千葉県立美術館で平山郁夫展を見た
【メルマガIDN編集後記 第310号 150315】

 千葉県立美術館で、開館40周年記念特別企画展として《平山郁夫展~仏教伝来の軌跡、そして平和の祈り~平成27年1月24日~3月22日》が開催されている。佐川美術館(滋賀県守山市)所蔵の本画や素描などの作品を中心に、平山郁夫シルクロード美術館(北杜市長坂町)よりの大作を加えて、約90点が展示されており、展覧会の狙いは、生涯のテーマとした仏教伝来と作品に込めた平和への祈りについて、平山郁夫の芸術の軌跡とその旅路を回顧しようとするものである。


平山郁夫展のチラシ



左:《ガンダーラ仏》 1991
中:《インドの女性ナーランダ 1991
右:《インダス河上流 久遠の流れ》 1982




《流水間断無(奥入瀬渓流)》 1994



《嘉峪関を行く》 中国 2007
大唐西域画 第2場面




《平和の祈り サラエボ戦跡》 1996



《シルクロードを行くキャラバン(東・太陽)》 2005
左に同題名の(西・月)が展示されていた


【写真はすべて平山郁夫展のちらしと絵葉書より】

平山郁夫
 平山郁夫(
1930-2009)は広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ、中学3年在学中に勤労動員されていた広島市内での被爆体験に基づき、仏教への強い関心と平和への祈りを込めて描き続きた日本画家。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点になっている。
 平山郁夫は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂壁画の模写、法隆寺金堂壁画の模写、高松塚古墳壁画の模写などを手掛ける。東京藝術大学学長を2期務めるなど、多くの役職や表彰があるが、ここでは省略する。

展示の内容
<第1章 仏教伝来とシルクロード~インド・西アジア・中央アジア~>
 被爆体験の後遺症と戦いながら描いて、昭和34年(
1959)の第44回再興院展に出品した玄奘三蔵(三蔵法師)の求法の旅に着想した《仏教伝来》が院展に入選する。以降、古代インドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えたシルクロードと玄奘三蔵への憧憬が平山郁夫の永遠のテーマとなる。
 第1章では、平山が仏教の源流を求めて訪れたインドをはじめ、文明の十字路と呼ばれた中央アジアに点在する仏教遺跡やガンダーラ仏を中心に、シルクロードに息づく人々を描いた作品を紹介している。

<第2章 悠久の大地―中国・韓国―>
 平山にとって、玄奘三蔵の故国である中国を訪問したいという念願が、昭和50年にかなう。4年後の1979年に敦煌を訪れ、貴重な文化遺産が年々風化しているのを憂い、敦煌莫高窟の保存・修復事業に携わる。平山の文化財保護活動《文化財赤十字構想》はアジアを中心に拡大し、アンコールワット遺跡群、南京城壁の保存・修復活動、高句麗古墳群、バーミアン石窟の世界遺産登録に向けた働きかけ等、高い評価を受けている。
 第2章では、玄奘三蔵の故国・中国における仏教遺跡を中心に、平山が《文化財赤十字構想》のもと保存・修復活動を実践した敦煌及び南京城壁を描いた作品により、生涯をかけて尽力した活動の一端を紹介している。

<第3章 日本の美を描く>
 平山は、玄奘三蔵の足跡をたどり、シルクロードを歩き続けることにより、日本文化の源流を再確認し、仏教や大陸の文化を受容しながら日本独自の文化を育んできた大和・奈良で多くの作品を残している。そこには、シルクロード特有の黄土色に彩られた大地とは対照的な、日本のうるおいに満ちた緑溢れる自然が描かれている。
 第3章では、日本文化が育まれてきた仏教の聖地・奈良、京都の寺院をはじめ、静謐な空気が立ち込める日本仏教の母山、比叡山延暦寺の連作を中心とした日本の美を紹介している。

<第4章 大唐西域画>
 昭和51年(
1976)に薬師寺・高田好胤管主(当時)の依頼により《大唐西域壁画》の制作が決定。100回を超える現地取材を重ね、平山が構想を含めた制作期間は20年以上に渡るという。
 長安を発ち、高昌故城の遺跡や天山を越え、ヒマラヤを仰ぎ、仏跡ナーランダに至る7場面(13壁面)が描かれ、場面中の時間は朝から夜へと推移してゆく。壁面の高さは2.15m、長さは柱を含むと50mにもなる。
 《大唐西域壁画》は平成12年(
2000)の大晦日に薬師寺玄奘三蔵院において入魂の開眼供養が行われた。
 本展では、薬師寺の玄奘三蔵院にある《大唐西域壁画》と全く同じ作品を、より多くの人に見てもらいたいと、平山が制作した、縦80.3cm、横の合計17.151m(50号)の日本画に縮小して描かれた《大唐西域画》が展示された。7場面の夫々は、間に柱のない一枚の絵として見ることが出来るもの。
 また本展では、玄奘三蔵院の壁面を上部から見ることが出来る模型も展示してあった。

<第5章 平和の祈り>
 旧ユーゴスラビアの都市、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボでは
1984年には冬季オリンピックの開催地となったが、90年代に入ると民族紛争の激化により激しい戦火にさらされた。平山は1996年の4月から5月にかけて、国連の平和親善大使としてボスニアを訪問した。
 平山郁夫はサラエボで出会った子どもたちに、泥沼に咲く蓮の花の姿を求め、この戦場となった地獄から、すくすくと新しい芽を出してほしいと、子どもたちの未来を願って平和の祈りを具現化した大作《平和の祈り-サラエボ戦跡》を描いた。

<第6章 平山郁夫のまなざし-心の風景を求めて>
 シルクロードや日本を旅して取材した、各地の文化遺産や自然景観に触発されて、栄枯盛衰を繰り返した歴史を幻想し、独自の画風へと昇華させた大作の数々が展示された。
 ここでは、《平成の洛中洛外図》が2点展示されている。左右対称に描かれている《シルクロードを行くキャラバン》は、《古城ジャイサルメール》を中央に、右に《東・太陽》、左に《西・月》が配置し展示されていた。

エピローグ
 平成12年(
2000)の大晦日に薬師寺玄奘三蔵院において入魂の開眼供養が行われた《大唐西域壁画》は翌年の元旦から大晦日まで、現地で公開された。2001年の5月に玄奘三蔵院にこの壁画を見に行った。
 壁画を見た後偶然に、スケッチをしている平山画伯を見つけた娘が一緒に写真を撮らせてほしいと御願いしたら、気さくに応じてくれた。
 毎年秋に、大宅壮一マスコミ塾の会で瑞泉寺にお墓参りに行くときに、平山邸の前を通る。もちろん、中をうかがい知ることはできないが、この中には主が不在となり、寂しい思いがする。


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