明治時代の龍をあしらった金貨と銀貨
【メルマガIDN編集後記 第301号 141101】

 龍をあしらった明治時代の金貨と銀貨は、龍楽者にとって見逃すことのできないアイテムのひとつである。縁があって、清田泰興氏のお宅を訪れて、貨幣の収集の薀蓄を聞き、清田氏所有の金貨や銀貨の収集品を拝見し、写真を撮影させてもらった。清田氏は元日本航空のパイロットで、本業の傍ら長年日本の貨幣の収集家として知られる。


明治3年銘の20円金貨  表面
実物の直径は35.06mm


明治3年銘の20円金貨  裏面


本位貨の座を奪われた旧1円金貨


明治10年銘の20円金貨  表面


明治10年銘の20円金貨  裏面

金本位制の始まり
 新しい貨幣制度の策定が進む中、大隈重信らが提案し、政府が採用を決めたのは銀本位制だった。これは、明治3年(
1870)のこと。同年12月に渡米中の伊藤博文から、金本位の採択を強硬に主張する意見書が提出された。当時、米議会では新貨幣法案が討議され、金本位制論が有力になっていたからである。これに対して、政府は妥協案として金銀本位制を伝えたが押し切られ、一転金本位論となった。

 明治4年5月公布の《新貨条例》のもと、明治政府は、金本位制による通貨制度を確立した。通貨単位をそれまでの《両》から《円》へ、旧1両を1円と等価、また、1円を1ドルと等価とした(1ドル=1円時代)。円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘と定めたのは、洋式幣制の10進法に依ったものである。

 《新貨条例》では、純金1.5グラムが1円と定められたため、当時の20円金貨(旧金貨)には30グラムの純金量を有し、10 円以下の金貨(5円・2円・1円)もこれに倣っている。純金では柔らかすぎて磨耗しやすいために、金貨の品位は、金900/ 銅100となっている。

 旧金貨とは《貨幣法(明治30年公布)》以前に発行されたものを云い、以後に発行された新金貨(1ドル=2円時代)と区別される。

明治3年銘の20円金貨
 明治3年銘の20円金貨は、明治4年に《新貨条例》を公布し、明治政府が最初に発行した金貨であり、20円・10円・5円・2円・1円の5種が発行されたものの一つである。

 20円金貨のデザインに関しては、欧州諸君主国の例に倣い表面に天皇の肖像を刻むことも考えられたが、天子を表す龍図に替えられた。

 金貨は、表中央に天皇を象徴する玉を抱く龍が配されている。裏面には、天皇と皇室の紋章である菊紋《十六弁八重表菊紋》と、それに準じて格式あるとされる桐紋《五七桐花紋》があしらわれている。左右には月日を描いた錦の御旗、中央には日章と八稜鏡、およびそれを取り囲む菊と桐の枝飾りが配された絢爛で精緻なものである。

 この刻印の製作にあたったのが、明治天皇の太刀飾りを刻んだ彫金家の加納夏雄(1828-98)。加納は後年東京美術学校(現東京藝術大学)の初代彫金科教授となる。

 当時、英国王立造幣局の香港支局が廃止になり、明治新政府がその造幣機械一式を購入。香港造幣局長トーマス・キンドルをはじめ、7名の英国人技師を日本に呼び、指導を受けながら製作したという。
 
<年銘(ねんめい)の不思議>
 20円金貨の写真には明治3年という年銘(年号)の文字が見える。明治4年に《新貨条例》が公布されたのに、明治3年銘の金貨があるのはなぜか?
 明治3年、新貨幣の製造が始まるとみた当局は、予め同年銘の極印(金型)を作り用意した。《新貨条例》の公布は翌4年となったが、明治3年の極印を修正することなく、そのまま発行に踏み切ったためと見られている。

本位貨の座を奪われた旧1円金貨
 明治4年に《新貨条例》を公布した明治政府は、1円・50銭・20銭・10銭・5銭の5種の銀貨を発行した。同時に、1銭・半銭・1厘の銅貨も制定した。そのうえで、旧1円銀貨は貿易専用の貨幣として位置づけられた。この銀貨は、国内での公的通用力を持たないで誕生したともいえる。
 
 銀貨の表中央に、天皇を象徴する抱玉の阿龍(口をあいた龍で金貨も同じ)、裏中央に旭日、上部に菊紋を挟んで桐2葉、下部左右に菊・桐の抱き合わせがあしらってある。

 この銀貨の刻印製作にあたったのは金貨と同様に彫金家の加納夏雄。彼は肉彫り、片切り彫りの技法を駆使し金・銀・銅貨の極印を完成した。
 龍の図柄は銅貨にも用いられたが、これは吽龍(口を閉ざした)。ちなみに、龍の図柄は大正3年銘の新1円銀貨にも用いられた。

<旧1円金貨の不思議>
 《新貨条例》は金貨を本位通貨、1円銀貨を貿易用銀貨と位置づけたが、両者の関係は《銀貨100円につき金貨101円》とされた、なぜだろうか?
 同条例は、純金1.5gを1円、同時に純銀24gもまた同価とした(金銀比価1対16)。しかし、政府は貿易が上手く行くようにと、1円銀貨に占める純銀の量を24.26gに増やした。つまり、1円あたり0.26g増された銀貨100円は金貨101円に相当するとみなしたのである。

エピローグ 明治10年銘の20円金貨
 明治10年銘の20円金貨はわずか29枚発行されたもので、収集家にしかわからない価値がある代物であり、マンション(オクション?)を買うことが出来る値が付くそうである。
 清田氏は、そこまでは手がでないとおっしゃって、中野に住むOさんから平成12年にもらったという写真を見せてもらった。

 20円金貨の各年の発行枚数は、明治3年(
46,053枚)・明治9年(954枚)・明治10年(29枚)・明治13年(103枚)である。
 
2014年6月に、何でも鑑定団に清田氏が登場した時に持参して鑑定を依頼した明治9年に発行された20円金貨が1,200万円と鑑定された。この金貨は954枚発行されたものである。

 今回紹介した写真は、
2006年に清田氏のお宅を訪れた時に撮影したものであるが、当時所有していたデジカメの性能がよくなくて、写真の出来がよくないのが残念である。

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