龍を染めた手拭い
【メルマガIDN編集後記 第302号 141115】

 ホームページ《龍の謂れとかたち》の中で、龍柄の手拭い、バンダナ、風呂敷、ハンカチ、のれん等もひとつのジャンルとして注目してきた。龍柄の手拭いとしては、龍そのものを染めたものと、十二支のひとつとして辰をあしらったものがある。今回は手拭いの《染め》についても触れ、これまでに収集したいくつかの龍柄の手拭いを紹介する。

  
左:誉玉昇龍紋(濱甼高虎手書きを加えた絵付けと染め 
中:三色龍(濱甼高虎) 玉三郎が楽屋で使用
右:川越の《旭屋》で購入したもの 注染による



誉玉昇龍紋(濱甼高虎)の部分
手書きを加えた手の込んだ絵付けと染め

  
左:昇り龍( 銀座大野屋)
中:立ち龍( 銀座大野屋)
右:小紋・総柄の龍(大)(戸田屋)


型紙 うつし絵・刺青(戸田屋)


刷り見本

オリジナルデザイン
《玩具十二支手拭い》

影山のり子
(あとりえDIO)



十二支亀甲柄の手ぬぐい(銀座大野屋)


14台の曳山のうち、飛龍、七宝丸、義経の兜に龍を見る

染めについて
 手ぬぐいの染め方には、いくつかの異なった方法があり、それぞれに特徴がある。《手捺染》と《注染》が本染めと言われている。

<手捺染(なっせん)>
 手捺染は、一色ごとに型を作り、糊に色(染料や顔料)を混ぜて刷り込むことによって生地に色を浸透させる方法で、写し染め、一般的に(ハンド)プリントと呼ばれている。
 生地に裏表がある手捺染は、生地の片面に型を置きヘラ(スキージー)で染めるため、注染のような完全な裏通りではない。手捺染の特徴は、手拭いらしい風合い、肌触り、多色使いの細かく複雑な柄を再現できるとこにあり、コストが比較的安い。
 手捺染では型紙を一色ごとに作り、使用する型は使い捨てである。

<注染(ちゅうせん)>
 注染は、明治時代に開発された昔ながらの伝統的な染色方法で、生地に型をのせて生地の染めない部分に糊(防染糊)をつけて生地を折りたたみながら染める方法。
 注染は生地の表裏が同じに染まり、グラデーションが可能。染料は布の下側に抜けるため、生地の繊維そのものにしみこみ、布の芯まで染まる。
 注染には、白地一色・一色染め・差し分け・細川染め・ぼかし染め・抜染(脱色)などの手法がある。
 注染の型紙は、数枚の和紙を柿渋で塗り固めた渋紙から出来ていて、渋紙を手彫りして紗(しゃ)を貼る。渋紙は紙でありながら耐水性があり、繰り返し使うことが出来る。

<クレア染め>
 生地全体を無地一色に染めた生地を《クレア》という。一般的には、地色(クレア)は薄い色で染め、柄の部分を濃い色で染める。

<機械染め>
 機械捺染(なっせん)と呼ばれ、一般的にはプリントとも呼ばれている。

濱甼高虎の2代目の当主高橋欣也さんの作品
 濱甼高虎は、東京都中央区の浜町公園の道路の向いにある。初代が昭和23年(1948)に浜町で創業、2代目当主が高橋欣也
(きんや)さん。江戸時代には人形町で《紺屋》という染元を代々営んでいたそうで、欣也さんは、その代から数えると6代目か7代目にあたるそうだ。
 欣也さんは、自らも一部の染色などを行っている。染色に関わる専門的な工程は外部の職人に依頼するが、浜町周辺には委託できる職人仲間が少なくなり、ひとり3役程をこなすこともあるという。

 2008年の正月に、Mデパートのイベント会場で欣也さんと出会い、手拭いや半纏の説明をしてもらった後、お店にいらっしゃいと言われ、イベントが終わった2月の初めに浜町のお店を訪問した。一階のお店の脇の階段を上がって2階の扉を開けたら、そこは欣也さんが図案や型紙を制作している仕事部屋。龍柄の4本の手ぬぐいが準備されていた。

