興福寺仏頭展を見に行った
【メルマガIDN編集後記 第275号 131001】

 東京藝術大学美術館で開催中の、興福寺創建1300年記念《国宝 興福寺仏頭展(2013年9月3日-11月24日)》 を見に行った。本展では、現存する東金堂をテーマとし、興福寺の代表的な名宝であり《白鳳の貴公子》ともいわれる国宝《銅造仏頭(白鳳時代)》をはじめ、仏頭の守護神として造られた国宝《木造十二神将立像(鎌倉時代)》、浮彫の最高傑作として有名な国宝《板彫十二神将像(平安時代)》がそろって展示されている。
 《仏頭》と同じ白鳳仏として、東京・調布の深大寺所蔵の重要文化財《銅造釈迦如来倚像》も特別陳列されている。


興福寺仏頭展 ちらし


木造十二神将立像  拡大
【絵葉書より】 


波夷羅(はいら)大将立像
頭部の髻に辰が乗っている
【絵葉書より】


波夷羅(はいら)大将像
(板彫十二神将像のひとつ)

【絵葉書より】


十二神将立像 辰神 頭部
(浄瑠璃寺伝来)

【東博140周年特集陳列
《天翔ける龍
2012年】

2013年の特集陳列
《博物館に初もうで-巳・蛇・ヘビ》
では、《巳神》が展示された
第1章 法相宗の教えと興福寺の絵画・書跡
 興福寺では、中国で唐代に誕生し、遣唐使を通じて日本にもたらされた法相宗の教義が、1300年の間、受け継がれてきた。会場では重要文化財《厨子入り木造弥勒菩薩半跏像(鎌倉時代)》や2幅の《慈恩大師像》をはじめとする高僧たちの頂相(肖像画)のほか、法相宗関連の書跡・絵画類も展示されている。

第2章 国宝 板彫十二神将像の魅力
 国宝に指定されている《板彫十二神将像》は、厚さ3cmほどのヒノキの平板から武装した姿を彫り出した十二面のレリーフ。高さは1メートル前後で幅は40センチほど。彩色が施されているが、現在は剥がれて素地が出ている。
 彫り口に変化をつけて陰影を強調して絵画の隈どりと同様の効果を出しつつ、骨格を太く描き、構図に工夫することで表情豊かで躍動感のある神将たちの姿を描き出している。

 12点そろっての寺外での展示は今回が初めてだそうで、展示方法にも工夫を凝らしている。神将たちの顔の向きが、正面(1)・左向き(6)・右向き(5)であることから、かつては東金堂の薬師如来像の台座の四方を荘厳していたと推測し、3体ずつを4つの面に配した展示がされている。

第3章 国宝 銅造仏頭と国宝 木造十二神将立像
 展示されている銅造仏頭は、もとは飛鳥の山田寺の丈六像として鋳造されたが、平安末期、興福寺の堂衆たちが飛鳥の山田寺から運び込み、東金堂の本尊薬師如来として安置された。火災に遭い、現在は頭部のみが国宝館に残っている。

 東金堂に安置されている国宝《木造十二神将立像(鎌倉時代)》は、本尊・薬師如来の眷属(従者)として、その守護神の役割を果たしてきた。仏頭が15世紀初頭の火災で本尊の座を新しい薬師如来に譲ってから、今日までそろって並ぶことはなく、今回の展覧会での展示が、約600年ぶりの再会の場となった。

 十二神将立像はヒノキ材の寄木造りで像高は120cm前後で、武装したつくり。波夷羅(はいら)大将立像の台座に固定するための沓裏のほぞの墨書銘があり、建永2年(1207)に彩色を終えたことがわかる。
 作者は明らかではないが分担して制作したと考えられている。12体それぞれに個性的な動きをつけ、各像とも頭部の髻(もとどり)に干支の動物をつけている。

第4章特別陳列 銅造釈迦如来倚像~白鳳の微笑~
 本展では、東京・調布の深大寺から、同じ白鳳時代の仏像である重要文化財《銅造釈迦如来倚像(全高83.9cm)》が特別出陳されている。

仏頭の数奇な運命
 白鳳時代の仏像(現仏頭)は、天武7年(678)に鋳造を開始して同14年(685)に完成され、もとは飛鳥の山田寺の丈六像だった。当初の姿は表面を鍍金した金銅仏であったと想像される。(映像で復元されている)

 山田寺は、大化の改新で中大兄皇子(天智天皇)側について蘇我入鹿を滅ぼした蘇我倉山田石川麻呂(蘇我馬子の孫)が発願して着工された。この功績により右大臣になった石川麻呂は、大化5年(649)に曽我一族の日向の密告で謀反の嫌疑をかけられ自害した。開基亡き後に完成した山田寺で追善のために建立されたのが薬師如来像である。

 平安末期、興福寺の堂衆(お堂に仕える武装した集団)たちが飛鳥の山田寺から興福寺に運びこんだ仏像は、東金堂の本尊、薬師如来として安置された。
 応永18年(1411)12月に起こった火災で東金堂が焼け、薬師如来は運び出すことができないまま破損してしまった。

 その後の所在についての記述は途絶え、所在不明となっていたが、昭和12年(1937)10月、東金堂の解体修理中に現本尊台座内に《仏頭》があるのが偶然発見された。
 《仏頭》は台座の中で木箱の上に乗せられ、本尊と同じ西向きに置かれていた。頭部だけで総高98.3センチという巨大な《仏頭》を誰がどのような思いでここに収めたのか、それがどうして伝えられずに来たのかは謎とされている。

エピローグ
 本展では、興福寺の国宝25点、重要文化財31点など約70点が比較的ゆったりと展示されている。また、ヴァーチャル・リアリティー(VR)技術や模型を使って、同寺で進行中の中金堂再建事業についても紹介されている。

 破損仏で《白鳳の貴公子》ともいわれる《仏頭》の前に立ち、山田寺の本尊として造られ、その後数奇な運命を経てきた仏頭と、事実無根の冤罪を受け入れて自死した石川麻呂を重ねてみると感慨深いものがある。

 国宝に指定されている十二神将立像は、全国に4件ある。奈良・新薬師寺の塑像(奈良時代、但し指定は11体)、京都・広隆寺の木造(平安時代)、興福寺の板彫十二神将像(平安時代)と木造十二神将立像(鎌倉時代)の4組。本展では、興福寺の2組の十二神将がすべてそろって出陳されている。

 本展を見に行った目的は、《仏頭》を見ることの他、龍楽者として十二神将像のひとつである《波夷羅(はいら)大将立像》を見ることにあった。十二神将立像の夫々には十二支の動物が頭の上に載っており、《波夷羅》には辰が頭部の髻に乗っている。

 東京国立博物館(東博)には、浄瑠璃寺伝来とされる重要文化財《十二神将立像》があり、2012年の《東京国立博物館140周年特集陳列 天翔ける龍》で《辰神》が展示された。《波夷羅》を撮影することはできないので、ここでは、浄瑠璃寺伝来とされる《辰神》の頭部に乗っている辰を紹介する。

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