2013年12月10日に、《ウエアラブル・テック・エキスポ》がロスアンゼルスで開幕されたことが報じられている。頭部装置型、腕時計型、サングラス型、ストラップ型、ベルト型など最先端の身に着けられる端末が一堂に披露されている。
1998年の12月に、VR(バーチャル・リアリティ)などの技術の米国における開発状況を調査に行ったことがある。当時から、今回のエキスポに展示されている端末に関わる技術は開発が始められており、今日に至り、製品化され注目を集めている。 この時の調査で、カーネギーメロン大学の金出武雄教授の研究室を訪れたときに、映画《スターウォーズ》で使われた光の剣のバトルの仮想体験をさせてもらったことや、シカゴのイリノイ大学で、情報を直接網膜に書き込む研究をしていると聞き、目への影響は?、と言う質問に、大丈夫との答えなどが強く印象に残っている。
1998年12月2日に西海岸のシアトルに入り、米国における調査のツアーを開始した。1998年は米国の景気が最高潮を迎えている時であり、国民の心意気も高まっているのが感じられた。 シアトルをあとにして、サンフランシスコ、シカゴ、ピッツバーグ、ニューヨーク、ワシントンを訪れた。12月初めの米国はクリスマス一色で、いたるところで見た巨大なクリスマスツリーからも元気な米国を見た。 その頃の海外旅行では写真を撮る量が極端に少なくなっていたが、この年はニコンFを常に使える状態にして米国内(一部カナダ)を移動した。 シアトルの電波塔であり、展望タワー《スペースヌードル》の回転展望レストランの外側のフレームにサンタクロースが取り付けられていた。レスストランの席に座って一回転してくると又サンタが現れるという展示方法。こちらが動いているが、サンタが回転して目の前に現れるという不思議な体験だった。 視察で海外を訪れると、「昼は仕事、夜はコンサート」を常としてきた。サンフランシスコでは、マイケル・トムソン・トーマス指揮、エマニュエル・アックス(ピアノ)によるサンフランシスコ交響楽団の演奏で、ベートーベンの「ミサ曲ハ長調」、アダムスの「センチュリー・ロール」を聴いた。 コンサートから戻って、ユニオン・スクウエア広場などでクリスマスツリーを見た。また、ウォーターフロントの《PIER39》では巨大なツリーが飾られていた。 シカゴでは、マーシャルフィールズ・デパートの吹き抜けの飾りの見事さに驚いた。 ピッツバーグでは、空港にツリーが飾られ、旅行者を和ませてくれた。また、ピッツバーグのヒルトン・ピッツバーグ&タワーズでは、アトリュームに飾られていた、冬の村の情景をチョコレートで作ったデコレーションが目を引いた。 メリーランド大学を訪問するために、ワシントンへは日帰りで行った。ホワイトハウス前のツリーと国会議事堂前のツリーはさすがに立派なものだった。残念ながら昼間のことであり夜の素晴らしさを想像するほかなかった。 リンカーンセンターのクリスマス 1998年のアメリカへの出張では、ニューヨークに2泊することになった。ニューヨークに滞在するクラシックのファンとしては、リンカーンセンターとクラシック音楽の殿堂として演奏家達にとっても憧れの場所であるカーネギーホールの催しが気になる。 オーケストラ演奏を主とするアベリー・フィッシャー・ホールの催しはなく、9日の夜は、現地でチケットを入手して、アリス・ターリー・ホールへ行った。ここでは、E.カーターの90歳の記念コンサートで、《ハープとピアノと2つのオーケストラのための二重協奏曲》他が演奏された。演奏終了後に、E.カーターが客席で立ち上がり祝福され、とてもうれしそうだった。 リンカーンセンターの奥にあるアリス・ターリー・ホールから広場に出てくると、広場の中央に飾られているツリーが噴水とも相まって、クリスマスの雰囲気を盛り上げていた。 カーネギーホールからの帰りにロックフェラーセンターへ 過去何度かニューヨークを訪問したが、カーネギーホールではいずれもクラシックのコンサートは予定されてなく、ホールを訪れる機会に恵まれなかった。 ニューヨークに宿泊する2夜のカーネギーホールの予定をインターネットで調べてみると、クラシックの演奏会の予定はなくがっかりした。大ホールではTRIBUTE TO STEPHAN GRAPPELLIという催しが予定されていた。ステファン・グラッペリはジャズバイオリニストとして有名であり、カーネギーホールを体験したくて旅行社に切符の手配を依頼し出発した。 当夜はステファン・グラッペリが亡くなって一周年の記念コンサート。8時にCBSのPAURA ZAHNの司会で開始された。グラッペリにゆかりのあるミュージシャンが一同に集まり、楽器に接続するコードを奪い合うようにして、観客との和気あいあいの中で3時間あまりの演奏が繰り広げられ、私も本場のジャズとカーネギーホールを満喫することができた。 11時過ぎにコンサートが終了し、ホテルへの帰途、ロックフェラーセンターに立ち寄った。 当時の新聞には「ロックフェラーセンターの巨大なクリスマスツリーに2日夜、明かりがともされた。ロイター。1931年から続く恒例行事。底冷えしている日本とは対照的に米経済はなお好調で、しかもほぼ30年ぶりという治安の良さ。詰めかけた数万人が景気よく歓声を上げた。」と記されている。 12時近くになっても周辺は人であふれて、スケートリンクでは大勢がスケートに興じており、当時の米国の縮図を見る思いがした。 ニューヨークの街の一人歩きは危険を覚悟しなくてはならないのに、57Stから38Stのホテルまで歩いて帰った。その頃のニューヨークの治安の良さは、帰国してから新聞で知ったが、かなり無謀な行動だったかもしれない。 エピローグ 仕事としての先端技術の調査、夜のコンサートとアメリカのクリスマスを混在させて書いた。この年のアメリカへの旅行は、まさにこの3者が混ざり合って記憶に残っている。 ダラス空港を離陸してすぐにマンハッタンの遠景が見え、急いでカメラを取り出して撮影した。WTC(ワールド・トレード・センター)は健在であり、WTCが存在しているマンハッタンの見納めとなり、この年の旅行の印象深い記憶である。 なお、《アメリカのクリスマス》はDigibookにして公開しているのでご覧いただきたい。【生部圭助】 アメリカのクリスマスのDigibookはこちらよりご覧ください 編集後記集 |