描かれることが多く、長寿の象徴とも考えられる。 応龍:天地を行き来することができる。また、一瞬にして天上の神々のもとまで昇ることができ、天を自在に駆け巡る風雨を司る存在。4本足で鷹のような翼があり、足には3本の指があり、2本の角、耳、ひげをもち、全身鱗(うろこ)に覆われている。 神社仏閣にたくさんの四瑞を見ることができる 龍を求めて神社仏閣を歩くとたくさんの瑞獣に出会う。社殿や本殿の向拝や唐破風に必ずと言っていいほど彫刻が置かれている。龍と龍、龍と鳳凰の組み合わせが多く見られる。また、外壁や屋内の欄間などにも麒麟・鳳凰・龍の彫刻や絵を見る。 ここでは、四瑞が登場する事例についていくつか紹介してみたい。 称念寺:向拝の龍と鳳凰と麒麟 称念寺は千葉県長南町千田に所在する浄土宗寺。山号は唐竺山、院号は西明院。寺伝では徳治2年(1307)時宗第二祖他阿真教上人の開祖とされる。 伽藍配置は、境内正面の山門、中門(向唐門)、本堂が一直線に並んでおり、参道から進むにしたがって順に敷地が高くなっている。 現代の本堂は、享保15年(1727)の竣工とされる。本堂正面の中央に鳳凰(上部)と龍(下部) 、左右に麒麟が配されている。彫物大工が奉免村(現在市川市)の甚八、塗師が長南の新左衛門と言われている。 称念寺は、本堂の正面の欄間に、波の伊八(初代武志伊八良信由)の作として《龍三体の図欄間三間一面》がある寺として有名である。(この龍の彫刻は撮影できない) 飯縄寺:向拝の龍と麒麟 天台宗飯縄寺(いづなでら)は千葉県いすみ市にある。現在の本堂は、寛政9年(1797年)に再建された。平成の大改修後に、千葉県の有形文化財の指定をうける。 初代伊八が40代の頃、寺の再建期間の10年間滞在し、彫刻はもちろん、総合的にかかわったと言われている。本堂の欄間にある彫り物は伊八の作とされるが、本堂の向拝の龍、唐破風の先端にある麒麟の彫刻が伊八の作であるかは定かではない。 浅草神社:応龍・麒麟 隅田川に投網漁をしていた漁師の兄弟の網に一体の仏像がかかり、それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めた。これが浅草寺のはじまり。 土師真中知の没した後、その嫡子が観世音の夢告を受け、祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされている。 拝殿の建物の四周には龍や麒麟が描かれている。ここでは、龍や麒麟が単体で描かれているものと、龍と麒麟が組み合わされて描かれているものがある。龍の体が魚で翼をもち、胴が短く尾ひれがあり、水を司る霊獣として描かれている。 湯島天神:応龍・鳳凰・麒麟 湯島神社は、湯島天満宮、湯島天神として知られている。雄略天皇2年(458)勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまり。正平10年(1355)郷民が菅公の偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請した。文明10年(1478)10月に、太田道灌がこれを再建。 明治18年に改築されたが老朽化が進み、平成7年12月に総檜造りで造営された。 授与所の軒下に置かれている鳳凰・麒麟・龍のレリーフを紹介する。 成田山祇園会 上町の屋台: 伎芸天・鳳凰・龍の扁額・龍の彫刻 成田山新勝寺の祭礼の期間中、祭りのハイライトは、祭りの始まりを告げる《総踊り》と各町内会の10台の山車と屋台が若者衆によって表参道で繰り広げられる《総引き》。山車や屋台上の若者頭があおり、笛や太鼓で下座連がもり立て、競り上がり式の人形が立ち上がったまま山車や屋台は仲町の坂を勇壮に駆け上る。 ここに紹介するのは上町の屋台。上壱番町として、長い歴史を現在に伝える重厚な屋台。平成14年に一世紀ぶりの大改修を行い、迫力ある動く彫刻屋台として復活。屋根は唐破風一層作り、屋根・柱・土台・彫刻はすべて欅つくり。 写真に示す屋台の正面には、唐破風に伎芸天と鳳凰、龍の扁額の奥に青海波と龍がおかれている。 エピローグ 四瑞の中で亀に出会うことは少ない。亀の例が少ないのは絵や彫刻になりにくいのがその理由かもしれない。 最後に、日本橋の中央にある麒麟の像を紹介する。現在の橋は、明治5年(1872)に架けられた木造の橋を、明治44年(1911)に架け替えたもの。 橋の中央にある麒麟の像の原型の製作には、彫刻家の渡辺長男が、その鋳造には彫刻家で渡辺の義父の岡崎雪聲が担当した。材料に青銅を用いた和洋折衷の様式。西洋的なデザインを主体としながらも、日本的なモチーフも取り入れられている。 最初にこの像を見たときに、羽を持った龍かと思った。足元をよく見ると蹄があり麒麟であることが分かる。四瑞は羽を持っているものも多く、見間違えることもある。 今回紹介した例(日本橋の麒麟を除く)については、それぞれページを作成して説明し、写真も掲載しているのでご覧いただきたい。 編集後記集 |