2013年5月30日に開催されたIDNの第119回のふれあい充電講演会で、地元のシルバーボランティアの中俣さんに案内してもらい、小江戸川越を散策した。まち歩きの最初に、徳川家光公生誕の間と五百羅漢などで有名な喜多院に立ち寄った。
喜多院の境内でいくつかの龍にであった。撮影した写真をもとに、私のホームページ《龍の謂れとかたち》に、山門の龍の彫刻、鐘楼門の花頭窓の雲龍、五百羅漢~龍三態~をアプした。
喜多院 喜多院は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院であり、山号を星野山(せいやさん)と称する。良源(慈恵大師、元三大師ともいう)を祀り、川越大師の別名で知られている。 喜多院は、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の勅により慈覚大師円仁により創建された勅願所である。当初は、阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天を祀り、無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。 寛永10年(1633)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた。慶長4年(1599)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺、仏像院北院を喜多院と改めた。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められた。 寛永15年(1638)、川越大火で山門(寛永9年建立)と経蔵以外の伽藍を焼失した。翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿(皇居)の別殿を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、家光誕生の間や春日局化粧の間などがある。 なお、紅葉山御殿の別殿を移築するための資材を運ぶために新河岸川の舟運が開かれたという。 その後、慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などが再建され、今日に至っている。 山門の龍の彫刻 山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門の形式で、屋根は切妻造り本瓦葺き。以前は後奈良天皇の《星野山》の勅額が掲げられていた。棟札により、寛永9年に展開僧正によって建立されたことがわかる。寛永15年の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物であり、昭和30年度に部分修理が行われ現在に至る。 山門には、2体の彫刻があり、そのうちの一つが龍である。当日は今にも振り出しそうな空模様で、庇の奥にある彫刻をはっきりと見ることができない状況だった。写真で紹介できるのは、デジカメとレタッチ(フォトレタッチ)のなせる業である。 喜多院鐘楼門の花頭窓の雲龍 鐘楼門は、寛永15年(1638)の川越大火で焼け残ったともいわれるが、細部意匠などから判断して銅鐘銘にある元禄15年頃の造営と考えるのが妥当とされている。 江戸時代の喜多院の寺域は現在より相当広く、鐘楼門は境内のほぼ中央にあり、今は慈眼堂へ向かう参道の門と位置づけられる。 鐘楼門は、もともとは東照宮の山門だった。慈眼堂の場所には、東照宮が建てられており、寛永の大火で、東照宮が現在の位置に移動し、跡に現在の慈眼堂が建てられた。 鐘楼門には、元禄15年(1702)の刻名がある鋳工椎名伊予藤原重休作の胴鐘を吊られており、銅鐘は、鐘楼門とともに重要文化財に指定されている。 <花頭窓の雲龍> 鐘楼門は桁行3間、梁行2間の入母屋造本瓦葺きで腰袴がついている。正面中央間を花頭窓とし、両脇間に極彩色仕上げの雲龍の彫り物が飾られている。背面も中央間を花頭窓とし、両脇間には極彩色仕上げの花鳥の彫り物が飾られている。 龍をあしらった五百羅漢 喜多院の山門を入ったところの右奥にある五百羅漢は日本三大羅漢の1つとされている。羅漢とは阿羅漢、略称して羅漢と言い、漢訳は応供(おうぐ)であり、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味である。 五百羅漢は川越北田島の志誠の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の半世紀にわたって建立された。 境内には、十大弟子、十六羅漢を含め533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊、普賢の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩の石仏などあわせて538体が鎮座している。 これらの石仏は全てが異なる表情をしている。笑う、泣く、怒る、ヒソヒソ話などの姿態と表情、色々な仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたり、変化に富んでいる。 深夜、羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ているという伝承が残っている。 <五百羅漢の龍> 五百羅漢のなかに十二支の動物たちが居ると言われても、538体の中より《龍》を探すのは容易ではない。シルバーボランティアの中俣さんに、龍をあしらった羅漢が3つあることを教わり、その場所に案内してもらった。右の写真はその一例である。他についてはホームページをご覧いただきたい。 エピローグ:山内禁鈴 喜多院に美しい娘が訪ねてきて、「今日から百日間鐘をつかないでください。お礼に鐘の音色を素晴らしいものにして差し上げます」と言って消え去った。 100日目の夜に別の娘がやってきて、涙ながらに「今夜一度だけ鐘をついてください」と懇願した。一度だけなら、訳を話せば前の娘もわかってくれるだろうと思って和尚が鐘をつくと、いい音がしたが、娘は見るも恐ろしい竜となって風をよび、雲に乗って舞い上がった。 和尚が二度目の鐘をつくと、響きの悪い音がした。その時、南の方より大きな音がし、稲妻が走り、激しい風雨となり、和尚は風車のように99回も回った。和尚は、前に訪ねてきた娘のたたりだと思い、山内では鐘をつかなくなった。 ここに紹介したのは、《喜多院七不思議と伝承》のひとつ『山内禁鈴』であり、《竜》が登場する話として紹介した。 編集後記集 |