・誉玉昇龍紋:手書きを加えた手の込んだ絵付けと染め。上質の仕上がりで値段も格段に高い
・九紋龍史進:『水滸伝』で人気のある豪傑の史進は全身に九匹の龍の刺青をしていた

・三色龍:文字のとおり三色の龍が描かれている。玉三郎が楽屋で化粧をするときなどに使用していた

・円紋龍:龍玉をイメージした文様。地の部分に丸い形をしたあられが配されている

 濱甼高虎の手拭いは、十二支の手拭いなどを含め
本ほど《龍の謂れとかたち》に紹介している。

銀座大野屋の手拭
 銀座大野屋は、東京の銀座の歌舞伎座の斜め前にあり、足袋、手ぬぐい、ゆかた、和装小物、ゆかた地のシャツ、などを扱っている。銀座大野屋は明治初年に足袋屋として創業、手ぬぐいは戦前のころより取り扱うようになったという。
 手拭いの種類は、古典・歌舞伎・花・美人・動物・風物・縁起物・東海道五十三次・富獄三十六景・干支手拭いなどの柄があり、龍は干支手拭いの中に見ることが出来る。大野屋には、400種以上の手拭いの柄が取り揃えてある。

戸田屋商店の龍柄の手拭い
 戸田屋は、明治5(1872)年に初代小林大助が日本橋富沢町に金巾(かなきん)問屋を開業、現在もこの地(人形町の近く)に店を構えている。現在の当主は6代目に当たる。
 戸田屋は、手ぬぐい・ゆかた・技芸集(トランクスなど)・扇子・うちわ・江戸型紙等を扱っており、《梨園染(注染)》の高級ゆかた、手ぬぐい等が有名である。江戸の粋の柄のバリエーションは数百を数える。
 《梨園染》では独自に生地を織らせており、手ぬぐいやゆかたの晒木綿は上質であり、製造工程のほとんどが熟練の職人による手作業で、ハンドメイドの温かさと、天然素材の安心にこだわりがある。

 戸田屋商店を訪れたときに見せてもらった、型紙を使った刷り見本帳の中に79の龍があった。刷り見本を撮影することを許してもらって、撮った写真を保管している。この時にこれらをネットで公開することについ許諾をいただくことを忘れたので、《龍の謂れとかたち》では、ひとつの図柄の型で色を塗り分け刷った2種だけを公開している。


川越の《旭屋》で求めた龍柄の手拭
 2008年3月に川越へ行った時に、《旭屋》で龍を染めた手拭いを購入した。《旭屋》の主人が、この手ぬぐいは《注染》であり、その染め方の手法について熱心に説明してくれた。

オリジナルデザインの《玩具十二支手拭い》
 この手拭いのデザインは着物作家の影山のり子(あとりえDIO)、販売元は(株)アート蒼。影山のり子は、大量生産ではなく、個人を対象にオリジナル着物を、デザインから染色工程まで一貫して創作している。友禅染め・ローケツ染め・絞り染め・手描き更紗染め・型染め・シルクスクリーンなどの技法にも精通し、暖簾やタペストリーなども制作している。たまに日本手拭いのデザインを引き受けることがある。ここに紹介する《玩具十二支手拭い》は歌舞伎座でも売られたものである。

エピローグ 手ぬぐいはなぜ両端が切りっぱなし?
 手ぬぐいは両端が切りっぱなしになっているが、端を縫わないことで手ぬぐいの乾きが早く、汚れやホコリがたまらず衛生的で、高温多湿の日本の気候に合っていると言える。昔からの知恵の様だ。
 新しい手ぬぐいは最初のうちはほつれるが、何度か洗ううちに落ち着いてきてほつれも自然ととまる。洗ってほつれたら、長く出た糸の分だけはさみで切って使うのが常道だそうである。【生部 圭助】

龍を染めた手ぬぐいはこちらでご覧ください
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