古代のロマンに誘う黒岩重吾の歴史小説
【メルマガIDN編集後記 第296号 140815】

 梅原 猛の『隠された十字架』、『塔』、『飛鳥とは何か』、『神々の流竄(るざん)』などは、この時代の歴史に対して興味を持ち、私が古い時代の歴史を学ぶのを助けてくれた重要な書である。これらの書は歴史を学ぶ姿勢で読んだ。
 黒岩重吾の一連の歴史小説は、歴史の背骨にあたる史実を主題にし、その時々の歴史上の人物を主人公として、感情豊かに描いており、物語として楽しみながらその時代の歴史を知るのに誘ってくれる。


北風に起つ(ハードカバー)


聖徳太子 日と影の王子(文庫)


落日の王子 蘇我入鹿(文庫)


天の川の太陽(文庫)


天翔る白日―小説 大津皇子(文庫)


黒岩重吾
 黒岩重吾は、大正13年(
1924)年に大阪で生まれ、平成15年(2003)に没。同志社大学卒業後、様々な仕事の傍ら文筆活動をし、大阪のあいりん地区(釜ケ崎)の診療所を舞台にした『背徳のメス』で直木賞を受賞した。当初、黒岩は社会派推理小説、風俗小説作家として活躍した。

 70年代から古代史をテーマにした小説を書き始め、壬申の乱を主題にした『天の川の太陽(
1979年)』で第14回吉川英治文学賞し、古代史を舞台にした作家として世に認められた。
 その後、時代をさかのぼり、また時代を下った多数の歴史小説の著作を残した。

継体:越から近江にかけての巨大豪族の首長が天皇に
 古代史小説の六作目となる『北風に起つ』は、継体天皇を主人公にした長編。五世紀の応神・仁徳王朝の跡を受け継いだ六世紀前半の継体天皇(男大迹王=ほどのきみ)は、天皇家が万世一系でないと言われることもさることながら、史実が明確でないといわれる天皇。

 越から近江にかけての巨大豪族の首長である男大迹王は、大和朝廷から武力で政権を奪い取ったとする説と、性格が温厚で大和の氏族に迎え入れられたという説がある。黒岩は後者の立場をとっており、生前に「この小説は、ほとんど私の創造による」と語っていたそうである。

 この小説には、蘇我氏が政治的に飛躍した中興の祖ともいわれる蘇我稲目が登場し、その後の蘇我氏が台頭して全盛を極める(後に滅亡)発端となっている。

聖徳太子:太子の活躍と山背大兄王と上宮王家の滅亡
 私が最初に黒岩と出会ったのは、日本経済新聞の夕刊に
1985年9月から翌年の12月にかけて連載された小説『聖徳太子 日と影の王子』である。
 本書では、父である橘豊日大王(用明帝)の死後間もなく厩戸皇子は、大臣蘇我馬子に請われ、物部守屋討伐戦に従軍し、神仏戦争(実態は王位継承戦)に勝利する。

 推古女帝が即位すると、廐戸は馬子に推されて皇太子となる。大子は、氏族制の打破と人間平等主義という思想を持っており、つぎつぎに新しい政策を打ち出した。小説では、太子の活躍を前面に出しながら、時の実力者である馬子と推古天皇の葛藤が描かれている。

 『斑鳩王の慟哭』では、太子は政治の表舞台からは退き、息子の山背大兄王の時代になる。
 馬子が老いて息子の蝦夷と山背大兄王が対立、蝦夷の息子の入鹿によって山背大兄王をはじめ上宮王家(太子の一族)すべてが滅亡するところまでが描かれている。

 この時代を題材にした作品としては、『磐舟の光芒 物部守屋と蘇我馬子』、『紅蓮の女王 小説推古女帝』、『「日出づる処の天子」は謀略か―東アジアと聖徳太子』などがある。

中大兄皇子と中臣鎌足による大化の改新
 大化の改新は、飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年=646)に発布された改新の詔に基づく政治的改革。中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏本宗家を滅ぼし、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わった政変。

 黒岩は、入鹿を主人公にして『落日の王子 蘇我入鹿』を書いた。蘇我一族が政治権力を握り、入鹿は自らが大王となることを目指し、自分の立場を強固なものにするために皇極天皇と深い仲になるが、皇極の息子である中大兄皇子の怒りを煽ることとなる。
 蘇我氏の専横を嫌って、王政復古をすることに加担した中臣鎌足の登場が、後の藤原氏の台頭の発端となっていることにも注目したい。
 黒岩は、この時代をテーマにして『中大兄皇子伝』を書いている。

天武天皇による壬申の乱
 壬申の乱を舞台に大海人皇子(天武天皇)を主人公として描いた『天の川の太陽』は、黒岩が書いた最初の古代史小説。『歴史と人物』に1976年1月号から
1979年6月号まで連載され、吉川英治文学賞を受賞した。

 大化の改新後、兄である天智天皇の政権下で疎まれ、自らの命に危険を感じた大海人は剃髪して都を出て吉野宮滝に隠遁する。
 天智天皇の片腕である鎌足が亡くなり、天智天皇も昔の怨霊に悩まされながら亡くなる。
 天智天皇を継承するのを正統とする大海人皇子は起ち、皇位を奪うために近江朝の天智の息子の大友皇子を滅ぼし、天武天皇となり持統の時代に続く。

 『天の川の太陽』では、当時の日本の状況だけでなく、朝鮮半島との関係も物語におり込んでいる。新羅の侵攻をうけた百済へ援軍を送った朝鮮の事情、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗を喫することなどが描かれている。また、額田王と天智と天武の恋愛などのエピソードが彩りを添えている。

 本書では、大友皇子即位説に立っているが、学会では、大友皇子が即位していなかったとする説や大海人皇子の出自そのものに対する疑問も提示されており、壬申の乱を、違った視点で読み解くのも一興である。

 この時代の黒岩の作品としての『剣は湖都に燃ゆ 壬申の乱秘話』、『影刀 壬申の乱ロマン』、『茜に燃ゆ―小説 額田王』等があるが、松本清張の『壬申の乱』や、井上靖の『額田女王』も読むとこの時代をより理解することが出来る。

 壬申の乱から時を経て、持統は天武との子である草壁皇子への王位の継承を確かなものにするために、草壁のいとこ(天武と持統の同母姉の子)である大津皇子を排除することを策謀する。持統は、天武天皇が崩御したのを機に、大津を謀反の罪で殺害する。
 大津皇子を主人公にした『天翔る白日―小説 大津皇子』で、黒岩は、自由闊達で人望がある大津を悲運の皇子として描いている。
 大津を抹殺することには成功したが、息子の草壁が早逝し、持統が皇位を継承することになる。

エピローグ
 黒岩重吾は『古代史の真相』の冒頭に、「私なりに勉強してきた二十数年の知識を土台に、時に大胆にイマジネーションを駆使して推理し分析する・・・」と書いている。
 『古代史の真相』もそうであるが、『古代史の迷路を歩く』などで黒岩は、歴史的通説や異説などを提示し、そのうえで自説を示しており、十分な裏付け調査をしていたことをうかがい知ることが出来る。

 黒岩の小説には、継体以前については『鬼道の女王卑弥呼』、日本武尊を主人公とした『白鳥の王子ヤマトタケル』や『東征伝』などがあり、壬申の乱の後については、藤原氏の台頭を描いた『天風の彩王 藤原不比等』がある。
 これらも興味のある小説であるが、紙面の都合で紹介できなかったことを付け加えておきたい。


参考とした資料
編集後記集