陶磁器を彩る龍~その1 中国(景徳鎮)・朝鮮・伊万里・京焼・九谷~
【メルマガIDN編集後記 第308号 150215】

 ホームページ《龍の謂れとかたち》を公開し、最初にアップしたのが、深川製磁販売の《竜鳳凰錦手黄地陶額》だった。2006年4月に佐賀市松原の深川の店で入り口に飾ってあった額が目についた。陶板に絵付けしてあり、黄色の地の色が鮮やかだったのが気に入り、写真を撮らせてもらった。後日、銀座ショールームに行って、同シリーズのL陶額と片口水指の写真をいただいた。
 以来、龍の絵柄が施された陶磁器は自称龍楽者の興味の対象の一つのジャンルとして位置づいている。《龍の謂れとかたち》の陶磁器のカテゴリーの中には沢山の壺・碗・皿・徳利や猪口・イヤープレート・箸置きなどを紹介しているが、今回は、龍が描かれた中国(景徳鎮)・朝鮮・伊万里・京焼・九谷の陶磁器を紹介する。


図集 明・清 陶磁器の名品
出光美術館2011年
壺:景徳鎮 青花龍文壺

図集 景徳鎮千年展
松濤美術館2006-2007年
壺:景徳鎮 五彩龍鳳文蒜頭瓶


景徳鎮 青花龍濤文壺 高29.3cm
東京国立博物館


景徳鎮 五彩龍鳳文面盆  口径39.0cm
東京国立博物館


朝鮮 鉄砂雲龍文壺 高29.9
cm
東京国立博物館


伊万里 色絵龍鳳凰文皿
九州陶磁文化館 柴田夫妻コレクション


京焼 染付龍濤文提重 総高23.0cm
東京国立博物館


美山窯の組盃 十二支の辰


長谷川紀代の辰酒杯

中国:景徳鎮の磁器に描かれた龍
 景徳鎮は江西省の東北部に位置する。五代(
907-960)には、青磁や白磁の生産が始まっており、北総時代の景徳元年(1004年)に時の年号にちなんで《景徳鎮》と名づけられた。景徳鎮は北宋時代(960-1126)に地歩を固め、最初期に青磁と白磁が焼かれ、11世紀の中ごろに青白磁が完成する。

 元時代(
1271-1368
)には新しいタイプの白磁が焼かれるようになり、元時代の後期にはコバルトを含んだ顔料で文様を描き、透明釉をかけて焼成する技法が確立し、鮮やかな藍色の文様を表す、釉下彩の技法(わが国では染付ともよばれる)による青花磁器が好まれるようになる。

 明時代(
1368-1644)の前半では、繊細な文様の青花磁器、銅を含んだ顔料で文様を描き赤い発色を得る釉裏紅、豆彩(釉下彩である青花で文様の輪郭線を描き、一旦焼成し上絵の具で彩色を施し、再度焼き付ける手法)、などが登場する。

 明時代の後期(
1522-1566)には、五彩磁器の焼造が盛んになる。五彩とは、いったん高温で白磁を焼成した後に上絵の具で文様を描き、錦窯で低火度で焼き付ける釉上彩、上絵付けの技法。

 図集『明・清 陶磁の名品 出光美術館
2011年』の写真の表紙に掲載されているものは、出光コレクションの、明《宣徳年製》の銘のある《青花龍文壺》である。高さが52cmもある、重厚な器形に濃厚な発色の厳格な文様がつけられた壺は明代官窯の最盛期に作られた大作で世界的名品とされている。

 写真に示す《青花龍濤文壺》は、元時代(14世紀)に焼かれたものであり、波の上を疾走する龍の姿が、元時代特有の雄渾な力強い筆づかいで、器面いっぱいにあらわされている。これは元様式の青花磁器を代表する優品の一つである。

 図集『景徳鎮千年展 松濤美術館
2007年』の表紙に示す《五彩龍鳳文蒜頭瓶(さんとうへい)》は大明万暦年製と記されており、16世紀末から17世紀にかけて焼かれたもの。柿右衛門様式が出来上がったのが1670年頃とされており、景徳鎮の技術が17世紀半ばに伝えられ、伊万里の色絵磁器が生まれ、日本独自の世界を開いていった。

 《五彩龍鳳文面盆》は明・万暦年間(
1573-1620年)後期に作られたもの。この頃の官窯では、色鮮やかな絵の具を用いて文様をぎっしりと描きつめる様式の五彩磁器が流行した。釉、胎や筆致に粗さが見られ、退廃の色が濃くなっているが、その作風はわが国では《万暦赤絵》の名で特に親しまれている。

