演歌大好き
【メルマガIDN編集後記 第338号 160515】


 久しぶりに故郷の佐賀へ行くことになった。佐賀への行き方は、福岡空港から地下鉄で博多へ行き、JRで佐賀へ行く方法と、佐賀空港からバスで市内へ行く方法がある。福岡を経由するほうが便数が多く便利であるが、今回は佐賀空港のルートを選んだ。上空から佐賀平野や有明海を見ることを期待して飛行機の窓側の席を予約した。
 そして、ずっと以前に《メルマガIDN》の編集後記に書いた《演歌大好き》のことを思い出した。以前のものを読み返して、多少手を加えて再掲した。

 本日はIDN航空をご利用いただき、また「スカイミュージックIDN」の歌謡曲にチャンネルに合わせていただきましてまことにありがとうございます。これからS空港までのひとときをごゆっくりとお楽しみください。

 「スカイミュージックIDN」では、歌謡曲が一番歌謡曲らしさを持っていた昭和30年代から40年代の歌をお届けします。歌の世界でも戦後の復興を経て高度成長へと向かう時代、また、SPレコードからLPレコードへ記録媒体が替わる時代でもありました。この時代の流れの中で、「都会派歌謡曲」や「ポップス風歌謡曲」などの新しい歌が生まれましたが、流行歌が次々と発表され、歌謡界でも後世に残る名曲がたくさん生まれました。

 それでは、《岸壁の母》から始めましょう。戦後の記憶が残っていた時代の最後の曲と言ってもいいでしょう。「母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た・・・」の歌詞を聴くと泣けてきますね。菊地章子の唄ですが、今でも、二葉百合子が巡業に行くと《岸壁の母》をやってと、お客さんにせがまれるそうです。
 
・曲名:岸壁の母 昭和29年(1954年)
 ・作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜
 ・唄:菊地章子

 
 30年代の最初の曲として島倉千代子の《この世の花》をおかけしましょう。「君の名は」以来、ヒットしたラジオドラマの主題曲です。島倉千代子は
1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約しました。《この世の花》は島倉千代子のデビュー曲で、歌い方に特徴を出すのに苦労した、と本人が語っていましす。その後《からたち日記》や《東京だよおっ母さん》がヒットしました。
 
・曲名:この世の花 昭和30年(1955年)
 ・作詞:西條八十  作曲:万城目 正
 ・唄:島倉千代子


 昭和27年に《赤いランプの終列車》デビューしていた春日八郎は、30年に発表した《別れの一本杉》で歌謡界に不動の位置を築きました。下積み生活をしていた船村徹は高野公男と出会い、春日八郎との組み合わせがぴったりとあたって、やっと世に出ることが出来ました。高野公男は惜しくも26歳にして他界しますが、演歌作曲家の大御所になり、手掛けた曲は約
4,500曲にのぼるといわれる船村 徹の出発点はここにあったのですね。
 ・曲名:別れの一本杉 昭和30年(1955年)
 ・作詞:高野公男  作曲:船村 徹
 ・唄:春日八郎


 《別れの一本杉》が発売されたときはSP盤でした。この曲の裏面に入っていたのが、三橋美智也の《おんな船頭唄》。11歳のときに全道民謡大会で優勝するなど、三橋美智也は民謡歌手として活動していたましが、この曲により人気歌手となりました。《古城》の大ヒットなどもあり、
1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破する記録を打ち立てた、その出発点がここにあります。
 ・曲名:おんな船頭唄 昭和30年(1955年)
 ・作詞:藤間哲郎  作曲:山口俊郎
 ・唄:三橋美智也


 美空ひばりについては、昭和41年に145万枚を売った《悲しい酒》がありますが、30年代のはじめにヒットした《波止場だよお父つぁん》を取り上げましょう。
 ・曲目:波止場だよお父つぁん 昭和31年(1956年)
 ・作詞:西沢爽  作曲:船村 徹 
 ・唄:美空ひばり


 石原裕次郎の《錆びたナイフ》が登場したのが昭和32年です。石原裕次郎は、もっと新しい時代と思われますか? その後の《赤いハンカチ》は昭和37年のことになります。
 
・曲名:錆びたナイフ 昭和32年(1957年)
 ・作詞:萩原四郎  作曲:上原賢六
 ・唄:石原裕次郎


 フランク永井の《有楽町で逢いましょう》とペギー葉山の《南国土佐を後にして》が登場したのが昭和33年のことです。
 ・曲名:有楽町で逢いましょう 昭和33年(1958年)
 ・作詞:佐伯孝夫  作曲:吉田 正
 ・唄:フランク永井

 

