万年筆余話
【メルマガIDN編集後記 第265号 130501】

 前号でパーカー51のインクの吸入が出来なくなり、銀座の奥野ビルにある《ユーロボックス》で修理してもらったことを書いた。その時に万年筆に関する文献やネットで紹介されている資料をいくつか読んだ。多くの人が万年筆には思い入れがあり、過去の名品と言われるものも多く、趣味やコレクターの対象となっていることを知った。また、ペン先とベロ、インクの注入や貯蔵法等技術的な面においても先人たちの努力と知恵の結晶が現代に受け継がれていることを知った。


萬年筆の印象と図解カタログ復刻版(丸善)と万年筆物語(丸善)
本稿を書くのに参考にした


インク供給機構
オノトのプランジャー式

インク供給機構
ウォーターマン
図は万年筆物語より



マルゼン・ストリームライン
オノトモデル

オノトにあやかって
1994年に製造・販売された



ペン先


キャップリング 左向きの龍


キャップリング 右向きの龍



作家と万年筆展が開催された神奈川近代文学館
左がアプローチ・右は収蔵庫
漱石が実際に使用したデ・ラ・ルー・オノトが展示された


ペンのルーツ
 《pen》の原義は《羽=heather》である。古代エジプト人は沼地に群生する葦の中空の先端を砕いて筆状にしたものにインクをしみこませてパピルスに書いていたという。
 中世以降の筆記具は、羽の中空のカラスマ部分の先端を鋭い刃物で切ってペン先を作った羽ペンだった。鵞鳥の羽を利用することが多く鵞ペンとも言われた。

 羽ペンより耐久性を増す為に19世紀の初頭から先端に金属や角・亀の甲などの断片を付ける工夫がなされ、1803年に鉄ペンが作られた。これは付けペンであり、ペン先やペン軸にインクを貯えたいとの要求にこたえるために、《針先万年筆》が開発され、貯蔵庫付のペンとして万年筆が開発された。

万年筆の誕生
 1809年、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが、ペン軸にインクを貯蔵するペンを発明し、特許を取得したのが万年筆の最初と言われている。1883年、アメリカの保険外交員ルイス・エドソン・ウォーターマンが調書にインクの染みを作ってしまい契約を取り逃がしたことがきっかけとなり毛管現象を応用したペン芯を発明したことが万年筆の基礎となった。

万年筆が日本へ
 万年筆が日本に入ってきたのは、明治17年(1884)に横浜のバンダイン商会が輸入し東京日本橋の丸善などで販売された、スタイログラフィック・ペン。これは針先万年筆で、《針先泉筆》とよばれたが、《泉筆》はfountain penの直訳。丸善は後に《針万年筆》と呼んで、今の万年筆と区別した。
 ウォーターマンの万年筆が丸善を経由して日本へ上陸したのは明治28年(1895)のこと。
 fountain penがどうして万年筆とよばれるようになったかの由来については種々の説がある。ちなみに明治末年頃までは《マンネンフデ》と呼んでいた

万年筆に求められること
 インクを満たした万年筆のペン先を下にして傾けると、中のインクは重力、惰力、毛管引力、空気圧、摩擦、インクの粘力などの作用を受けて、ペンの先端が紙の表面に触れると毛管引力の作用が変化してインクが外に流れてペン先が湿って字が書けるようになる。

 万年筆は完璧であるためには、さらにいくつかの条件を満たさなければならない。使いやすい形と大きさ、できるだけ軽いこと、インクの内臓容量は持ち運び可能で多量であること、インクは書き手の要求以上の速度で出ないこと、構成部品はなるべく少なくて複雑でなく、不注意な取扱いによってたやすく破損しないこと、書かない時にインクが本体からもれださないこと、などの条件がある。

万年筆に要求される性能
 このような用件を満たすために、万年筆の特徴ある多くの開発がなされてきた。ペン先へインクを適切に供給し、書くときにインクが均等に供給されるための、ペン先とベロ(ペン芯:ペン先裏部、胴軸内のインクタンクからペン先にインクを導く部分)、インクの注入方法と貯蔵量・貯蔵法が技術的な開発の中枢部分と言ってよいであろう。