朝鮮:鉄砂で描かれた龍
 《鉄砂雲龍文壺》は、東博の《天翔ける龍
2012》に展示されていた朝鮮時代(17世紀)もの。
 鉄砂(てっしゃ)とは白磁に鉄絵具を用いて文様を描く技法をいう。17世紀代には、度重なる戦乱によって青花に用いるコバルト顔料を中国からの輸入することが一時的に困難となり、それにかわって褐色に発色する鉄絵具で文様を描く鉄砂が流行した。
 横向きの顔に目が二つ見えるユーモラスな絵付けに朝鮮時代の鉄砂の特徴がよく表れている。

 
2003年11月に韓国で開催された特別展《龍 The Dragon pattern of Korea》の図集(編集・発行:大邱国立博物館)を見ると、鉄砂による龍が描かれた壺を数点見ることが出来る。

伊万里:《柴田夫妻コレクション》の中の龍の絵柄の磁器
 九州陶磁文化館(有田市)には、柴田夫妻より寄贈された一大コレクションがある。このコレクションの特徴は、様々な種類の作品を いくつかのテーマを設け、有田磁器の各年代の様式の特徴、技術の変化などを紹介しているところにある。江戸時代の17・18世紀に作られた有田磁器の歴史的変遷を知ることが出来る。
 有田の磁器を網羅的・体系的に収集した磁器のコレクションは、世界的に見ても類例が無く、学術的にも極めて貴重な資料として認められた。
 寄贈された
10,311点の中から、毎年12月に作品の展示替えが行なわれ、約1,000点が展示されており、柴田夫妻コレクションのすべてを見るためには10年間は通うことが必要となる。
 
2009年に九州陶磁文化館で見た柴田夫妻コレクションの中より、龍の絵柄の《色絵龍鳳凰文皿》を紹介する。

京焼:青木木米作の提重
 青木木米(
1767-1833)は江戸後期の奥田頴川門下の京焼を代表する陶工。《識字陶工》を自称した文人であり、画家としても著名である。
 中国や朝鮮の古陶磁を広く研究し、その成果を趣味人としての多彩な作陶に反映させた。煎茶道具を中心に作風は多岐にわたる。
 《染付龍濤文提重:重要文化財》の文様は中国明時代後期の万暦年間の染付に倣ったものである。小品が多い中でも特に大振りであり、木米の号の一つである《古器観製》の針描き銘がある。

九谷:十二支の組盃
 九谷焼の例としては、《美山窯の組盃 十二支の辰》と《長谷川紀代の辰酒杯》を紹介する。
 明治後期より先代政二(明治33年~昭和45年)が九谷焼上絵付窯を開窯、 庄三風、永楽風を得意とする。美山さんは、昭和26年より先代に師事し、九谷焼全般を会得、伝統的作風の中に現代感覚を取り入れ、造形、色調、デザインを研究し、現代ニーズに合った新しい九谷焼を創る。製作スタッフの充実、本窯の開窯。成型、上絵付と一貫した作品造りを目指している。

 陶芸家の青藍堂五代・長谷川紀代さんは、若杉窯の発展に貢献し九谷焼の基礎を築いた川尻屋七兵衛氏の6代目にあたる。
1955年に九谷焼の道に入り、1962年には日展初入選、2代目徳田八十吉、2代目浅蔵五十吉、北出塔次郎の各氏らに師事。一方には師をいただくことにより自己を磨き、一方ではどこまでも独歩して天与の個性を発展させたいと思い陶作に打ち込んでいる。

エピローグ
 景徳鎮の磁器を見る機会は多いが、写真に示す図集が発行された2つの展覧会は私が見たものの中でも出色のものだった。出光美術館で出版された『陶磁の東西交流』では、景徳鎮と伊万里やマイセンの時代変遷と関わりについて学んだ。
 景徳鎮で焼かれた磁器の龍の爪の数について。皇帝に献上するものは五本の爪を有しているが、それ以外については、絵付けや焼きがどんなに上質でも爪の数は3本とか4本に描いたとのことである。

 
2009年に九州陶磁文化館を訪れたときには、《私が選んだ九陶のやきもの》展が開催されていた。一位に選ばれた国内磁器最高峰とされる鍋島藩窯の《染付け鷺文三足大皿(国重要文化財)》は勿論、龍の絵柄の鉢(1点)と皿(2点)が展示されていた。


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