龍を描く~蕭白の襖絵と屏風~
【メルマガIDN編集後記 第322号 150915】

 龍はどのようなものに描かれているのか、私のホームページ《龍の謂れとかたち》を見てみると、絵画・天井絵・襖絵・屏風・掛け軸・絵巻軸・刷物(版画)・色紙・凧絵・切り絵、などがある。これらの他にも、建物の装飾や陶板画で描かれた龍もあり、多岐にわたっている。
 今回はこれらの龍の絵の中より、蘇我蕭白が独特の嗜好を凝らして襖絵と屏風に描いた躍動感にあふれる特異な龍の絵を紹介する。


ボストン美術館 日本美術の至宝 【チラシ】


雲龍図 部分 【ポストカードより】


雲龍図 襖右4枚 【ポストカードより】


雲龍図 襖左4枚 【ポストカードより】


蕭白ショック 蘇我蕭白と京都の画家たち 【チケット】


群仙図屏風 右双 【絵葉書より】


龍に乗る呂洞賓 群仙図屏風(右双)の部分 【絵葉書より】

蘇我蕭白
 蘇我蕭白は、享保15年(
1730)に京都の商家に生まれ、丹波屋という大きな京染めを扱っていた商家に育つ(1781年没)。蕭白は若くして両親を亡くし、17歳で天涯孤独となった。その後どういう経緯で絵師になったかは、今も謎に包まれているという。

 
室町時代の画家曾我蛇足に私淑して曽我蛇足十世孫と称するようになった時期は20代後半のころと推定されている。30歳の頃には伊勢の地で多くの作品を残しており、33歳からは播磨各地をさすらい、34歳の時に今回紹介する『雲龍図』を描いた。
 蕭白は、版本の画譜を活用し、室町水墨画に学んだ復古的な作品を多く残した。「怪醜によって美と快感を作り出す技術を心得ていた蕭白」が、醜いもの、怪しいものを描いて江戸時代に評判を呼んでいた。北斎も自分を画狂人と呼んでいるが、蕭白も狂人といわれていた。巧みな技術に裏付けられた独特の作品は今日にも魅了している。

 
2012年に、蕭白が登場する大きな展覧会が2つ開催され、蕭白の龍を見た印象が強く残っている。
ボストン美術館 日本美術の至宝:
     2012年3月20日-6月10日(東京国立博物館)
 本展は、国外で随一の日本美術コレクションを誇るボストン美術館から約90点が里帰りしたもので、蕭白の迫力ある《雲龍図》が展示された。
 《雲龍図》は、
1911年にボストン美術館へ納められた際には「4枚のまくりの状態=襖からはがしたものを丸めた状態」であり、その状態で保存されていた。100年ぶりに、本来の形態である8枚の襖に表具し、汚れや作品を損なう過去の修復を取り除いた。このことによって蕭白の筆使いの力強さが一層鮮明になり、蕭白が描いた絵を原型に近い形で見ることが出来るようになった。

 《雲龍図》は、縦は165cm、横の全長は10.8mにも及ぶ水墨画。龍は巨大であるがユーモラスな表情、太く力強い線描で描かれる龍の爪、波をかき分けるように跳ねている尾、飛び跳ねる激しい波、墨特有の滲みと濃淡で生み出した雲など、実物を間近で見ることが出来た。

 蕭白筆の《雲龍図》全8面は、NPO京都文化協会とキヤノン(株)が共同で取り組んでいる「綴プロジェクト」の第8期作品として高精細複襖絵に復元され、天龍寺へ寄贈された。天龍寺の大方丈の龍の間の壁面に設置されている。ここでは実物とも見間違う迫力ある《雲龍図》を間近で鑑賞することができる。(
2015年8月1日から10月25日まで公開中)

蕭白ショック 蘇我蕭白と京都の画家たち:
     2012年4月10日-5月20日(千葉市立美術館)

 江戸時代中期、西洋や中国の文化を取り入れる動きが美術にも波及した。本展では、京都で個性的に活躍した画家のひとりとして蘇我蕭白を取り上げている。

 展示は下記の三章に分けて展示されており、蕭白の28歳頃から晩年までの変遷を見ることが出来た。
 第一章:蕭白前史
 第二章(三部構成):蕭白出現・蕭白高揚・蕭白円熟
 第三章:京(みやこ)の画家たち

 第二章の二部(蕭白高揚)に、明和元年(
1764)の筆とされる《群仙図屏風》が展示された。紙本着色、六曲一双、172cmX378cm、文化庁所蔵。款記により蕭白35歳に制作されたことがわかる。

 この屏風には右隻と左隻に、水墨を主体にして描かれた背景色から浮き上がるように8人の仙人像が描かれている。しかし彩色されているのは3人だけ。眼をカッと見開く、眼をつり上げて厳めしい顔をしている仙人、だらしなく目尻を下げた仙人、女性に髪をすいてもらいながら丸く膨らんだお腹をさらけ出し大きな蛙を背負っている不思議な仙人など、およそ仙人らしくない品のない仙人たちが描かれている。

 右隻の仙人が乗る龍は旋風を巻き起こしている。呼応している対岸の右手を挙げた仙人の衣服がたなびいており、二人の間には、荒れ狂う海があり、龍の胴体と爪が垣間見えている。

 蕭白の表現は、通常の美しさとはかけ離れているが、蕭白独特のユーモアに滑稽さ
に親しみを感じさせるものがあり、見ていて飽きることがない。

 左双の桃を前に休んでいる西王母は場末の娼婦のように描かれているが、西王母は長寿の象徴であり、鶴や亀も長寿、龍は出世、鯉は龍になる登竜門、つまりこの絵は長寿、出世を祝うために描かれた絵と見る。

エピローグ
 哲学者の谷川徹三は『日本の美の系譜について』、日本の美の原型を縄文土器と弥生土器に見ることが出来るとし、縄文的なものは、自由で奔放な形と装飾性に見られる怪奇な力強さを特色としており、そこには渦巻いている幻想があり、暗い不安が秘められた情念の焔を上げているようなところがある、と言っている。異端とか鬼才と言われる蕭白も「縄文的な画家」として私なりに理解している。

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