横浜の關帝廟と媽祖廟
【メルマガIDN編集後記 第290号 140501】

 龍楽者にとっては、横浜は龍の宝庫である。關帝廟と媽祖廟は、特に興味のある対象である。關帝廟は武君を、媽祖廟は女神様が祀られていることから、両者は兄妹と言っていい関係にある。


横浜関帝廟 正面


神殿 棟飾り


聖帝君
横濵關帝廟へ


横浜媽祖廟 門より神殿を見る


横浜媽祖廟 龍のレリーフ


横浜媽祖廟 門の棟飾り (門の内側より見る)
横浜媽祖廟へ

 關帝廟については、2012年の7月にホームページにアップしている。
 媽祖廟については
2013年の12月に撮影を済ませていたが、写真のカット数が多く、レタッチしたい要素も多く、落ち着いて作業する時間がほしくて、手がついていなかった。
 連休にはいってから、媽祖廟の龍の装飾の写真を何処の部位をどの方角から撮ったかを特定し、レタッチの作業を繰り返し、やっとアップすることが出来た。關帝廟についても、写真を追加してリニューアルし、特集《横浜まち歩き》にアップした。


關帝廟
 関帝廟(かんていびょう)は、関聖帝君(関帝・関羽・関帝聖君)を祀る廟であり、孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。関聖帝君を祭ったほこらが關帝廟の始まりと言われている。
 世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にと、その居住区に関帝廟を立てた。世界中の中華街などで關帝廟を見ることが出来る。

<關聖帝君>
 關聖帝君は『三国志』の関羽伝で有名な実在の人物であり、信義や義侠心に厚い武将として名高い。民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されていった。武将として理財に精通していたため、財神すなわち商売繁盛の神としても厚く信仰されている。

<横濵關帝廟の創建>
 
1858年に結ばれた日米修好通商条約を機に、横浜は開港場として整備され、翌1859年6月2日に日本が開国して横浜の港が開かれた。
 多くの中国人が商人や職人として横浜を訪れ、商館を築き、外国人居留地(現、山下町)で暮らすようになる。それから数年後の
1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれる。これが横浜の關帝廟の始まり。

 關羽の祠は日々の暮らしの安寧や商売繁盛を願う華僑の心の拠りどころとなり、生活の中心となり、
1871年、華僑たちの募金によって、本格的な關帝廟が建立された。

 中華街の通りの奥にあった關帝廟は三度の火事に罹災した。幕末のころに建てられた關帝廟はその後、
1923年の関東大震災、1945年の大空襲で消失、1986年(昭和61年)元旦、關帝廟は不審火で廟堂が焼失した。

 四代目については、横濵關帝廟再建委員会が組織され、中華街の総意と付託を受けて、広く各界・各層の要望をまとめ、討議を重ねて再建案を作成し着工。第三代の焼失から5年近くの歳月を経て、
1990年(平成2年)8月14日、第四代關帝廟の開廟式が開かれ、1004年に3期2年にわたる工事が完成した。
 第四代關帝廟は通りに面した開放的な場所に建てられたため中華街に暮らす人たちだけでなく、この街を訪れる多くの観光客が気軽に足を運ぶ場所になった。關帝廟は信仰の場であるとともに、中華街、横浜観光の顔としての性格もあわせ持つようなった。
 今後も時代の変化とともに、關羽信仰を始めとする中国文化の発信地として、新たな役割を担っている。

媽祖廟
 横濱媽祖廟は、みなと横浜にふさわしい海の安全を守る媽祖を祀る文化施設である。
<媽祖>
 《媽祖》は「天后」ともいわれる。北宋時代(
960年-1127年)に福建省の林氏の娘として生まれた。生まれて1ヵ月も泣き声をあげないため、《林黙娘(りんもうにゃん)》と名付けられた。小さい時から才知に長け、10歳の頃には朝晩欠かさず念仏を唱え、16歳で神から教えと銅製の札を授けられたといわれている。

 媽祖は神通力を駆使し、むしろを用いて海を渡り、雲に乗って島を巡回し、札の力で悪や災いをしりぞけたことから、病を癒す彼女を人々は、《通玄の霊女》と尊敬の気持ちをこめて呼ぶようになった。

 28歳の9月9日に修行を終え天に召された後も、赤い衣装をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られた。

 人々は廟を建てて護国救民の神様として祀るようにった。その神通力は国に広まり、歴代の皇帝も「天妃」、「天后」、「天上聖母」などの名を贈り敬意を表した。
 《媽祖》は、航海を護る海の神様として、自然災害や疫病・戦争・盗賊から人々を護る女神様として現在でも中国大陸・台湾はもとより、華僑が住む世界各地で信仰されている。

<横浜媽祖廟の創建>
 日本では、15世紀に沖縄・琉球王国で廟内に媽祖が祀られていたのが最初と伝えられている。明治時代の清国領事館(現・山下小公園に所在)に媽祖廟を意味する《天后宮》が祀られていたという記録がある。
 横濱媽祖廟は、中国文化の継承と発展を期するとともに、新たな横浜中華街の魅力づくりに寄与し、横浜の地域社会に貢献することを目的として建立された。
 横濱媽祖廟は、《横濱媽祖廟再建プロジェクト》として進められ、
2006年3月17日、落慶開廟した。

 横浜媽祖廟のご利益は、家内安全・商売繁盛・心願成就・開運成就・身体健全・社運隆昌・交通安全・旅行安全・厄難削除・合格成就・安産祈願・息災延命・良縁成就・無病息災・除災招福、などとされている。

エピローグ
 私のホームページ《龍の謂れとかたち》の中で、特集《横浜まち歩き》を鎌倉や湘南と分離して独立させた。
 《横浜まち歩き》では20件の龍について紹介している。この中でも特に愛着のある横浜中華街の四神のうち、東を守護する朝陽門については、ホームページを作成し、メルマガIDN第164号(
2009年)の編集後記にも書いた。
 今回、媽祖廟を新規に、關帝廟をリニューアルしてアップすることができたことを喜んでいる。

編集後記集