藤田美術館の曜変天目茶碗を見た
【メルマガIDN編集後記 第323号 151001】

 サントリー美術館で開催されている《藤田美術館の至宝 曜変天目茶碗と日本の美(2015年8月5日~9月27日)》で藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗を見た。
 2008年に、静嘉堂文庫美術館の《茶碗の美~国宝・曜変天目と名物茶碗~》で静嘉堂文庫美術館が保有している曜変天目茶碗を見たことがあり、世界に3つしかないと言われるうちの2つ目を見る機会を得た。


国宝 曜変天目茶碗 南宋時代 12~13世紀
【静嘉堂文庫 絵葉書より】



国宝 曜変天目茶碗 南宋時代 12~13世紀
【静嘉堂文庫 絵葉書より】



サントリー美術館 《藤田美術館の至宝 曜変天目茶碗と日本の美》


国宝 曜変天目茶碗 南宋時代 12~13世紀
【藤田美術館 絵葉書より 撮影:三好和義】



国宝 曜変天目茶碗 南宋時代 12~13世紀
【サントリー美術館 ちらしより】


曜変天目茶碗
 曜変天目茶碗は、12~13世紀(中国南宋時代)の物で、鎌倉時代に中国に渡った禅僧たちが天目山から持ち帰ったことが、天目の語源とされている。
 曜変天目は天目茶碗の一種。黒い釉のかかったやきものが「天目」と呼ばれている。
 「曜変」とは元来「窯変」、「容変」を意味し、「星」または「輝く」という意味をもつ「曜」の字が当てられるようになったのは15世紀前期の頃のこと。内部の漆黒の釉面に結晶による大小さまざまの斑紋が群をなして一面に現れ、その周りが瑠璃色の美しい光彩を放っているものを指して「曜変」と呼んでいる。

 曜変天目茶碗の素地土は最良のものが用いられ、高台の削り出しも精緻を極めていることから、曜変天目は、焼成中の偶然の所産であったばかりでなく、陶工が試行錯誤の末に発現した作品であった可能性が高いと言われている。

 曜変天目茶碗は、現在は世界に3点しか現存していない。その3点は、大徳寺龍光院(京都)、藤田美術館(大阪)、静嘉堂文庫美術館(東京)にあり、3点とも国宝に指定されている。3点の斑文の美しさはそれぞれ異なっているが、寸法や器形は似かよっている。
(高さ:7cm弱、口径:約12cm、高台径:4cm弱)

静嘉堂文庫の曜変天目茶碗
 静嘉堂文庫は、三菱第二代と四代の社長である岩崎弥之助と小弥太父子が明治25年(
1892)ごろから蒐集した、古典籍と日本と中国の古美術品を収蔵している。収蔵品は、国宝7点、重要文化財82点を含む凡そ20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品など。

 静嘉堂文庫美術館で《茶碗の美~国宝・曜変天目と名物茶碗~(
2008年2月9日~3月23日)》が開催され、静嘉堂で保有している《曜変天目茶碗》を見に行った。
 静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目は、もと将軍家所蔵であったものが家光の乳母だった春日局の嫁ぎ先である淀藩主稲葉家が拝領し、代々秘蔵したことから「稲葉天目」とも称されている。
 小宇宙の空間を創りだす碗は以外に小さくて密度が高く、プロポーションとしては、日ごろ写真で見たイメージより縦の比が高く感じられた。

なお、静嘉堂文庫美術館では、リニューアルオープン第一弾(
2015年10月31日-12月23日)の期間中、ラウンジで国宝「曜変天目(稲葉天目)」、重文「油滴天目」が全期間展示される予定である。

藤田美術館の曜変天目茶碗
 藤田美術館では、明治時代に実業家で男爵であった藤田傳三郎、その長男の藤田平太郎、二男の藤田徳次郎が収集した東洋古美術品を展示している。

 かつて藤田家は、大阪市都島区網島町の広大な土地に邸宅や庭園を造営し、昭和20年(
1945)の大阪大空襲でそのほとんどが焼失したが、焼け残った蔵の一棟が現在の藤田美術館の展示室となっている。藤田美術館の収蔵品は、仏教美術と茶道具に限らず、絵画、墨蹟、漆工、金工、染織など多岐にわたっている。

 藤田美術館では、藤田美術館では春季と秋季に企画展示を行っているが、今回の展覧会では、東洋・日本美術コレクションを誇る藤田美術館の至宝が初めて東京で一堂に公開された。

 
2015年8月から9月にサントリー美術館で開催された展覧会は5章構成になっており、第4章の「茶道具収集への情熱」に曜変天目茶碗が展示された。もと水戸徳川家に伝わった曜変天目で、大正七年(1918)に藤田平太郎氏に移り、藤田美術館に収められた。徳川家康が所持していたものらしいが、その以前の伝来はわからないとのこと。

 藤田美術館の収集品に対する説明では、以下のように記されている。「瑠璃色の曜変と呼ばれる斑紋は、まるで宇宙に浮かぶ星のように美しい輝きを放ち、品のある華やかさの中にも落ち着きがあります。土見せで小振りの削り高台から開いた形や、すっぽん口という口縁のくびれは天目形の特徴で、この茶碗には、腰付近に厚い釉溜り、口縁に覆輪が見られます。」

エピローグ
 天と地を表現する言葉として、「天円地方」と言う言葉がある。天は円形と言う意味であるが、曜変天目茶碗の中に天を見る思いがする。
 静嘉堂の茶碗の内面は、漆黒の釉面に小さい斑文がいちめんにあらわれており、その周囲が藍色から黄色に輝き、またその間隙に光彩が不規則にあらわれている。
 藤田の茶碗は、斑文に加えて「星雲の塊」が銀色に輝いているところに特徴がある。私個人としては、静嘉堂の方が気に入っているが、藤田の茶碗の記憶が新しいうちに、静嘉堂文庫美術館のリニューアルオープンの機会に静嘉堂の茶碗を見てみたいと思う。

<大徳寺龍光院の曜変天目茶碗>
 大徳寺龍光院の曜変天目茶碗を見る機会はなく、写真で見ると、内面全体にわたって油滴風の小斑文がちりばめられているが、曜変現象は稲葉天目ほど華やかでない。

 曜変天目茶碗は、今回紹介した国宝の3点が逸品であるが、古くは加賀前田家に伝来し、大仏家の《建窯 南宋》を加え、4つの曜変天目茶碗とも言われている。

<曜変天目茶碗の新しい発見>
 
2009年末に中国の杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見された。出土した陶片は全体の3分の2ほどが残っている。出土場所は南宋の都が置かれていたかつての宮廷の迎賓館のような所で、この破片の発見により曜変天目は中国の宮廷においても珍重されていたことがわかり、曜変天目の謎を解く大きな発見となった。

【参考とした主なもの】
・メルマガIDN第142号 編集後記
・静嘉堂文庫・藤田美術館・サントリー美術館の各ホームページ
・『天目 小山冨士夫 陶磁体系38 平凡社 1974』・『決定版お茶の心 茶碗 世界文化社 2009』


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