上野東照宮の唐門の内側にある龍の彫刻の写真を撮りに行く途中、東京文化会館で開催される《ティー・タイム・コンサート》の案内を見つけた。当日のコンサートは、東京都交響楽団の4名のファゴット奏者たちによるコンサートが予定されていた。唐門では気にしていた光の具合もよく、無事に龍の彫刻の撮影を済ませての帰り道に、東京文化会館のロビーにできていた列の最後尾に並んだ。大ホールのホワイエまで入ったのは久しぶりである。ロビーから入ってホワイエの正面に設えられた舞台の前の椅子を確保してから、係りの方に断って、演奏者が登場する前の会場の写真を撮った。椅子に座って開演を待つ間、東京文化会館のことや、大ホールと小ホールで聴いたコンサートのことを思い出していた。
東京文化会館は、「首都東京にオペラやバレエもできる本格的な音楽ホールを」という要望に応え、東京都が開都500年事業として建設し、昭和36 (1961)年4月にオープンした。 オペラ、バレエ、オーケストラ演奏などの公演を行う大ホールは2,303席の大きいホール、室内楽やリサイタル等で使用される小ホールの席数は649席。東京文化会館はこのほか、リハーサル室、会議室、音楽資料室を備えている。 前川國男の設計によこの建物は有名であり、建築学科の学生として、建築雑誌で建築の詳細を学び、上野へ足を運んで実物を見た。 東京文化会館でのコンサートの思い出 学生時代、東京の生活にも慣れてきたころ音楽に興味を持ち、労音の催しを聴くために東京文化会館に通った。そこでは、チェロの演奏に没入していた若い頃のロストロポーヴィッチやアシュケナージの姿を思い出す。 カラヤンとベルリンフィル だが、なんといっても最も印象的なのは、1966年のカラヤンとベルリンフィルによる演奏会。1965年春に社会人になり、大阪の本社で研修をうけながら最初の一年間を過ごした。朝日フェスティバルホールでの演奏会に通い始めることから、社会人としての《コンサート三昧》が始まった。 カラヤンとベルリンフィルが来日し、大阪でも演奏会が開催されることを知ったが、研修を終了後の東京勤務を予測して、東京にいた妹にたのんでチケットを確保してもらった。幸い4月より東京勤務になり、東京文化会館でカラヤンとベルリンフィルによるブルックナーの交響曲第8番を聴くことが出来た。 オイストラフ ダヴィッド・オイストラフの演奏を聞いたのは1967年4月16日。キリル・コンドラシン指揮のモスクワ・フィルハーモニーの演奏で、ブラームスの《ヴァイオリン協奏曲》とマーラーの《交響曲第9番》が演奏された。ブラームスのコンチェルトの冒頭、流れる汗を拭いながらヴァイオリンの出を待っていたオイストラフの姿が記憶に残っている。 ゴルバチョフ コンサートに行ったら、ゴルバチョフ夫妻が現れたことがある。1991年4月16日の《91ソ連芸術祭 スペシャルコンサート》でのこと。 バルコニー席からにこやかに手を振っていた二人の姿が印象的だったが、この頃はゴルバチョフにとって激動の時期だった。 ゴルバチョフは、1986年にペレストロイカを提唱し、ソ連の改革を進める。1989年にベルリンの壁が崩壊、1990年には東ドイツの西ドイツへの統合された時期。この年の3月15日大統領に選出されたが、権力基盤は弱く、エリツィンがロシア共和国の大統領となり、ゴルバチョフの地位を脅かすようになる。1991年にかけての政情不安の中4月に来日している。このコンサートから4カ月後の8月19日に妻と共にクリミア半島の別荘に軟禁される事件を経て、12月25日にソ連大統領を辞任した。 この時のコンサートでは、20歳のキーシンがショパンとリストを、諏訪内晶子がラヴェルのバイオリンソナタと、ゴルバチョフ夫妻のために《モスクワの思い出(赤いサラファン)》を演奏した。 東京文化会館の小ホールでのコンサートの思い出 流 政之が内装を担当した東京文化会館の小ホールは大好きで、ここでのコンサートの思い出も多い。 ミーシャ・マイスキーが、1991年6月4日と5日の二晩に分けてバッハの《無伴奏チェロ組曲》の全曲を演奏したときは、2日連続でコンサートに通った。 岡村喬生の《冬の旅》も何回か聴きに行った。1985年の《冬の旅》はピアノ伴奏が高橋悠治という異色の組み合わせ、2006年にはイェルク・デームスを相手に事前のトークも行った。この日のコンサートについては、メルマガIDN第95号の編集後記に書いている。 年末に恒例になっていた小林道夫がチェンバロを弾く、バッハの《ゴールドベルク変奏曲》の演奏会には1990年、1992年、1996年に行った。小ホールで流 政之が醸し出す空間とチェンバロの音の組み合わせは大変好きである。 ティー・タイム・コンサート 10分ほど列に並んで12時30分にホワイエに入る。舞台はロビーから入ってホワイエの正面に設えられており、席からは逆光になるが、開放感を醸し出すために光を遮断することはあえてやっていないようだ。広いラウンジの席に座って30分待って、演奏者たちが登場する。演奏者は、岡本正之、長 哲也、向後崇雄、山田知史のファゴット奏者とラテンパーカッションの久一忠之の5名。 演奏された曲目は、愉快なスケエルツォ(プロコフィエフ)、ファゴットとチェロのためのソナタ(モーツァルト)、ラスト・タンゴ・イン・バイロイト(シッケレ)、タンゴ組曲(ピアソラ)、熊蜂の飛行(リムスキー・コルサコフ)。 2曲目のモーツァルトの演奏でのファゴットの1本は古楽器であり、復刻したものではなく制作された当時のものとの説明があった。 4本のファゴットが同時に演奏されるのを聴いたことはなく珍しかった。1時間弱の演奏はあっという間に終わり、アンコールには、パーカッションも入り、ヨハン・シュトラウスの《雷鳴と電光》のにぎやかな中で演奏会が終わった。 エピローグ 私は聴きに行ったコンサートのチラシやプログラムを保管している。ファイルボックスの中より、東京文化会館で聴いたものを探してみると、上記のほか、小沢征爾と新日本フィルとロストロポーヴィッチによる《誕生60周年記念コンサート(1987)》、イングリット・ヘブラーのリサイタル(1989)、ヤンーチェック弦楽四重奏団(1992)、チョン・キョン・ファ(1994)のリサイタル、などに行ったことが分かった。 1986年にサントリーホールがオープンした後は、東京文化会館に行くことが少なくなっている。改装した後の大ホールの雰囲気を味わってみたいと思いながら、まだ目的を達していない。【生部圭助】 編集後記集 |