龍を訪ねて京都へ (その2)出会った龍たち
2015年(平成27)にも4月29日から5月10日の間、春季京都非公開文化財特別公開が行われた。速報により19の寺社が公開されることを知った。以前から京都で見たいと思っていた龍リストと照合してみると、2014年に公開された寺社に比べて重なっている寺社がたくさんある。今回は1泊2日しか余裕がなかったので、かなりの強行軍で、初日に6箇所、2日目に5箇所の寺社を訪れた。訪れた11箇所は、龍リストの中から京都の中央部から西部に位置しており、東部については、またの機会を待つことにした。前号の《天井の龍》に引き続いて、京都の龍を紹介する。
【1】建仁寺方丈 雲龍図襖 海北友松筆 建仁寺(けんにんじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山で、京都五山のうち第三位の格式を持つ京都最初の禅寺である。建仁2年(1202)鎌倉幕府第2代将軍源 頼家が寺域を寄進し、宋国百丈山を模して栄西禅師を開山として建立された。山号を東山(とうざん)と称す。 海北友松筆の《雲龍図(1599年)》は方丈の玄関に最も近い下間(礼の間)にたてられた襖絵。黒雲の中から姿を現した阿吽(あうん)二匹の龍が動と静で対峙し客を迎える。朝鮮でも有名だった友松は、中国南宋の画僧・牧谿(もっけい)のスタイルをもとに雲龍図襖を描いている。方丈には、ほかにも、海北友松の《竹林七賢図》、《琴棋書画図》、《山水図》、《花鳥図》などの重要文化財を見ることが出来る。 実は、建仁寺方丈で見る襖絵は高精細複製品である。《建仁寺方丈障壁画》は、八百年大遠諱記念事業の一環として、《綴(つづり)プロジェクト》で作成され、一般公開されているもの。 《綴プロジェクト》とは、京都文化協会とキヤノンが立ち上げたもので、正式名称は《文化財未来継承プロジェクト)》という。キヤノンは本プロジェクトを社会貢献活動と位置付けて、最新のデジタル技術と京都の伝統工芸の技を融合させ、オリジナルの文化財に限りなく近い高精細複製品を制作することを通して、多くの人に貴重な文化財の価値を身近に感じてもらおうとするものである。 【2】大徳寺 龍源院 方丈室中襖絵 竜と波 大徳寺の龍源院(りょうげんいん)は、臨済宗大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺の塔頭で、南派の本庵とされている。龍源院の名は、大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の《龍》と中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の《源》の2文字を採ったものである 室中(しっちゅう)は方丈の中心の間で住持(和尚)が、禅の教えを説き、あるいは問法し、時には儀式法要を行うところ。 室中の襖絵《竜と波》の図は江戸初期の南画だが、筆者は不詳とのこと。 【3】妙心寺所蔵 龍虎図屏風 狩野山楽筆 龍虎図屏風は江戸時代の17世紀に狩野山楽により描かれたもの。屏風の員数は六曲一双、サイズは縦179.5cm×376.5cm。材質は紙本金地着色。強風になびく熊笹の姿が天から舞い降りる龍の勢いを示しており、振り向きざま咆哮する虎の姿は、迫力を感じさせる。猛獣の持つ強い生命力を現す絵画としては、狩野永徳の国宝《唐獅子図屏風》と並び称される。 ここに紹介するのは、《綴プロジェクト》で作成された高精細複製品。オリジナルは妙心寺に所蔵されている。《綴プロジェクト》については、建仁寺方丈の《雲龍図襖》のところに記した。 【4】伏見神寶神社の狛龍 伏見神寶(かんだから)神社は伏見稲荷大社の奥にあり、大社が伏見山の山頂に最初に出来た頃には既に存在していた古い神社。 この神社に行くのに苦労した。境内の大きな参拝図には《伏見神宝神社》は表示されていないのは、伏見稲荷大社の末社ではないからかも知れない。社務所で尋ねて、あまり要領を得ないまま千本鳥居を潜り奥社へ。奥社の先だと聞いていたが、偶然居合わせた男性に巡り合わなかったら行き着くことが出来なかったかもしれない。 お山に続く鳥居を進みすぐのところの右手にある小さな案内板の方向に坂道を登り、伏見神宝神社にたどり着くことができた。 伏見神宝神社には、天照大御神を主祭神として、稲荷大神を配祠されている。ここには、伝説の大和の王《饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天神御祖から授かったとされている重要な宝《十種神宝(とくさのかんだから=じゅっしゅしんぽう)》が奉安されている。鏡が二種、剣が一種、玉が四種、比礼が三種で、現天皇家が守り伝えている所謂《三種の神器》のルーツとも言われる幻の宝。 拝殿前に向かって右に《天龍》、左に《地龍》がおかれている。天龍は金の宝珠を持ち、龍の顔などには金色や朱色がいれられている。昭和甲辰(昭和39)年七月吉日建立とされる。狛犬の代わりに龍が用いられている珍しい例である。 【5】平安神宮の手水所の蒼龍 桓武天皇は、延暦13年(794)、長岡京から平安京へと都を遷した。この地が四神相応の《平安楽土》とみなされたことが、平安遷都の理由のひとつだった。《蒼龍》が賀茂川、《朱雀》は干拓されて今は無き巨掠池、 《白虎》は山陽道(もしくは山陰道)、《玄武》は舟岡山とされている。 平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に第50代桓武天皇をご祭神として創建された。 平安神宮の大鳥居をくぐって、應天門(神門)を抜けると左右に手水所がある。大極殿に向かって右側(東側)に蒼龍、左側(西側)に白虎の石造りの手水所がある。屋根がないこと、石造りの龍の手水所は珍しいものである。 【6】東本願寺 手水舎の龍 東本願寺は、京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称であり、正式名称は《真宗本廟》である。 このたびの宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業として御影堂門修復(2013年1月~2015年12月末日)、阿弥陀堂修復(2012年1月~2015年12月末日)が行われている。 幸い、手水舎は工事区域に入っておらず、閉門までの間、ゆっくり見ることが出来た。手水舎の三爪の龍は、二月堂の手水舎の龍と並んで、大きくて特異なものであるの。 エピローグ 建仁寺の海北友松の《雲龍図》について。2014年に、東京国立博物館で、特別展『栄西と建仁寺』(3月25日-5月18日)が開催された。この展覧会では、建仁寺を開創した栄西禅師(1141~1215)の800年遠忌にあわせ、栄西ならびに建仁寺にゆかりの宝物が一堂に会した。 展示替えされた後期に、海北友松の《雲龍図》の阿形と吽形がそろって展示されたのを見に行った。東博で《雲龍図襖》の本物を見て、建仁寺の方丈の部屋にたてられている高精細複製品を見るという、不思議な体験をした。 編集後記集へ |