 ・曲名:南国土佐を後にして 昭和33年(
1958年)
 ・作詞:武政英策  作曲:武政英策
 ・唄:ペギー葉山


 西田佐知子が切々と歌った《アカシヤの雨が止む時》をお聞きください。60年安保の年にリリースされたこの歌は、連日の闘争で疲れはてた学生たちの心情にマッチしました。
 ・曲名:アカシヤの雨が止む時 昭和35年(1960年)
 ・作詞:水木かおる  作曲:藤原秀行
 ・唄:西田佐知子


 この頃生まれた有名な曲がたくさんあります。《黒い花びら》、《潮来笠》、《硝子のジョニー》、《上を向いて歩こう》、《高校三年生》など、おかけできないのが残念です。

 さて40年代に入って、いよいよ都はるみが登場します。《北の宿から》、《大阪しぐれ》なども魅力的でしょうが、やはりデビュー曲のパンチのきいた はるみ節をお聴かせしましょう。
 ・曲名:涙の連絡船 昭和40年(1965年)
 ・作詞:関沢新一  作曲:市川昭介
 ・唄:都はるみ


 同じ年に北島三郎の《函館の女》がヒットしています。サブちゃんは昭和37年に《なみだ船》で日本レコード大賞新人賞受賞を受賞しておりますが、《函館の女》には若さと声の張りを感じますね。
 
・曲名:函館の女 昭和40年(1965年)
 ・作詞:星野哲郎  作曲:船村 徹
 ・唄:北島三郎


 美川憲一はやはり《柳ケ瀬ブルース》をおいて他にありませんね。《おんなの朝》もおすきですか?
 ・曲名:柳ケ瀬ブルース 昭和41年(1966年)
 ・作詞:宇佐英雄  作曲:宇佐英雄
 ・唄:美川憲一


 青江三奈の《恍惚のブルース》も同じ年に出ています。あのハスキーな声で、演歌、ブルースからジャズまでの幅広いレパートリーには感心させられます。親しみを感じる不思議な歌手です。
 ・曲名:恍惚のブルース 昭和41年(1966年)
 ・作詞:川内康範  作曲:浜口庫之助
 ・唄:青江三奈


 ブルースをもうひとつ。森 進一の《港町ブルース》をどうぞ。この曲は、雑誌「平凡」で募集していた歌詞をもとに作られたものです。21歳の若さでレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞、
1974年には吉田拓郎作曲の「襟裳岬」が大ヒットし、日本レコード大賞、日本歌謡大賞など主な音楽賞を総なめにしています。
 ・曲名:港町ブルース 昭和44年(1969年)
 ・作詞:深津武志  補作詞:なかにし礼   作曲:猪俣公章   編曲 森岡賢一郎
 ・唄:森 進一


 昭和40年代の終り頃に登場したのが、渡哲也の《くちなしの花》。
1976年に、第7回全日本有線大賞金賞を受賞しています。また、渡哲也は倒産寸前の石原プロの経営安定に貢献し、今も石原軍団のボス的存在です。
 ・曲名:くちなしの花 昭和48年(1973年)
 ・作詞:水木かおる  作曲:遠藤 実
 ・唄:渡哲也


 最後にお送りするのは、《みちづれ》です。今回は生部様の大好きな牧村三枝子にしましょう。同じレコード会社のポリドールの先輩である渡哲也が
1975年にアルバムで発表した《みちづれ》を、1978年に牧村三枝子がシングル盤で発表すると、翌1979年には100万枚の売上げを記録する大ヒットとなりました。《みちづれ》は昭和40年代から50年代への架け橋と言えるかも知れません。
 ・曲目:みちづれ 昭和53年(1978年)
 ・作詞:水木かおる  作曲:遠藤 実
 ・唄:牧村三枝子


 生部様のためにアンコール曲が準備してあります。《五番街のマリーへ》はいかがでしょうか? 
Hanry Band&クニ河内が編曲し、高橋真梨子が歌ったCDもありますが、今回はペドロ&カプリシャスのオリジナル版でお届けしましょう。遠い昔に暮らしたマリーの消息をたずねてほしい、という唄です。
 ・曲名:五番街のマリーへ 昭和48年(1973年)
 ・作詞:阿久 悠  作曲:都倉俊一
 ・唄:ペドロ&カプリシャス(高橋真梨子)

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五番街で うわさをきいて
もしも嫁に行って
今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい
・・・・・・・・・
五番街は 近いけれど
とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい


 お楽しみいただいている間に飛行機は高度を下げて、まもなく着陸態勢にはいります。眼下をご覧ください。麦の緑色と菜の花の黄色、そしてレンゲの赤い色が織り成す一番きれい時期は過ぎてしまいましたが、麦が実りの時期を迎え、有明海から金色に輝く平野をご覧ください。シートベルトをしっかりお締めになり、着陸までのひと時を心ゆくまでお楽しみください。お会いできる又の機会を楽しみにいたしております。【生部圭助】

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