山梨県立美術館で《オランダ・ハーグ派展》を見た
【メルマガIDN編集後記 第274号 130915】

 山梨県立美術館は、1978年の開館以来、ミレーの美術館として広く親しまれている。ここで開催された特別展《オランダ・ハーグ派展~バルビゾンへの憧れ、ゴッホの原点~(2013年7月13日~8月25日)》を見た。
 ミレー館の第1室ではミレーの作品を、第2室ではバルビゾン派の画家の作品を中心に展示されている。オランダ・ハーグ派の画家たちがバルビゾン派を手本としながら風景を描いたことを関連付けて見ることが出来る貴重な機会だった。画家としての初期にハーグ派から大きな影響を受けたゴッホについても触れてみたい。


山梨県立美術館 正面
【前庭が工事中で障害物があったので栞の写真で代用】


山梨県立美術館 ちらし
《種をまく人》はこちらをご覧ください


オランダ・ハーグ派展 ちらし
絵はヴァイセンブルフの《ハールレムの風景》


ゴッホ The Weaver(機織) 1884
【写真:ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで撮影】
ここでは展示室での写真撮影が許されている
《じゃがいもを食べる人々》はこちらをご覧ください

山梨県立美術館
 山梨県立美術館は開館以来、「美術文化の向上に資することを目的」として活動をつづけている。ミレーを中心として、バルビゾン派の作家、ヨーロッパの主要な風景画家の優れた作品を収集し、県内外の優れた近現代作家の作品の収集にも力を注ぎ、所蔵品の総点数は、約1万点にも及ぶ。

 所蔵品を紹介する常設展示では、ミレー館・常設展示室・萩原英雄記念室の3室が季節に合わせて年4回の展示替えがなされ、できるだけ多くの作品を見ることが出来るように配慮されている。

ミレー館
 山梨県立美術館は1978年の開館以来、最初のコレクションであるミレーの《種をまく人》を中心としてミレーの美術館としていた。2004年には、新たに南館が開館し、2009年には常設展をリニューアルし、ミレーやバルビゾン派の作品を中心とした《ミレー館》がオープンした。ミレー館の第2室ではクロード、ロランなど、バルビゾン派の画家たちの風景画がたくさん展示されている。

<ミレー>
 ジャン=フランソワ・ミレーは、1814年にフランス西北部のグリュシー村で生まれました。小さい頃から絵を描くのが好きだったミレーは、パリの美術学校へ通い、プロの画家になる。1849年には、パリから少し離れたバルビゾン村に移住。1875年に亡くなるまで、ミレーはバルビゾン村に住みつづけ、農民の姿や生活を描いた。
 この村で、ミレーが最初に描いた大作《種をまく人》は2種類あり、ひとつはボストン美術館に収蔵され、山梨県立美術館に展示されているこの作品は貴重なものである。

<バルビゾン派>
 バルビゾン派は1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派。フランスの首都から60kmほど離れたところにあるフォンテーヌブローの森のまわりにある村のひとつがバルビゾン村。
 19世紀前半、この村やその周辺にはミレーを含めてたくさんの芸術家が滞在や居住し、戸外でスケッチし、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。彼らは、この村の名前をとって《バルビゾン派》と呼ばれた。

オランダ・ハーグ派展~バルビゾンへの憧れ、ゴッホの原点
 本展は、ハーグ派を日本で初めて主題として紹介する展覧会である。オランダのハーグ市立美術館、クレラー・ミュラー美術館の他、国内に所蔵されるバルビゾン派やゴッホの作品も含めた約70点が展示された。

 19世紀、オランダのハーグにおいて、自然観察をもとにした自然主義的な作品を描いた画家たちがいた。彼らは《ハーグ派》と呼ばれ、原野や森、小川や池といったあるがままの自然、農村風景や農民の慎ましい生活を清新な表現でとらえた。彼らはオランダ美術の伝統に加え、フランスの《バルビゾン派》の作品も熱心に学んだ。ハーグ派の画家たちは、バルビゾン派を手本としながらオランダの風景を描き、後に続く画家たちに影響を与えた。 

ゴッホの《じゃがいもを食べる人々》のリトグラフ
 ゴッホは、フランスを中心に展開する西洋のモダニズムのなかでも特異な位置を占めている。ゴッホは、画業の初期にハーグ派から大きな影響を受けていた。

 以前に、ゴッホの《じゃがいもを食べる人々》をアムステルダムのゴッホ美術館で見た。この作品については多くの習作が知られ、ゴッホ美術館所蔵作品(1885年)は、第3作だそうである。

 ゴッホの画家としてのキャリアの初期の頃のこの作品は、オランダのニューネン在住時に描かれた。ゴッホの《暗黒の時代》とか《薄闇の時代》などと称されることがあるが、《じゃがいもを食べる人々》は、その時代を代表する作品とも言われる。

 ゴッホが本格的に画家を志す決意を弟テオに示して数年経過した32歳の頃に制作された本作は、貧しい労働者階級の家族が、小さな慎ましいランプの光の中で夕食として馬鈴薯(じゃがいも)を食する情景を画題にした。
 ゴッホは書簡で「僕はこの絵で、ランプの下で皿に盛られた馬鈴薯を食べる人々の手が、大地を耕していた手であることを明確に表現することに力を注いだ」と書いている。

 《じゃがいもを食べる人々》については、複数のリトグラフが存在するが、今回の特別展では、ハーグ美術館所蔵のリトグラフ(1885年)が展示された。

 このリトグラフは、ゴッホ自らプレゼント用に制作したものである。ゴッホはリトグラフを頼まれて、原画と同じにさらさらと描いた。したがって、このリトグラフの出来上がりは、原画と左右が反対になっている。このような解説が、リトグラフの横の小さなプレートに説明されていた。

エピローグ
 ゴッホには、後年に描いた有名な絵がたくさんあるが、《じゃがいもを食べる人々》の雰囲気によく似た絵があったのを思い出した。ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにあった《The Weaver(機織)1884》である。
 ノイエ・ピナコテークには《ひまわり(12本)》など、ゴッホの作品が数点展示されていたが、この作品は異彩を放っており印象に残っていた。山梨県立美術館で《じゃがいもを食べる人々》のリトグラフを見たことで、初期の頃のゴッホを再認識することが出来た。

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