甦ったアンプとCDプレーヤー
【メルマガIDN編集後記 第284号 140215】

 若い頃にオーディオ装置に興味を持ち、道具にも凝っていた時期があった。縁があって私のそばにあるオーディオ装置は、いずれも最高級品ではなくて、どれもが骨董の部類に入るものである。これらの装置を使っていつも音楽を聴いているわけではないが、どれかに問題が生じると気持ちが落ち着かなくなる。
 
2014年の当初に、CDプレーヤー《ヤマハ CD-2000W》を操作したら、トレイがいつものように出てこない、手で引っ張ると出てきて、格納することが出来るが、繰り返しの操作が出来なくなった。
 またある朝、《クラシックカフェ》を聴いていたら、左のスピーカーより、「ぼそ・ぼそ」と言う音がして、その後音が出なくなった。ほぼ同時期に起きたCDプレーヤーとアンプ《LUXKIT-A3500》のトラブルは私にとって大事件。

 新しく買い換えようかとも思い、最近のアンプのカタログを見たりしたが、《誇り高きラガード》でありたいという気持ちが功を奏して、2月のはじめに、この2つの装置が修理を終えて回復して戻って来た。
 今回は、古い仲間たちが甦って元通りの環境に戻って、心穏やかに過ごすことが出来るようになったことの顛末を書くことにする。


プリ・メインアンプ サンスイ AU-111のカタログ
(1966年頃)



パワーアンプ LUXKIT-A3500
(最左端の真空管が赤熱した)


パワーアンプ LUXKIT-A3500のモデルの名称
(アンプの左下部を拡大)


お役御免になったアンプの部品


CDプレーヤー ヤマハ CD-2000W


まだ手元にあるCD-2000Wの梱包用の箱
(今回の修理の運搬にも役立った)

会社時代にミニコンサートを開催していた
 会社時代に私が勤めていた研究所にお客様をお迎えして説明やデモを行うプレゼンテーションルームがあった。その部屋にスピーカー《DIATONE 2S-305》がおいてあった。実験用の装置であるが、2セットのうちのひとつをこの部屋においていた。
 この部屋で、昼休みや終業後にミニコンサートを行っていた。ここで使っていたのが《A3500》。このアンプは、興味がオーディオからパソコンの制作に移った同僚の一人から私が譲り受けたもの。
 このコンサートの音源には、ミニコンサートを開催する日に《CD-2000W》を、写真に示す梱包用の箱に入れて車で自宅から運んだ。

プリ・メインアンプ サンスイ AU-111
 当時自宅では、プリ・メインアンプとして、《サンスイ AU-111》を使っていた。このアンプは1966年に購入したもので、プリ部とメイン部がセパレートできるようになっており、メイン部は真空管である。
 このアンプを最後に修理してもらったのは1985年2月のことで、修理は今回限りで、以後は受け付けないと言われた。この時の修理については伝票に、症状(ノイズ)、処置(メインアンプ部・その他回路部の部品交換・調整・クリーニング)と記録されている。

 余談であるが、AU-111は、1999年に200台を限定で完全復刻され、発売された。パネルのデザインも同じで、当時の出力トランスを復活させ、出力管等の真空管も同じものを搭載、プリント基板を使わない配線など、極力オリジナルにこだわったもの。お値段は44万円だった。

 AU-111の最後の修理から何年経ったかはっきり覚えていないが、このアンプのプリ部分にトラブルが生じた。この頃には、アナログレコードがCDに代わっており、メイン部分のみを使うことを考えた。

 会社でのミニコンサートもやめていたので、A3500を自宅に持ってきて、AU-111と聞き比べた。山水のほうが馬力はあるが、ラックスのほうが音のヌケがいいので、A3500が我が家の定位置を占めた。AU-111は、A3500がダウンすると再登場させようと天袋の奥に保管してあった。
 今年の年初にA3500のトラブルが発生し、天袋からAU-111を下してきて、スピーカーをつないで電源を入れようとしたら、スイッチが壊れていていた。

パワーアンプ LUXKIT-A3500
 このアンプは、会社でのミニコンサートで活躍した後、我が家にやってきて、AU-111が修理できなくなった時からオーディオセットの重要な一員となり、今日までその役割を担ってきた。
 2012年の夏に、長時間聴いていると右の音が小さくなってゆく傾向が現れるようになった。夏を過ぎると元に戻り、再び2013年の夏には扇風機の風を送りながら聴いていても前年と同じ現象が現れる。夏を過ぎると元に戻っていたが、2014年の年初に、左のスピーカーより、「ぼそ・ぼそ」という音がして、その後音が出なくなった。

 アンプの中を見てみると、出力管のひとつが赤熱しているのが見えた。何年か振りに秋葉原の部品を売っているお店へ行って、問題の真空管を買ってきた。この真空管を交換しても、新しい真空管が灼熱しているのが見えた。これは知識のなさがなせる業であるが、見立て違いだった。

 私の手に負えないので、音が小さくなってゆく傾向が現れるようになった時から相談していたHさんが、知人のOさんが修理を引き受けてくださる手筈を整えてくれた。
 出力管の赤熱の原因は、ドライバー段と出力管の間に入っているカップリングコンデンサー(左チャンネル2個)の1個がリークしており、ドライバー段から直流が流れ込み、バイアスが浅くなっていたと究明してもらった。
 この際、左右のコンデンサーを計4個と一部の抵抗、電解コンデンサーなども交換してもらった。回路図に交換した部品に印を付け、左右チャンネルの周波数特性図(出力およそ1W時)が付いて、A3500が我が家に戻って来た。Oさんに感謝。

CDプレーヤー ヤマハ CD-2000W
 レコードプレイヤーのターンテーブルのベルトの供給が終わり、仕方なくCDに切り替えることにし、CDプレーヤーを物色した。いくつかの製品を聞き比べたり、雑誌の批評などを読んで、CD-2000Wを1985年に購入した。姉妹機にCD-2000があったが、天板の材種と厚みの差、側板に厚さ18mmのウォルナット鏡面仕上げのサイドウッドが付き、音質にも差があるということでCD-2000Wに決めた。

 CD-2000Wは、1987年(ディスクモーター、ボードインキット各不良の為交換)、1998年(トレイローディングメカ部ベルト、フィードメカ部ベルト各交換)、いずれの時も、光ピックアップのレンズクリーニングなどの調整を行ってもらった
 今回(2014年)のトラブルに対しては、2か所のベルトとベアリング交換、基盤半田付けなど修正、メカクリーニング点検再生テストを行った、と伝票に記録してあった。
 部品がなくなったため、修理は今回限りと言われたが、ほぼ30年前の製品が甦り、正常に稼働しているのは驚きである。

エピローグ
 CD-2000WとA3500を接続、アンプにスピーカーに接続し、アナログの時代から聞きなれている曲を選んで、CDで久しぶりに視聴した。
 大きな音を出すことが出来ない環境での試聴で、まず感じたのは耳の衰え。マーラーの交響曲第一番の出だしの音が聞き取れない。弱音の聞き取り、聞き分けができないのは悔しい。
 オーケストラ、室内楽、器楽、声、等を聴いて、高橋竹山の津軽三味線(1973年にジャン・ジャンでのライブ)の音の定位の良さと細かいニュアンスを再現しているのを聴いて安心した。


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