歴博フォーラム《初春の馬 (2014年の第93回)》に参加した。歴博フォーラムは国立歴史民俗博物館が毎年、干支にちなんで開催しているフォーラムであり、《新春たつ(2012年の第81回)》、《巳年の初噺(2013年の第87回)》に続いて毎年参加している。
フォーラムでは、研究員の研究成果、研究員が蓄えた薀蓄、フォーラムのためにその年の干支について実施した調査結果など盛り沢山の報告があり、毎年楽しみにしている。
午年の今年のフォーラムの開催趣旨は下記のように記されている。 今年の干支は馬。みなさんは「馬」に対してどんなイメージがあるでしょうか。私たちにとって、馬はあまりなじみがないかもしれません。でも、かつてはとても身近な存在でした。時の流れの中で、馬はさまざまな姿をみせてくれます。 描かれた馬、造られた馬、語られる馬、さまざまな馬が、みなさんをお待ちいたしております。 平川 南館長の挨拶:古代の「馬の戸籍」 館長は例年、開会の挨拶の後1枚の資料により短いお話をされる。いつものA4版の資料が今年はB4版になったとのことで、今年の《古代の「馬の戸籍」》のお話はいつもより少し長く、木簡や文書などによる4つの事例が紹介された。 古代において、馬の戸籍も人と同様に重要視されていた。発見された最古の戸籍は大宰府の国分松本遺跡で発見されたもので、木簡に記されている文字から大宝律令施行(701年)よりも前であることの説明があった。 『延喜雑式』の規定によると、献上された馬の身体的な特徴を記してあるのは、単に荷札ではなく、過所(通行証)としての役割も果たしていたのではないか、とのこと。 古代東アジアの馬:研究部考古研究系・准教授 上野 祥史氏 古代東アジア世界における馬の姿を眺め、日本列島に渡来する前後の様子が紹介された。 馬の利用は、乗馬よりも先に、馬車として殷代の安陽期に突如始まった。王や貴族の墓には馬と馬車を殉葬させた《車馬坑》が存在する。 馬車は戦車と儀仗的な乗り物があり、儀仗的な乗り物は後に牛車に代わる。馬は武人を騎乗させる軍事力として重要な位置を占めるようになる。騎馬の最初の頃は足をかける鐙はまだなく、裸馬や鞍を置いた馬に足をぶらさげてまたがる乗馬が行われていた。 権力を表現する新たな形として起こった《飾り馬》は高句麗、新羅へと朝鮮半島を伝搬し、その流れが日本列島に到達する。 日本に馬が入って来たのは古墳時代のことである。装飾性豊かな馬具が存在しており、現在各地の古墳から発掘されている古墳時代の馬具は、儀仗的性格の強い《飾り馬》を受容した様相をよく示している。 馬の造形:研究部情報資料研究系・教授 日高 薫氏 このセッションでは、馬を描くと題して、変化に富む多様な馬の姿を描いた清涼殿の《はね馬よせ馬》の障子、人物の顔立ちの個性的な描写で知られる《随身庭騎絵巻》、競べ馬の神事を描いた《賀茂競馬図屏風》、神馬の奉納の場面を絵画化した《曳馬図(絵馬)》、馬を群像として表した《牧馬図・野馬図》、法隆寺献納宝物で、銅製竜頭水瓶に《ペガサス(有翼馬)》を描いたものが紹介された。 馬の意匠としては、馬は親しみと共に神聖視され、様々な絵画・工芸に表されているものとして、《宇治川の先人争い》、貴人の厩に駿馬が繋がれている様子を描く《厩図屏風》、馬は尚武のモチーフとして、鍔や三所物(刀剣の付属品である目貫・笄・小柄)などの刀装具、甲冑の染革、印籠、祝い着などが紹介された。 馬の民族:研究部民俗研究系・准教授 山田 慎也氏 正月7日の「白馬節会(アオウマセチエ)」は天皇の白馬ご覧の儀。宮廷の行事だが、現在賀茂分雷神社(白馬奏覧神事)、鹿島神宮(白馬祭)、住吉大社(白馬神事)などで行われている。 《団子馬》は、西讃地方(香川県西部)の民俗風習。男の子が生まれると、初めて迎える八朔(旧暦の8月1日)の日に子供の母親の実家や親族から団子馬が贈られ、子供の無事な成長を祈って飾られる。大形になると、米粉を15キロくらい使って馬体が作り、鞍や手綱はきれいな布で飾られ、高さは90センチメートルにもなる。 八朔の日に馬の飾りをする地域は、現在でもいくつかの例を見ることが出来る。八朔は農耕の予祝的な目的と共に厄払い的な側面も考えられる。 馬の伝承:研究部民俗研究系・教授 小池 淳一氏 初午:二月最初の午の日を《初午》といい、稲荷の縁日であるとされる。観音信仰や道祖神の信仰と結びつく場合もある。 端午の節句:端午は本来、月の初めの午の日をさす言葉だったが、いつの頃からか5月5日のことになった。上巳が三月三日で重三、九月九日を重陽(陽は奇数の意)と同じ発想と考えられる。 山の神:東北地方の民俗信仰で、『遠野物語拾遺』では、出産に際して山の神がやってこないとこどもが生まれないという観念があり、馬の背に荷鞍を置いて迎えにいく、と記されている。淡島神社には、お産の時に来てもらうように、ふだんから女性が木馬を奉納する習慣があり、拝殿には木馬が多数奉納されている。 馬頭観音:馬は農耕や運搬になくてはならない動物であったために大切にされた。馬が死んだ時などは供養のために《馬頭観音》を道端に祀るのは普遍的な事だった。 馬娘婚姻譚とオシラサマ:長者の娘とその家に飼われていた馬との恋物語(遠野物語69話)では、娘の親に殺された馬は娘と一緒に天に上り蚕となって降臨したというお話。北奥羽の旧家にはオシラサマという男女一対の神が祀られている例がある。 馬は神の乗り物として、この世とこの世以外の世界と行き来することが出来るという観念もあり、神仏に近い動物として位置づけられてきた。 エピローグ 今回のフォーラムでは《錦絵に見る幕末・明治の馬の興業》をテーマにした講演もあったが、紹介するのを省略した。 歴博では、《平成25年度第3展示室特集展示「もの」から見る近世 午年の馬》が開催されていたが、行くことが出来なかった。 また、東博(東京国立博物館)では《特集陳列 博物館に初もうで 午年によせて》が年末から年始にかけて開催された。写真は、東博の特別1室と2室の展示物の中より、歴博フォーラムの講演と関係の深いものを選んで紹介した。 編集後記集 |