前号では、神社仏閣を訪れたときに本堂や山門で出会う龍の彫刻の例として、周辺に龍をあしらった「扁額」も取り上げ、深川不動堂の本殿に掲げられている扁額を紹介した。扁額の用途は、扁額がかけられている建物の名称や、その建物を含む施設全体の名称を標示するためのものである。
今回は、「扁額」に着目して、寺院の本殿や山門のほか、山車・屋台、横浜中華街の牌楼(パイロウ・門)のひとつ「朝陽門」など、周囲が龍の彫刻で飾られている扁額を紹介する。
「扁額」の意味を広辞苑で調べると、「門戸・室内などにかける横に長い額」とある。「扁」には、ひらたい、薄い、ちいさい、という意味がある。また、「扁」は、「よこがく」、戸と冊の会意文字で木の札を門戸にかかげるという説もある。今回紹介するものも、縦に長いものもあり、額が縦長か横長かには拘らないことにする。 特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」という。扁額に書かれている文字は、建物にかける創立者の思いなどを記すことがある。扁額に揮毫された文字と扁額そのものが書跡としての文化財の扱いを受けることがある。 日本の扁額は寺院の額字にはじまり、朝廷から正式に認められた寺院には勅額が与えられた。そうした寺院は「定額寺」と呼ばれる。 <算額> 算額(さんがく)とは、江戸時代、額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものる。数学者のみならず、一般の数学愛好家も数多く奉納している。算額は、和算において、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたと言われる。 寺社に掲げられている龍をあしらった扁額 寺院を訪れると、山門(総門・三門・仁王門・楼門)や本堂(祖師堂・大堂)に掲げられている、周辺に龍をあしらった扁額に出会うことが多くある。 <称念寺の山門(楼門)の扁額> 称念寺は千葉県長南町千田に所在する浄土宗寺で山号は唐竺山、院号は西明院という。寺伝では徳治2年(1307)時宗第二祖他阿真教上人の開祖とされる。慶長年間(1596-1615)に至り浄土宗に改めた。 称念寺は、境内正面の山門、中門(向唐門)、本堂が一直線に並ぶ伽藍配置となっており、参道から進むにしたがって、山門、中門、の順に敷地が高くなっている。 山門(楼門)に掲げてある龍の彫刻を施された扁額(山号の唐竺山を記す)を紹介する。 <妙法寺の祖師堂の扁額> 妙法寺は、東京都杉並区堀ノ内にある日蓮宗の本山(由緒寺院)で、山号は日円山という。 「堀之内やくよけ祖師(おそっさん)」として殊に厄除けのご利益がある寺院として知られておおり、江戸時代から人気のある寺院であり、現在でも、参拝するものが多い。 創建は、元和年間(1615-1624)と伝えられている。元々は真言宗の尼寺であったが、日圓上人により、後に日蓮宗に改宗、山号は日圓上人に因んでいる。 扁額には「感應法閣」とあり、「感應」とは仏教用語で、仏様が人に働きかけ、それを人が受け止めることを意味する。 江の島の鳥居の扁額 欽明天皇13年(552)に、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まり。江の島は、鎌倉時代の頃までは全島が信仰の対象とされてみだりに島へ渡ることはできないようになっていたが、江戸時代には弁天信仰の地として栄えた。突然海底から浮き上がったといわれる江の島の誕生の不思議さと五頭竜と天女の伝説が語り伝えられることによって、弁才天への信仰がさらに高められてきた。 江の島は「龍の島」と言っていいほどにたくさんの龍に出会う。江の島の玄関口にある青銅の鳥居に掲げられている、扁額を紹介する。 扁額の文字は、仏教に受容された福神である「大辨財天」と書かれていたが、明治初年「江島神社」に懸け代えられ、戦後は「江嶋大明神」となって現在に至る。 山車や屋台に飾られた扁額 成田山祇園会(ぎおんえ)では、成田山新勝寺の奥之院大日如来の祭礼の期間中、御輿の渡御と各町内会の10台の山車と屋台が勢ぞろいし、総踊りや総引きが行われる。2009年に見に行った。 2013年の佐原の大祭秋祭りでは、3年に一度の「年番引継行事」が行われる年に当たり、下宿通りから上宿通りに14台の山車が整列すると知って見に行った。 山車に取り付けられる扁額は寺社のそれに比較して大胆なものが多く、見るものを楽しませてくれる。 <成田祇園祭 上町の屋台> 江戸時代の後期に千葉町院内の宮大工によって造られた純然たる彫刻踊り舞台。成田では一番古く、長い歴史を現在に伝える重厚な屋台として知られる。 平成14年に一世紀ぶりの大改修が行われた。屋根は唐破風一層作り、屋根・柱・土台・彫刻はすべて欅つくり。一枚彫り抜きの扁額・鬼板(おにいた)には麒麟と伎芸天(ぎげいてん)、屋台の周りには四方を守る、青龍・白虎・朱雀・玄武、前高欄には双龍玉(そうりゅうたま)・唐獅子・唐獅子牡丹、後部高欄には波に十二支が飾られている。 この山車は動く彫刻屋台となっており、前方の踊り舞台では、芸妓衆が華やかな舞を披露する。現在は手古舞が手踊りを披露している。 扁額の文字「上町」は成田山中興第20世鶴見照碩(つるみ・しょうせき)大僧正御直筆である。 <佐原の大祭 下川岸区> 明治31年(1898)に製作された山車は「八方にらみ」といわれる形で、四方向のどちらから見ても同じ様に見える。飾物の題は「速素盞嗚尊」で、制作年は江戸時代後期だが、人形師は不明とのこと。山車に飾られている彫刻は文久年間に製作され、題は日本神話、彫工は佐藤光正である。 扁額の題は「宏遠(こうえん)」、制作年は明治34年(1901)、揮毫は源童通禧(東久世通禧)である。宏遠とは、物事や考えなどが大きく、広く、奥深いことを意味している。 横浜中華街の朝陽門(チョウヨウモン) 横浜中華街には現在、10基の牌楼(パイロウ・門)が建っている。その中の4基が風水思想に基づいて建てられている。 古来、中国では皇帝が王城を築くときに城内の安全と繁栄を願って東南西北に限って通路を開いて、各方位の守護神として四神(四神の信仰)を置いたとされる。横浜中華街では、北は玄武(亀と蛇)、東は青龍、南は朱雀(鳥)、西は白虎という神獣がそれぞれ鎮護している。 朝陽門は、山下公園側に位置する東側の入り口。日の出を迎える門であり、朝日が街全体を覆い繁栄をもたらす。守護神は青龍神。シンボルカラーは青。2003年2月1日落成。高さは13.5m、幅は12mであり、中華街で最大の門である。 エピローグ 前号で紹介した深川不動堂(東京都)本堂の向拝の上部に置かれている扁額は、横幅が2M近くある大きなものであり、扁額の四周には精巧な龍の彫刻が施されている。扁額の筆は成田山新勝寺第20世貫首鶴見照碩(つるみ・しょうせき)氏(故人)の銘がある。 江戸で参拝したいという機運が高まり、成田山のご本尊である不動明王が江戸まで1週間かけて捧持され、2ヶ月間開帳されて、江戸町民に人気を博したという言い伝えがあるくらい、深川不動堂と成田山の関係は深い。今回、扁額に着目したことにより、成田の上町の屋台の扁額と深川不動堂の扁額の筆が同じ人によることを知った。 編集後記集へ |