私の好きな映画監督を挙げてみると、第1に、フレッド・ジンネマン、ジョン・ヒューストン、もちろん、ルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニ、ヌーベルバーグのルイ・マル、お気に入りはウイリアム・ワイラーやデヴィッド・リーン等などたくさんいる。
大好きな西部劇では、ジョン・フォードとジョン・スタージェス。今回は、この二人が主人公に取り上げたワイアット・アープが登場する、OK牧場での決闘を題材にした映画について述べてみたい。
ワイアット・アープはずっと過去の人だと思っていたが、Wikipediaによると、1929年1月に80歳の時に死去、晩年はロサンゼルスに定住して西部開拓時代の伝説的な生き証人となり、親交を持った映画監督のジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えた、とある。 ドク・ホリデイは歯学博士の称号を持っていたため、「ドク」と呼ばれた、アメリカ開拓時代のガンマンでギャンブラー。肺結核にかかり、病を悪化させないようにと、より乾燥した西部へと移住。ワイアット・アープと奇妙な友情で結ばれる。 ジョン・フォードの傑作《荒野の決闘》 (1946年 ジョン・フォード監督) OK牧場での決闘を扱った映画としては最も有名であり、1946年に作られたことに驚く。《荒野の決闘》の原題は《MY DARLING CLEMENTINE(いとしのクレメンタイン)》であるが、この日本題名が、この映画の名声を長くしているのかもしれない。 この映画は、トゥームストーンにおけるクラントン一家とアープ兄弟の確執を中心に描かれている。 導入部は、アープ4人兄弟が牛を追ってカリフォルニアへ移動中に、まちへ行っている間に、クラントン一家に牛を盗まれ、牛の見張りに残した末弟のジェームスが殺されるところから始まる。 最初は対立したワイアット・アープとドク・ホリデイが奇妙な友情で結ばれていく。ドク・ホリデイを追って東部(ボストン)からやってきたクレメンタイン、ドクに付きまとうチワワという酒場女、クレメンタインに一目ぼれしてしまうワイアット、これらの人間ドラマが、ジョン・フォード独特の詩情豊かな演出で、クライマックスのOK牧場での決闘へと盛り上げてゆく。 決闘の相手のクラントン一家の「銃をぬいたら殺せ」と息巻く父親が登場していること、ドクは外科医(実際は歯科医だとされている)であること、OK牧場での決闘でドクは死んでしまい史実とは異なっていることなど、独自の内容で脚色されている。 西部劇の代表作《OK牧場の決闘》 (1957年 ジョン・スタージェス監督) 《OK牧場の決闘》でも、アープ兄弟とクラントン一家の確執とOK牧場での決闘を扱っているところは、《荒野の決闘》と基本的には同じである。 《荒野の決闘》では、ワイアットが長兄となっているが、《OK牧場の決闘》では、トゥームストーンで保安官をしているヴァージルという兄がいる。トゥームストーンでは、クラントン(父親はいない)が殺し屋リンゴー・キッドを味方にして攻勢を強め、ヴァージルとクラントン一家との対立が激化してきていた。そこで、ヴァージルがドッジ・シティの保安官であるワイアットに助けを求める。トゥームストーンに4人のアープ兄弟がそろう。 《OK牧場の決闘》でのワイアットとドクの関わりは、お互いに窮地を助けたり助けられたりしながら友情をはぐくむ。ドクには情婦のケイト、ワイアットが結婚を決意する賭博師のローラが彩りを添える。 トゥームストーンでは、ワイアットの代わりに夜の見回りに出たジム(ジェームズ)がクラントン一家に射殺され、両家の対立がエスカレート、どうせ死ぬならひとりの友と一緒に、とドクが病を押して駆けつけ、OK牧場での決闘が始まる。 《OK牧場の決闘》は数ある西部劇の中のなかで最も好きなものの一つである。 OK牧場の決闘の後日談を描いた《墓石と決闘》 (1967年 ジョン・スタージェス監督) 《墓石と決闘》は、史実をつぶさに研究した脚本を基にジョン・スタージェスが監督した《OK牧場の決闘》の後日談。 1881年10月26日の日の出とともにOK牧場での決闘が始まり、午前11時には終わった。この映画では、クラントン兄弟の長兄のアイク・クラントンが生き残ったことになっており、アープ兄弟とクラントン一味の争いは続いた。 トゥームストーンの保安官に立候補したバージルは、クラントン一味の闇討ちにあって足が不自由になった。かわってモーガンが立候補したが、再びクラントンに襲われて殺害された。ワイアットは兄弟たちの復習の鬼となり、牛泥棒で殺人犯のアイク・クラントンを追う。 アイク・クラントンをメキシコの小さな村に追いつめたワイアットは、1対1の決闘を挑み勝利を収める。この映画では、ドク・ホリデイのOK牧場以後も描かれている。 ワイアット・アープの生涯を描いた《ワイアット・アープ》 (1994年 ローレンス・カスダン監督) ケヴィン・コスナーが主演の《ワイアット・アープ》では、1800年代にアイオワで、ワイアット少年が厳格な父に家族の絆の強さと正義を教え込まれて育つところから始まる。 この映画では、ウィチタで保安官として迎えられ、ダッジ・シティに移り連邦副保安官となるまでのワイアット若い時代が丁寧に描かれている。ここでワイアットは歯科医で肺病やみで銃の腕は確かなドク・ホリデイと知り合い、友情をはぐくむ。 兄ヴァージル、弟モーガンと共に、ダッジ・シティでの活躍のあとアープ兄弟はアリゾナ州トゥームストーンに移る。ここはクラントン一家とマクローリー一家のために無法状態となっていた。ドクの援助を得てOK牧場の決闘で勝利するが最愛の弟モーガンが殺される。復讐を誓うワイアットはドクと共に死闘の末に一味を倒す。 この映画では、事実と伝説との差で当惑するワイアットのその後の人生まで描かれている。 《OK牧場の決闘》から48年後に作られた映画《ワイアット・アープ》では、英雄として扱われることの多いワイアット・アープの生涯を新たなイメージで、191分もの長編として淡々と描いている。 エピローグ Wikipediaによると、ワイアット・アープが登場する映画として9本が挙げられている。テレビを含めて、《ワイアット・アープ(1964年)》と《キャデラック・カウボーイ(1988年)》は見たことがない。後者は論外として、前者については、Movie Walkerで調べたが、OK牧場で決闘を主題としたものではないようだ。 ワイアット・アープが登場する映画は、OK牧場で決闘とそれに至る過程が映画の太い縦糸になっているのはいうまでもないが、ワイアットとドクのからみも横糸としての大きな役割を持っている。 OK牧場で決闘があったのは1881年10月の夜明けのこと。ドクは《荒野の決闘》ではOK牧場で死ぬが、実際は1887年11月年まで生きた。《墓石と決闘》で、ワイアットはデンバーの病院にドクを見舞う。そして、酒瓶を片手に医者とポーカーをやっている(死期の近いことを意識している)ドクを残してワイアットは病院を去る。 ワイアットとドクのかかわりについては、どの作品も脚本や演出において腐心しているが、配役も含めてその映画の面白さを計る大きな要素となっている。【生部 圭助】 編集後記集へ |