漱石の随筆『余と万年筆』
 「自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。始めて万年筆を用い出してから僅わずか三四年にしかならないので親しみの薄い事は明らかに分る。」
と書き出し、漱石独特の言い回しでペリカンとの付き合いについて書いている。

 「万年筆に就ついて何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。(中略)無精な余は印気がなくなると、勝手次第に机の上にある何印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注つぎ込んだ。
 又ブリュー・ブラックの性来嫌きらいな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑のました。其上無経験な余は如何ペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余は未いまだかつて彼を洗濯した試ためしがなかった。」
 そして、最後のフレーズには《オノト》のことを書いている。
 「各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらに就ついて一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑が酒を解する如く、筆を執とる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。
 ペリカン丈だけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。

 現に此原稿は魯庵君が使って見ろといってわざわざ贈って呉くれたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡をした積つもりなのである。」
 吉田精一による底本の「解説」によれば、発表年月は、明治45年(1912)6月30日。

マルゼン・ストリームライン・オノトモデルの製造・販売
 漱石が「大変心持よくすらすら書けて愉快であった」と書いているのは《オノト》であるが、オノトにあやかった万年筆が発売された。
 昭和30年代を最後に自社ブランドの製造を中断していた丸善では、1920年代にヨーロッパや日本で名品と謳われて人気が高かったデ・ラ・ルー社の《オノト・ストリームライン》の名を冠した、丸善オリジナル《ストリームライン・オノトモデル(写真参照)》を平成6年(1994)から製造し販売している。

 デザインはオノト・ストリームラインをイメージし、現代風のアレンジの中に、ちょっとレトロな雰囲気が漂う樹脂製の太めの安定感のあるエボナイトボディーに繊細なレーザーエッチングのデザインが施されており、ねじ式のキャップなど、万年筆栄光の時代をほうふつとさせる。
 ペン先やキャップリングには、夏目漱石と内田魯庵の原稿用紙に描かれた龍の頭がデザインされている。図柄は原稿用紙のために橋口五葉がデザインしたもの。
 インクの吸入方式はオノト式と呼ばれたプランジャー吸入式ではなく、最近の需要に沿ったカートリッジとコンバーターの両用式になっている。

エピローグ

 2012年1月から2月に神奈川近代文学館で《作家と万年筆展》が開催され、漱石が『余と万年筆』を書いた万年筆が展示された。夏目嘉米子氏(漱石の長男の婦人)より同館に寄贈されたもの。
 「デ・ラ・ルー・オノト、プランジャー吸入式、1910年頃、イギリス。ニブ(ペン先)不明、エボナイト製の胴軸には、金ペンの表と裏をエボナイト製のペン芯で挟んだ両ベロ式のペン先が付いていたと推察するが、現存している漱石の万年筆にはペン先がない」と説明されていた。

 2009年に、漱石が実際に使用していた万年筆をもとに復刻された《丸善140周年記念限定万年筆「漱石」》が発売されている。これは、神奈川近代文学館に所蔵されている万年筆をもとに忠実に再現したモデル。細身のエボナイトボディーに繊細なレーザーエッチングのデザインが施されている。インク吸入方式は、現代の使用に合わせるため、実物とは変更して、コンバータ・カートリッジ両用式になっている。インク吸入方式のために軸の直径は実物より1mm太くなっている。
 この万年筆のお値段は140万円、3本が手作りされ、もう3本を追加注文を受けたとのこと。『こころ』直筆原稿1~5話の複写版(和綴装丁)が附録としてついていた。

 本稿を書くにあたって、『萬年筆の印象と図解カタログ復刻版(丸善:1989発行)』と『万年筆物語(丸善:1994発行)』他を参考にした。漱石の 『余と万年筆』もこの両方の巻頭に収められているが、青空文庫でも読むことが出来る

青空文庫のURLhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2675_6508.html
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